脱原発コラム

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コラム1 大飯原発の再稼働に抵抗する大阪府市と周辺自治体

 

 大阪府市の統合本部会議が4月10日、大飯原発の再稼働についての府市の専門家会議「エネルギー戦略会議」の8条件を了承したことは、本HPの講演補論の《追記2》「橋下徹ら大阪府市の脱原発への具体的な提案」で紹介し評価した通りです。これについて若干の異論ないしは疑問が、わたしの参加している脱原発のネットワークのMLで寄せられましたので、少しばかり補足しておきます。
 まず、わたしは、維新の会は民主と自民の間に割って入る、第3局の新保守政党という位置づけをしています。いわゆる革新政党ではありません。わたしは民主も自民も保守が割れて、お互いの足を引っ張るのは、よいことだと思っています。民主党内でも再稼働に異論が噴出し始めたのも喜ばしいことです。とりわけ、維新の会のような新保守のなかから、原発の再稼働に待ったをかけ、脱原発を唱える政党が登場したのは、歓迎できる事柄です。
 日本の議会政治と政党政治の現状をリアルに見るならば、いわゆる革新政党(社民、共産)や緑の党が、脱原発に影響力を持ち得るとは考えられません。わたしはこれまでの反原発の市民運動では、社会党・県総評ブロックと関係を持ってきましたが、いまの社民に力はなく、総評のあとの連合は見ての通り、民主党のなかで最大の原発の推進勢力です。
 わたしは現在の議会制度と政党制度の「枠内」ではと「条件」をつけて、しかもいま進行している事態から判断すればとの限定付きで、再稼働に待ったをかけ得るのは維新の会しかない状況ではないか、と自らの考えを申し上げたつもりです。これは橋下徹や維新の会の評価うんぬん以前の、現下の議会政治と政党政治の動向についての、わたしの率直な政治的状況判断です。
 しかし、原発の再稼働か脱原発かの選択の決定権は、議会制度と政党制度だけが握っているわけではありません。これらの制度の枠にとらわれず、地元自治体もあれば市民運動もあるわけで、再稼働に反対しているのが維新の会だけだとは考えていません。わたし自身も市民運動にかかわっている1人です。

 なかでも、原発の再稼働の一番の防波堤になる可能性があるのは、地元自治体と周辺自治体です。げんに、大阪府市の8条件に続いて、4月17日に京都府と滋賀県が7項目からなる「国民的理解のための原発政策への提言」で示したように、大阪府市だけでなく大飯原発の周辺自治体が抵抗しているのは周知の通りです。

 京都府と滋賀県の7提言は、原子力規制庁の早期設置、老朽化した原発の廃炉計画など脱原発依存実現の工程表づくり、使用済み核燃料の最終処理体制の確立の見通し、今夏の電力需給状況を電力事業者の提出資料だけでなく第三者委員会を設けて明らかにすること、などを求めています(『東京新聞』2012年4月17日夕刊の「原発再稼働 緊急性証明を/滋賀・京都 7項目の政策提言」など)。

 福島県の佐藤雄平知事も、「政治的な判断で再稼働の議論をするのは、被災県として忸怩たる思い。本当に原発事故の厳しさ、実態をわかっているのか」と述べて、政府の対応を批判しています(『朝日新聞』2012年4月13日の「再稼働の議論忸怩たる思い/福島知事が政府批判」)。

 橋下徹ら維新の会の日の丸・君が代の押し付けや労働組合の敵視政策など、批判や疑問が多々あることはわたしも承知しています。その同じ橋下が提起する脱原発に胡散臭さを感じるのも致し方ない面があります。わたしを昨年講演に呼んでくれた鳥取県の高教組の人たちも、もっとも関心をもつ教育問題での橋下の姿勢に大変な危機感を抱いていました。この点はわたしも理解できます。
 しかし、そのような橋下と維新の会が脱原発や発送電分離を提案していることについては、各人の拠って立つ立場や力点の置き所から評価が分かれるでしょう。かれらが8条件を本当に貫こうとするかどうかを見極めなければなりませんが、それを本気で大筋において妥協せず貫くならば、わたしは脱原発の1点において提案を支持します。絵に描いたような理想の政党などどこにも存在しない以上、支持も不支持も消去法的で限定的なものになります。少なくともわたしの場合は、坊主憎けりゃ袈裟までも、ではありません。
 大阪府市の特別顧問に元通産省官僚の古賀茂明や環境エネルギー政策研究所の飯田哲也 が就任し、かれらが「エネルギー戦略会議」の人選を進めたとされ、そのメンバーのなかに脱原発弁護団全国連絡会代表の河合弘之や環境経済学者で立命館大学教授の大島賢一らが加わっていることに、わたしは注目しています。
 大島賢一は「教育などで橋下さんの考えは一市民として支持できない」としながら、それでも「橋下さんをもってしか原発再稼働は止められない」として、メンバーを引き受けたと言いますが、これはわたしの考えに近いものです(『朝日新聞』2012年4月20日の「橋下流考 再稼働批判 熱する論議/エネ戦略会議 向かう先は」)。
 橋下徹がポピュリスト政治家であることは否定できませんし、大衆向けのリップ・サービスに終始していると思う人もあるかも知れません。だが、わたしは上記の政治の動向と理由から関電vs橋本の対決に注目しています。いかなる体制の変革も体制の内部から、崩壊や変化の兆しや動きがなければ、きわめて困難であろうと確信するからです。
 余計なことながら、歴史というものは圧倒的な既成事実を重しとしていて、人びとの目的意識的行為だけで動くものではなく、想定外のハプニングが複雑にからんで展開するものです。橋下徹の登場もそのようなハプニングの一つです。そのハプニングがどう転ぶかは、市民を含めたさまざまな勢力の意思と制度や構造のせめぎ合いにかかっていると考えます。
(2012年4月21日記)