フクシマと山陰をつないで

 HOME

 

フクシマと山陰をつないで

 8/4「北京JAC全国研修セミナ-in鳥取」の分科会「災害と女性 - 原発にどう向かい合うか」報告

 

     =2012年8月4日、鳥取県倉吉市の倉吉未来中心にて

 

                           
1 わたしたちの身近にあるフクシマ

 

 「ノド元すぎれば熱さ忘れる」という諺があります。まるでフクシマの大事故などなかったかのように、政府は事故の点検や反省もないまま、早々と〝事故収束宣言〟を出したり、上から一方的に〝大飯原発の再稼働〟を決めました。
 これは皆様も信じられないことではないかと思います。さきほどの橘柳子さんのお話を聞き、わたしはあらためて政府や電力会社がフクシマを切り捨てて前に進もうとしている、との思いを強くしました。
 橘柳子さん(浪江町)のように転々と避難しなければならない住民、言うなればさ迷える避難民の皆様が、数え切れないくらいいるのに、どこからフクシマの〝事故収束宣言〟が出てくるのか。野田首相に「フクシマの住民は日本国民ではないのか」、とわたしは問いたい。許せません。
 げんに、いまでも16万人以上もの住民が福島から全国各地に避難されています。むろん、鳥取県にも避難してきておられまして、その数は県全体で200人、このうち100人が鳥取市に避難されているそうです。
 3・11以後、鳥取でも女性たちのグループが新たに立ち上げって、脱原発の取り組みを進めておられますが、彼女たちがフクシマから避難してきておられる住民の皆様のお話を聞いたり、さまざまな交流を進めておられます。
 その女性グループの代表の山中幸子さんがこの分科会に見えていますので、あとのフリートークでフクシマの皆様との交流の一端を報告していただけたらと思います。
 避難者と市民グループの交流については、分科会の後半の大塚愛さんと大塚尚幹さんご夫妻の、フクシマと岡山をつなぐ報告でも、くわしく語られると思います。
 フクシマから飛んできたセシウムは鳥取県でも検出されました。汚染された肉牛や稲わらや堆肥などがマーケットに出回りました。
 東北のがれきの受け入れを表明した米子市に市民が抗議しています。フクシマの影響はわたしたちの身近なところにまで及んでいるのです。


2 青谷原発計画阻止運動の経験

 

 いまから30年ほど前、鳥取県も原発に狙われました。1980年代初頭に中国電力が気高(けたか)郡(現在は鳥取市)青谷町の長尾鼻に立地を構想した青谷原発計画です。
この青谷原発計画の阻止運動では、さきほど報告された岩田玲子さんをはじめ気高郡連合婦人会の皆様が先頭に立って、文字通り草の根運動を展開されました。気高郡の有権者の過半数を超える9300人余りの署名提出は、中国電力や県当局にも大きな衝撃を与えました。
 当時、会長の村上小枝さんや小泉澄子さんが中心になり、岩田さんが一番若いお母さんでした。鳥取県連合婦人会には近藤久子さんという大会長がいて、傘下の気高郡連合婦人会を後押ししました。県連合婦人会の活動は、きょう司会をされている田中朝子さんらが引き継いで、今日に至っています。
 この気高郡連合婦人会の草の根運動を先頭に、地元青谷町の住民の会、県内各地の市民グループ、県総評・地評・地区労の労働組合、県内各界各層の共同アピール、など相互に連携した集中的な立地阻止運動で、何とか水際で未然に食い止めることができました。
 青谷原発計画阻止運動はいち早く情報をキャッチし先手必勝で食いとめた予防闘争のモデルケースともいえます。この阻止運動の経過は会場の受付に置いています小出裕章さんとわたしの共著『原発のないふるさとを』でくわしく報告しています。
 1980年代初頭の集中的な阻止運動で何とか水際で食い止めたとはいえ、それでも安心できないわたしたち市民グループは、数年かけて青谷原発予定地の炉心部の土地を7筆入手し、これらの土地を共有化して原発の息の根を止めました。
 鳥取県では鳥取から米子まで5つ市民グループがネットワークを組みまして、その代表格がきょうの分科会に見えておられる石田正義さんでした。
 この原発予定地の土地取得と共有化は、わたしが市民グループの仲間に提起し、(数年かけて)苦労に苦労を重ねて実現したものです。そのさい、わたしがもっとも参考にしたのは、橘さんの地元である福島県浪江町の棚塩原発反対同盟の舛倉隆さんの「原発には絶対土地は売らん」闘いでした。
 その舛倉隆さんとは女川原発反対同盟の阿部宗悦さんともども、1990年代の初めにピースボートに招かれてご一緒し、敦賀から玄海までの船上で歓談したのがついきのうのことのように思い出されます。そのころのピースボート代表は辻元清美さんだったと記憶しています。
 昨年の東日本大震災のあと関係者に問合せたところ、舛倉隆さんは亡くなられて棚塩地区の区長は息子さんがやっておられると聞きましたが、その棚塩地区も大津波で流されて避難生活を余儀なくされているそうです。
 つい最近、阿部宗悦さんもお亡くなりになりましたが、わたしたちの運動もこうした長年の闘いを闘った諸先輩に支えられていたわけです。


3 人形峠のウラン残土問題

 

 〝原発のないふるさとを〟は気高郡連合婦人会のキャッチフレーズでした。しかし、青谷原発計画を阻止したその原発のないふるさとの鳥取県にも、ウラン残土という原発の入口の膨大な〝核のゴミ〟が放置されていました。
 湯梨浜町(旧東郷町)の小さな村である方面(かたも)地区の住民は、国策法人の旧動燃・国・県・町の〝4重の圧力〟をはね返し、何と18年間の歳月をかけた血の滲む闘いで、(榎本益美さんのがんばりと)最後には片山善博知事の支援による訴訟に勝ってウラン残土の撤去を実現しました。
 原発本体の訴訟ではありませんが、原発関連の訴訟では唯一の勝訴です。いろいろ問題を残したとはいえ(ウラン残土の一部の米国ユタ州への〝鉱害輸出〟や〝核のゴミ戦争〟など)、この方面地区のウラン残土撤去は、わたしに言わせれば奇跡に近い出来事です。
 これについて報告する時間はありませんので、興味をお持ちの方は受付けに置いてあります『原発のないふるさとを』の「人形峠ウラン残土撤去運動の報告」や『放射性廃棄物のアポリア』の第二章「あとは野となれ山となれ」に、わたしが要約して報告していますので見ていただけたらと思います。


4 フクシマ以後は日本中が〝原発現地〟

 

 わたしたちはフクシマ以後、日本中が〝原発現地〟と考えねばなりません。なぜなら、フクシマの大惨事は250キロにも及ぶ広大な地域をひどく汚染しました。それは日本の法令に従えば、本来立ち入り禁止にしなければならないような、放射線の管理区域に相当する汚染です。
 国内に立地している原発と使用済み核燃料のプールが事故を起こせば、どこにも逃げ場がありません。使用済み核燃料の危険性は福島第一原発事故で停止中の4号機の水素爆発で明らかとなりました。
 島根県当局は島根原発の大事故を想定して、山口・広島・岡山・鳥取の各県当局に何十万人もの避難民の受け入れを要請しています。いったい、何十万人もの避難計画をあらかじめ立てなければならないような、とてつもなく危険な発電所がなぜ必要なのか。
 これは〝正気の沙汰〟とは思えず、〝白昼夢〟としか言いようがない。かつての太平洋戦争下の〝疎開〟をはるかに上回る深刻な事態です。なぜなら、戦時下の〝疎開〟は戦争が終われば、〝ふるさと〟に帰れたのに、フクシマでは原発事故後も〝ふるさと〟に帰れない住民が大勢いるからです。
 いまこそ、わたしたちは目を覚まして、原発の真実を直視する勇気を持たなければならないと思います。そして、それぞれの地域と生活領域から、勇気を持って原発に立ち向かい、声を上げて〝待った〟をかける時期に来ている、とわたしは考えます。
 フクシマの避難民を放ったらかして、原発の再稼働はもってのほかです。すべての原発の再稼働を認めてはなりません。大飯原発の再稼働の見直し(撤回)が必要です。