フクシマと沖縄 - 差別と棄民の構造 -

 HOME

 

=2013年度鳥取県東部地区教育研究集会=
分科会「環境・公害と食教育」における報告

 

日時:2013年8月24日(土)
場所:鳥取県立鳥取湖陵高校
主催:鳥取県教職組東部支部/同高教組東部支部
報告者:土井淑平

 

kct

 

 

はじめに


 最近、大きなニュースが飛び込んできました。1つはフクシマの放射能汚染水の大量流出であり、もう1つは沖縄のキャンプ・ハンセンの米軍ヘリコプター墜落・炎上事故です。

 まず、フクシマの放射能汚染水の大量流出は、2011年3月11日に起きた福島第一原発事故による放射能のダダ漏れが止めようもなく続いており、その根本的な対策が何一つなされていないことを象徴するものです。
 フクシマの汚染水は沖合や近海の漁業に大打撃を与え、わたしたち日本人の食卓にのぼる魚や海産物を汚染するだけでなく、3・11の直後からその汚染が太平洋全域に広がることも、EUの研究機関などのシミュレーションでも明らかにされていて、国際的な責任問題となることが避けられません。
 つぎに、沖縄のキャンプ・ハンセンのヘリ墜落・炎上事故は、それ自体が9年前の沖縄国際大学へのヘリ墜落・炎上事故を思い出させ、いわば火薬庫を抱えて危険と背中合わせの沖縄の問題に目を向けさせるものです。
 のみならず、キャンプ・ハンセンのヘリ墜落・炎上事故は、沖縄への配備が進行中の垂直離着陸の新型輸送機オスプレイの危険性に、あらためて注意を喚起しました。
 むろん、いま取り上げた危険なヘリや航空機の配備は、沖縄の住民の人権を蹂躙する米軍基地の問題の〝氷山の一角〟にすぎず、わたしたちがフクシマと同時に、この沖縄の問題に目を向けなければならないことを教えています。
 わたしはフクシマで起きていることも沖縄で起きていることも、現代日本における〝差別と棄民の構造〟を象徴し体現する、2つの重要な歴史の事実であると考えます。

 

1 フクシマの事故で起きていること

 

 原子力規制委員会の新しい規制基準がことし7月8日に施行され、電力各社が一斉に再稼働を申請しました。申請したのは北海道、関西、四国、九州の電力会社4社の5原発12基です。このほかにも、申請待ちの原発がありますが、いったいフクシマの事故はどこに行ったのか、日本の原発は再稼働どころの状況ではないのではないか、とわたしは声を大にして言いたい。(記事1『朝日新聞』2013年7月9日の「5原発10基 再稼働申請」、その後、九電が玄海原発3、4号機を追加申請)
 そこで、まず3・11の事故から2年目のフクシマで起きていることを、わたしなりにまとめてみましょう。わたしなりの観点ではフクシマの重要な事実は5つあります。
 第1に、フクシマの事故により、日本の法令で放射線の管理区域にしなければならない高濃度の汚染地帯が、福島第一原発から250キロ先の長野県の県境にまで広がり、この放射線の管理区域に相当する高濃度の汚染地帯に、何と200万人の住民が生活しているという事実です。(地図1『朝日新聞』2011年9月28日の「汚染の帯 250キロ超/セシウム、群馬まで届く」)
 しかも、大気中への放射能の大量放出は止まっているものの、相変わらず原子炉を水で冷やし続けるという危険なツナ渡りで、その冷却水が原子炉建屋の敷地から地下にダダ漏れで地下水を汚染し、その汚染水が少なくとも1日300トンも海に流れ出ているのです。(記事2『日本海新聞』2013年8月21日の「汚染水1日300トン海へ」=共同通信配信=)
 この海への流出が3・11の事故以来 ― ということは、つまり2年以上続いている可能性も指摘されています。東電はいまになって汚染水を地上タンクに移していますが、タンクも満杯に近づき解決にほど遠いため、政府は「基準値以下」に薄めて汚染水の海洋放出を検討中です。つまり、政府公認のタレ流しになりかねません。
 フクシマの事故では第2に、放射能を避けて膨大な住民が避難せざるを得ず、このふるさとを追われて帰るに帰れぬ〝原発難民〟が、16万人にものぼっているという事実があります。
 むろん、戦争や災害で多数の住民や学童が避難するという事態は過去にもありました。たとえば、さきの太平洋戦争では東京など大都市から地方に大量の住民とくに学童が疎開しました。しかし、戦争中の疎開の場合、戦争が終われば子どもたちも親たちも再び都会に帰って、それぞれ再出発することができましたが、フクシマの〝原発難民〟は事故が終わり、ふるさとに帰りたくとも、ふるさとの土を踏めない、本当に過酷な状況です。
 そういうフクシマの惨状が目の前にあるにもかかわらず、政府や自治体は原発の再稼働に向けて、何十万人何百万人もの広域住民避難計画を立てています。たとえば、島根原発の地元の島根県は重大事故のさい、原発から半径30キロ圏内の約40万人の住民を島根・広島・岡山の3県に〝配給する〟計画です。
 島根原発から半径30キロ圏内には鳥取県の境港市と米子市の7万3000人も含まれ、鳥取県もその避難計画を発表しています。(表1「フクシマに続く原発事故の広域避難の想定図」)

 


 つまり、島根・鳥取両県合わせて合計47万人の住民を〝配給する〟というわけです。太平洋戦争の敗戦直後に、物資の〝配給〟が〝闇市〟とともに存在していまして、さきの〝配給する〟という言葉はわたしがここから取ったものです。
 フクシマの事故では第3に、原発作業員の被曝労働なくして事故処理にも当たれないという事実があります。これはフクシマの事故に限らないことで、そもそも原発そのものが、これら被曝労働者なしには存在も稼働もできないのです。
 フクシマの事故から1年目の昨年3月の東電のデータでは、フクシマの事故処理に当たっている原発作業員は約2万5000人ですから、現在ではその2倍以上の5万人から6万人の作業員が働いてきたと考えられます。その8割はいわゆる下請け労働者です。
 その東電のデータによれば、全体の被曝線量の平均は12ミリシーベルトですが、その後明らかになったデータでは、フクシマの作業員約2000人が甲状腺に100ミリシーベルトの被曝をし、なかには1000ミリシーベルト以上の被曝者もいたということです。
 いま上げた12ミリシーベルトとか100ミリシーベルトの被曝が何を意味するか、参考までに一つの目安を申します。と言うのも、原発の推進側や山下俊一など御用学者たちは、フクシマの事故で「100ミリシーベルト以下心配無用説」を唱えているので、これをきっぱり批判しておかなければならないからでもあります。
 国際放射線防護委員会(ICRP)ですら、100ミリシーベルトを下回る線量でのガンや遺伝的障害の発生率は、線量に比例して増加すると認めています。しかし、わたしがここで紹介したいのは、北海道反核医師の会の運営委員で深川市立病院内科部長の松崎道幸の「10ミリシーベルトでガン死が3%ふえる」との仮説です。(表2「10ミリシーベルトでガン死が3%ふえる」)

k


 この仮説は、文部科学省の委託による放射線影響協会の疫学調査に医療被曝のデータを加味して導き出したものですが、日本人の男性の35%がガンで死亡するので、「10ミリシーベルトでガン死が3%ふえる」は、35%×0・03で1%、つまり「100人に1人のガンによる超過死亡」のリスクとなります。
 ということは、10ミリシーベルト被曝すれば100人に1人がガン死するという意味です。皆さんもこの仮説を胸に置いて、被曝線量の危険度の目安にされることを勧めます。
 フクシマの事故では第4に、放射能は消去する方法がないのだから、汚染された土壌にせよ水にせよ、いわゆる「除染」は「移染」でしかない、という事実です。
 しかも、政府はフクシマ事故の除染事業を国策会社の日本原子力研究開発機構に委託し、その元請けの原子力機構は大手ゼネコンの3つの共同企業体を下請けとして再委託したが、3つの共同企業体の幹事会社は鹿島、大成建設、大林組という原発建設のトップ・スリーの大手ゼネコンです。
 なかでも、鹿島は福島第一原発と福島第二原発の建設をすべて受注しているので、「造ることで稼ぎ、壊れても稼ぐ」と東京新聞に皮肉られたほどです。その鹿島がフクシマの汚染水流出対策の「凍土遮水壁」の建設を提案し、政府が国費つまり税金を投入してこの計画を進めることになっているのは、まさに象徴的な構図です。
 ついでに言えば、東日本大震災の震災ガレキの広域処理も、原発も手掛けている三菱重工のような大手鉄鋼メーカーや大手ゼネコンの利権がらみです。そればかりか、東日本大震災の復興予算の多くが官民一体で被災地以外に支出されています。
 たとえば、東京の国立競技場や反捕鯨団体対策費など、およそ被災地と無関係に配分された復興予算が2兆円に達しています。全国45都道府県に配分された農水省所管の森林整備基金の1400億円も、被災地から遠く離れた林道整備がどうして復興事業なのか。たしか、鳥取県にも配分されて話題になったと記憶しています。
 さらには、厚生労働省の震災等緊急雇用対応事業では、海を隔てた遠い鹿児島県屋久島のウミガメの保護観察のため、約300万円の復興予算が流用されましたが、〝この国はどうなっているのか〟と疑わせる〝呆れた話〟ですね。
 さすがに、毎日新聞が社説で、このあさましい官民の利権あさりを「シロアリ」と批判しましたが、こうしたシロアリかハイエナのごとき〝タカリの構造〟を目にすると、昨今流行の〝振り込め詐欺〟の〝国家版〟ないしは〝官庁版〟という気がします。
 フクシマの事故では第5に、事故で破壊された原発の廃炉と放射性廃棄物のあと始末の問題で、政府と東電の廃炉工程表のように数十年で片付くどころの話ではありません。それでは、廃炉の使用済み核燃料も含む高レベル放射性廃棄物は、いったいどこに行くのですか?
 高レベル放射性廃棄物の毒性の持続は10万年100万年です。まず、10万年の管理の必要は各国の政府や原子力当局も認めるところです。しかし、アメリカの原子力規制委員会は、高レベル放射性廃棄物は100万年のオーダーで、環境に漏れ出ないようにしなければならないと言っています。
 フクシマの廃炉のなかには、沢山の高レベル放射性廃棄物が含まれていますが、それをどこで管理するのですか。どこで管理するにせよ、常識で考えても分かるように、10万年100万年も環境に漏れ出ないようにする技術が果たしてあるのか。しかも、いったいどこのだれが、10万年100万年といった人類学的ないしは天文学的な単位で、この厄介な毒物の管理に責任を持つのか。
 わたしたちが取り組んだ人形峠周辺のウラン残土問題を考えてみれば、一目瞭然です。現在、政府がフクシマの除染を託している日本原子力研究開発機構(旧動燃)は、わずか30年前の1950年代末~60年代初めの原子力開発の入口の放射性廃棄物たるウラン残土を野ざらし放置していたのです。
 しかも、1988年に放置が発覚し、鳥取県東郷町(現・湯梨浜町)方面(かたも)地区の住民が、動燃と協定まで結んでウラン残土の撤去を要求し続けたにもかかわらず、それから18年間も約束を履行せず逃げ回った、という隠しようのない事実があります。
 国策会社の動燃がわずか30年前あるいは半世紀前のウラン残土をろくに始末もできないし、しようともしないのに、それよりはるかに厄介なフクシマの廃炉や放射性廃棄物のあと始末に、政府や東電は責任を持てるのか。そもそも、政府も東電も10万年先はおろか、1000年先いや100年先まで存続しているかどうかすら、危しいではないか。
 これはわたしの持論ですが、とどのつまり廃炉も放射性廃棄物も、〝あとは野となれ山となれ〟の無責任なタレ流しに終わらざるを得ません。なるほど、原発は電気を生み出しますが、それと同時に、始末におえない猛毒の放射性廃棄物を生み出します。
 そのツケは現在の世代だけでなく将来の世代 ― それも何十年先何百年先の子々孫々どころか、10万年先100万年先という、人類の生存すら危しい未来にまで及ぶのだからたまりません。ここで、地球と人類の年代記を振り返っておきましょう。(表3「地球の年代記と放射性廃棄物の将来」)

 

k


 たとえば、ネアンデルタール人に「済まんが、この毒が漏れぬよう、10万年見てくれんか」、あるいはまた、ピテカントロプスに「ちょっと悪いが、この毒を引き取って、100万年後まで世話してくれんか」、と言えるでしょうか。ウラン残土にはウラン238とその崩壊による娘核種が多数含まれますが、ウラン238の放射能の半減期は45億年です。
 いささか話が人類学的ないしは天文学的なスケールで大きくなりましたが、わたしがいま取り上げたフクシマをめぐる5つの観点と事実から、このニッチもサッチもいかない惨憺たる現状からして、とてもじゃないけど原発の再稼働だとか原発の輸出など口に出せる状況ではないということです。

 

2 基地沖縄で起きていること


 つぎに、沖縄の問題に移りますが、ことし8月5日に宜野座村の米軍基地キャンプ・ハンセンの山中で起きたヘリコプター墜落事故は、垂直離着陸の新型輸送機オスプレイの沖縄配備が進行中の出来事で、それでなくとも沖縄で盛り上がっていたオスプレイ配備反対の住民感情と抗議行動に、いわば〝火に油を注ぐ〟結果となりました。(記事3『朝日新聞』2013年8月6日の「沖縄で米軍ヘリ墜落」)
 まず、キャンプ・ハンセンのヘリ墜落事故は、9年前の2004年8月に宜野湾市の普天間飛行場と背中合わせの沖縄国際大学で起きた、ヘリ墜落事故を思い起こさせます。このとき、米軍は事故現場を占拠して沖縄の警察や消防の立ち入りを禁止し、同じく立ち入りを拒否された当時の井波洋一市長も、「ここは一体どこの国なんだ」と嘆かざるを得ませんでした。
 沖縄県は日本国土の0・6%を占めるにすぎないのに、在日米軍基地の74%を背負わされています。そして、米軍基地は沖縄県の面積の11%を占め、米軍にとって治外法権の「軍事植民地」となっています。(地図2「沖縄の米軍基地」/表4「在日米軍と在沖米軍」)

 

g

 

 ここで、あらためて、沖縄の歴史をざっと振り返ってみますと、もともと琉球は自由な独立国で、日本の足利時代の1429年に琉球王国が成立して以来、西方の大国である中国の皇帝から柵封(さくほう)という俸禄をもらい、臣下の礼を尽くした帰途に沢山のお土産を持ち返る、いわゆる〝柵封国家〟でした。
 この自由な独立国としての面目を奪い取ったのが、3000の兵をもってする1609年(慶長14)の薩摩藩の島津家久の琉球侵略以来の、日本から受けた4次にわたる〝琉球処分〟でした。(表5「琉球処分の歴史」)

 

g


 この間、1941年(昭和16)12月8日の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争の末期には、沖縄を〝捨て石〟とする凄惨な沖縄戦で沖縄県民の4分の1に当たる20万人余の犠牲者を出し、戦後は米軍の占領下に置かれました。
 日本と沖縄にかかわる戦後のおもな出来事を表に掲げておきましたので参照して下さい。1951年に日米安保条約が結ばれ、1960年の安保条約改定を経て、1971年に沖縄返還協定調印となります。(表6「戦後の日本と沖縄」)

 

v


 こうした日米の動きと並行して、いわゆる〝55年体制〟と呼ばれる自民党長期政権が発足した1955年、沖縄では米軍用地をめぐる島ぐるみ闘争が起きますが、これを〝第1次沖縄闘争〟として、1970年前後の沖縄返還時の祖国復帰運動(〝第2次沖縄闘争〟)、1995年の少女暴行事件をきっかけとする基地撤去の県民運動(〝第3次沖縄闘争〟)、そして、最近の普天間基地の辺野古移設にからんで県内移設反対の県民運動(〝第4次沖縄闘争〟)へと至ります。
 アメリカの国際政治学者であるチャルマーズ・ジョンソンは、沖縄を「アジア最後の植民地」「ペンタゴンの軍事植民地」と評しましたが、1971年の日本への施政権返還後も、沖縄が「日米地位協定」をカクレミノとしたアメリカの「軍事植民地」であることは変わらず、日本政府が日米同盟の犠牲として沖縄を米軍に捧げているという意味では、沖縄は〝日米両国の植民地〟とも言えます。
 日米両政府の〝核密約〟のもとで沖縄に〝核配備〟がなされたことも忘れてはなりません。1950年代から60年代にかけて、自民党の歴代政権は核艦船の日本への寄港を黙認してきましたが、米軍は沖縄に核兵器を搬入・配備し、ベトナム戦争のピーク時には最大1200発以上に及び、「アジア最大の核弾薬庫」になっていました。(表7「沖縄への核配備と日米の核密約」)

 

う


 〝核弾薬庫〟と言えば、1990年代の湾岸戦争からボスニア紛争やコソボ紛争を経て、2000年代のアフガン戦争やイラク戦争に至るまで、米軍が使用した劣化ウラン弾が沖縄の嘉手納基地で保管され、2001年当時の保管量が約40万発に及んでいました。これは湾岸戦争で米軍が使用した劣化ウラン弾の使用量の半分に当たります。1950年代半ばには沖縄の鳥島で劣化ウラン弾の実弾演習も行なわれていました。
 核弾薬庫や実弾演習は基地公害の最たるものとはいえ、沖縄で起きている基地公害の全体からすれば〝氷山の一角〟にすぎません。なぜなら、沖縄では子どもたちの教育環境や住民の生活を侵害する騒音というよりも爆音の被害、米軍の演習による原野火災、実弾砲撃やゲリラ訓練による山林破壊と生物種絶滅の危機、河川の汚染やサンゴ礁など海域の汚染、ベトナムの枯葉作戦に使われた農薬PCBなど有害物質の流出といった、基地に起因する水質汚染や土壌汚染の基地公害が頻発しているのです。
 むろん、基地沖縄では、さきに見たようなヘリコプターなどの航空機事故だけでなく、米軍構成員の交通事故や凶悪犯罪も増え続ける一方で、1995年9月に沖縄県北部で米兵3人が少女をレイプした集団暴行事件は、9万人という復帰後最大規模の県民総決起集会の〝引き金〟となったのでした。
 ここで、ひるがえって、あらためて沖縄の現状に立ち返りますが、キャンプ・ハンセンのヘリ墜落事故はオスプレイの配備ともども、基地沖縄の危険と重圧を象徴する出来事でした。しかし、近年の沖縄の最大のトピックは普天間基地の辺野古移設で、2009年8月の衆院選で民主党の鳩山由紀夫が、「可能であれば国外、最低でも県外」と公言して圧勝しながら、見苦しい迷走と泥試合の果てに、辺野古回帰案に先祖がえりしたことは、周知の通りです。
 これに先立ち、自民党の小渕政権が普天間基地の移転先を名護市辺野古のキャンプシュワブと閣議決定したのは1999年末でした。その後、2006年5月の小泉政権下の「在日米軍再編実施のための日米ロードマップ」は、2014年までに辺野古のキャンプシュワブ沖の施設を完成して、沖縄海兵隊の8000人と1万人近い家族をグアムに移転させ、沖縄には4000人の実働部隊を残すことにしました。
 しかし、その後、普天間基地の辺野古移設も沖縄海兵隊のグアム移転も進展していません。グアムは1512年のマゼランの世界周航の途次、ここに寄港したのをきっかけにスペインの領有下に置かれ、「スペイン・チャモロ戦争」と呼ばれる先住民のチャモロ人との戦争、「米西戦争」と呼ばれるアメリカとスペインの戦争を経て、つまりアメリカの帝国主義的膨張の結果として、1898年にアメリカの植民地となった土地です。(表8「グアムの年表」)

 

p


 ところで、〝お坊ちゃま〟の鳩山由紀夫は2010年6月に政権を投げ出すに当たって、沖縄の海兵隊は「学べば学ぶにつけて」いわゆる「抑止力」として不可欠だ、と歯の浮くようなことを言い、のちに子どものアカンベエさながら、海兵隊の「抑止説」は「方便」だったと自ら認めましたが、〝語るに落ちた〟とはこのことです。
 アメリカの国防長官だったワインバーガーは1982年の米上院歳出委員会で、「沖縄の海兵隊は、日本の防衛に当てられていない」と公言しています。1992年の米下院軍事委員会で国防長官のチェイニーも、「米軍が日本にいるのは、何も日本を守るためではない。米軍は、みずから必要とあれば常に出動できるための前方基地として日本を使用できることである。しかも日本は米軍駐留経費の75%を負担してくれる。極東に駐留する米海軍は、米国本土から出動するよりも安いコストで配備される」、とヒミツを明かしています。
 米国防総省も「日本の高額支援のおかげで、米軍を配備するのに、日本は米国内も含めて世界でもっとも安上がりの場所になっている」、とホクホク顔で認めています。そのうえに、なおも「思いやり予算」と称して、日米地位協定に明文規定がない駐留経費を毎年献上しているのだから、アメリカにとってはコタエラレナイでしょう。
 沖縄米総領事をつとめたことのある米国務省のケビン・メア日本部長が3年ほど前、沖縄県民は「ごまかし、ゆすりの名人」と述べて話題になりましたが、これは主客転倒もはなはだしい言いがかりで、アメリカこそ「ゆすり、たかりの名人」ではないか、とわたしは言いたい。
 沖縄の民衆は鳩山政権の普天間基地の辺野古回帰案に、2010年4月に読谷村に9万人が結集した〝沖縄県民集会〟で答えました。引き続くオスプレイの沖縄配備に対しても、昨年9月に宜野湾市に10万人が結集した〝沖縄県民集会〟で県民の抗議として示されました。
 安倍政権はサンフランシスコ講和条約発効から61年目のことし4月28日、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を東京で開催しました。しかし、この日を「屈辱の日」とする沖縄県では、県議会の中立・野党会派や各種団体の呼びかけにより、宜野湾市における政府式典に抗議する「屈辱の日」大会で対抗しました。わたしはこの「主権回復」と「屈辱の日」の対照的な両大会ほど、日本の政府と沖縄の民衆の根深い断絶を象徴するものはないと思います。
 安倍首相は衆参選挙の圧勝と野党の崩壊をこれ幸いとばかり、憲法改正に向かって動き出しています。安倍の盟友の麻生太郎副総理の口からは、「ナチスの手口に学んだらどうか」といった、それこそ麻生のいわゆる〝未曾有〟(みぞうゆう)の発言まで飛び出すほどです。
 これに安倍首相の憲法改正の〝太刀持ち〟か〝露払い〟のごとき存在で、米海兵隊の司令官に「風俗業の活用」を勧めた日本維新の会の橋下徹を加えると、日本の政治家の〝3馬鹿大将〟の〝そろい踏み〟となるわけで、つくづく日本の政治と政治家が劣化してきていることを痛感せざるを得ません。
 いま、フクシマと沖縄を並べて、現代日本の〝差別と棄民の構造〟の典型として見てきましたが、沖縄の差別は近現代史の文脈のなかでより構造的で、新崎盛暉のいわゆる「構造的沖縄差別」という言葉がぴったりするように思います。

 

追記


 上記報告に関連して、全国環境教育ネットワーク会員の横山光さん(中嶌哲演・土井淑平編『大飯原発再稼働と脱原発列島』、批評社、2013年の第六章「原発を水際で止めた先手必勝の闘い ― 青谷原発阻止運動の記録」の共同執筆者)は、2013年8月の全国環境教育ネットワークの夏巡研で訪問した福島県二本松市の浪江町仮設住宅の話をしました。
 この仮設住宅に避難している住民は、「わたしたちはまるで国から捨てられているようだ」と語り、案内者も「これは国の棄民政策の結果ですからね」と付け加えたそうです。横山光さんは「事故から2年を過ぎ、政府や東電から省みられない現状を伝えてほしい、との訴えが心に響いた」、との感想を寄せています。

 

(注)本稿は当日の報告に若干加筆したものです。