フィールドワーク:旧青谷原発予定地跡と旧東郷町方面地区ウラン残土堆積場

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フィールドワーク:旧青谷原発予定地跡と旧東郷町方面地区ウラン残土堆積場

 

日時=2015年8月6日(木) 10:20~15:00

場所=鳥取県鳥取市青谷町&倉吉市

主催=鳥取県教職員組合中部支部

フィールドワーク=旧青谷原発予定地跡&旧東郷町方面地区ウラン残土堆積場

案内=土井淑平

 

 原発立地計画を水際で阻止した「原発のないふるさと」、そして、人形峠のウラン残土撤去運動の最前線を見る
― 鳥取県教職員組合中部支部の組合員に同行して現地を案内 ―

 

 終戦記念日の8月6日、鳥取県教職員組合中部支部のフィールドワークが鳥取市(旧気高郡)青谷(あおや)と湯梨浜町(旧東郷町)方面(かたも)で行われ、わたしも現地の案内を頼まれて参加しました。
 鳥取県教職組はこの2年ほど、福島現地学習を開催し、延べ30人ほどの組合員が福島を訪れ、福島第一原発周辺の現状を目の当たりにしてきたそうです。「復興」とはほど遠い現実で、「帰還困難区域」は棄てられようとしているのではないか、との印象を受けたということです。
 福島に行って感じたことは、「では自分たちは地元のことをどれだけ知っているのだろうか?」ということで、これまでも人形峠のフィールドワークなど地元の学習をしてはきましたが、あらためて福島で起きたことを他人事にしない、自分に出来ることは何かを考えたいとの思いで、今回のフィールドワークを企画したそうです。

 

1、青谷原発阻止運動のフィールドワーク

 

 一行は、まず原発立地予定地の松ヶ谷がナナメ下に見える小半島の長尾鼻の展望台の空き地の広場に集合、わたしが用意したレジュメを使って1980年代の青谷原発立地阻止運動の概要を説明しました。
 青谷原発立地阻止運動の特徴は、①計画が正式に発表されたら後の祭りで取り返しがつかないとの認識から、先手必勝の立地阻止運動により水際で原発を食い止めたこと②気高郡連合婦人会が有権者の過半数の反対署名を集めて陳情するなど、県内各層の広汎な反対運動で中国電力を包囲し手足をしばったこと③無党派の市民グループが全県のネットワークを組み、地元の青谷原発反設置反対の会を盛り立てて反対運動を継続したこと④青谷原発の息の根を止める方策として、原発の立地予定地の周辺7カ所の土地を押さえ、約200人で共有化したこと ― などを挙げることができます(「フィールドワーク資料・長尾鼻」参照)。
 このうち、共有地は3・11の福島第一原発事故後、イモ植えと植樹の活動でよみがえり、3・11の4年目の2014年5月の行動のあと、新旧各グループが寄り集まって「青谷原反原発共有地の会」を立ち上げました。趣旨は、毎年、イモ植え、イモ堀り、植樹活動に取り組み、ここを足場に日本の脱原発を目指すゆるやかな超党派の草の根の活動にしていくというものです(「フィールドワーク資料・長尾鼻」NО・3「原発のないふるさとを」参照)。
 さて、一行は長尾鼻の展望台の空き地の広場から、春のイモ植えを終えたばかりの共有地まで行き、さらに長尾鼻の突端の磯釣り組合管理事務所前の空き地で、目の前に広がる日本海を眺望しました。

 

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2、方面ウラン残土運動のフィールドワーク

 

 このあと、いったん中部教育会館に戻って昼食を取った一行は、午後から人形峠のフィールドワークに向かいました。人形峠のフィールドワークと言っても、ウラン残土堆積場は鳥取・岡山県境の岡山側にある日本原子力研究開発機構(旧動燃)の事業所を拠点に、両県12カ所に広がっているので、この日はウラン残土撤去運動を長く激しく闘った鳥取県湯梨浜町(旧東郷町)の方面(かたも)地区のウラン残土堆積場の現地視察にしぼりました。
 熱中症が心配される炎天下、方面(かたも)の堆積場入口から山道を20分ほどてくてく歩いて堆積場へ。人形峠周辺には総計45万立方メートルのウラン残土がありますが、方面地区のウラン残土堆積量は1万6000立方メートルです。動燃の測定によれば、方面のウラン残土の放射線量は鳥取県側のウラン残土堆積場では最高で、その最高値は年間換算で31.5ミリシーベルト。岡山県側では中津河が59.6ミリシーベルト、つまり60ミリシーベルト近い値で最高です。
 小出裕章さんによる精力的な測定で、方面地区では土も水も大気も植物もウラン系列の放射能で汚染されている実態が分かりました。ウラン鉱山の最大の問題はラドン汚染で、人形峠周辺のウラン鉱山では、約70人の採掘労働者の肺ガン死が予想されます。
 方面地区には1号坑、下1号坑の堆積場と2号坑の堆積場の2つの大きな堆積場がありますが、前者の一角にある榎本益美さんの堆積場を見ました。ここは榎本さんが地区の長老から譲ってもらった土地ですが、動燃が貯鉱場跡の放射線レベルの高いウラン(鉱石)残土をここに移し、撤去のための前段の措置として仮置きしていました。
 榎本さんと支援者が1999年12月深夜、その鉱石残土1袋を掘り出し、山からジープでそろそろ引っ張って堆積場入口まで降ろし、そこでトラックに詰め替えて動燃(当時は核燃)の人形峠事業所まで運び、ウラン残土撤去の実力行使をしました。
 この実力行使は大きな波紋を投げかけました。方面自治会は2000年11月、鳥取県の支援で訴訟を提起。これとは別に、榎本益美さんも翌12月、自分の土地に置かれたウラン(鉱石)残土の撤去を求めて、独自に訴訟に踏み切りました。
 方面自治会の訴訟は、動燃にウラン残土撤去協定書の履行を求めたもので、原告の自治会側が勝訴し撤去が確定しました。榎本さんの訴訟は小出さんの協力で放射能論争もやりましたが、部分敗訴でした。
 自治会訴訟の判決で、動燃(当時は核燃)はじたばた悪あがきしたものの、2006年11月、方面地区のウラン残土3000立法メートルを撤去しました。撤去先は県境の三朝町の地内で、ここに新たに作ったレンガ加工工場でレンガに加工して、2011年6月つまり福島第一原発の事故の3か月後にレンガ加工が完了しました。
 20年近いウラン残土撤去運動を振り返ると、核のゴミ戦争は岡山対鳥取の間に起きましたが、実は鳥取県の中でも町や自治会レベルで何度か起きています。
 わたしはここから「原子力開発は核のゴミ戦争を避けられない」との教訓を引き出さざるを得ません。これは福島の除染廃棄物や廃炉廃棄物にもそのまま当てはまります。たとえば、政府や当局は最終処分場は県外に持っていくと言っていますが、わたしは人形峠の経験からこの言葉を疑いの目で見ています。それどころか、福島の現状は、原子力開発そのものが巨大なデマで成り立っていることを身を持って証明している、とわたしは考えます。
 最後になりましたが、このフィールドワークで、久し振りに榎本益美さんにお会いしました。会うのは無理と考えていましたが、うれしいことに榎本さんがジープで山に登ってこられたのです。

 写真はコンクリートでふさいだ方面下1号坑の坑口前で撮ってもらったものです。

 (写真「フィールドワーク資料・方面下1号坑の坑口前」参照。榎本益美=右=と土井=左=)

 

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