講演録

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土井淑平 講演
「アメリカの世界支配と対米従属からの脱却
― イラク戦争と金融危機の衝撃を受けて ― 」

目次

 

二 世界を震撼させたイラク戦争と金融危機

 1 イラク戦争の本当の敗者はアメリカである!

 さて、いよいよイラク戦争を取り上げますが、全世界の民衆がイラク戦争の開戦に反対して、ベトナム反戦運動を上回る史上空前のデモで抗議したのも、ついきのうのことのようです。すなわち、開戦直前の2003年2月14日の週の週末だけで、「ブッシュのプードル犬」としてイラク戦争に突入するイギリスのロンドンで史上最大の100万人、やはりイタリアのローマで史上最大の100万人、ベルリンでも戦後最大の50万人、ニューヨークでもベトナム戦争当時を上回る30万人をはじめ、全世界の60カ国・400都市・1000万人の民衆が、デモに立ち上がりました。
それだけではありません。イラク開戦前夜の米英の暴走の危機に立つ国連安保理では、米・英・スペインを除く12カ国が武力行使容認の米英新決議案に反対し、理事国以外の公開討論でも米英寄りは日本・韓国・オーストラリアなどのわずか10カ国にとどまり、62カ国のうち約50カ国が武力行使に反対し査察継続と平和的解決を主張しました。
イラク戦争に反対する各国の主張は国連の場以外でも相次いで表明されました。具体的には、フランス・アフリカ首脳会議(52カ国)、それから非同盟諸国会議(114カ国・機構)の首脳会議、アラブ連盟(22カ国・機構)の首脳会議、イスラム諸国会議機構(57カ国・機構)の首脳会議、東南アジア諸国連合(10カ国)の外相会議などが、2003年2月から3月にかけて、それぞれ査察継続・平和的解決・イラク攻撃拒否などの共同宣言や特別声明を発表しています。
こうした広汎な国際社会の包囲網を強引に突破し、イラクには大量破壊兵器が存在するとのデマ宣伝をデッチあげて、アメリカは“衝撃と畏怖”作戦などといったものものしいキャッチフレーズを掲げ、イギリスなどを引き連れて無法なイラク戦争に突入しました。
その後の経過は新聞などで皆様もご承知の通りで、皮肉にもアメリカの勝利宣言のあと本格的な戦闘が始まり、どろ沼の内戦状態のなかでオバマ政権のイニシアティブによって、ついにアメリカも2011年末までの米軍の撤退を余儀なくされました。いわば“第2のベトナム”の“敗退の道”ですね。
あとで話しますように、イラク戦争はアメリカ自身にも世界全体にも大災厄をもたらしたおぞましい出来事ですが、この戦争の本当の敗者はイラクだけでなくアメリカ自身でもあったのです!
アメリカがイラク戦争の本当の敗者というのは、わたしが奇をてらって勝手に言っていることではありません。アメリカのノーベル経済学賞の受賞者のジョセフ・スティグリッツがリンダ・ビルムズとの共著でそう主張し、アメリカにとって「イラク戦争は初めから負け戦だった」と書いています。(注2)ジョセフ・E・スティグリッツ/リンダ・ビルムズ、楡井浩一訳『世界を不幸にするアメリカの戦争経済』(徳間書店、2008年)
それでは、イラク戦争の勝者は誰であったのかと言うと、アメリカの大手の軍需産業と石油産業です。たとえば、ブッシュ政権の副大統領のチェイニーが最高経営責任者(CEO)だったハリバートンの株価が229パーセント上昇したことに象徴されるように、アメリカの大手軍需産業は濡れ手に粟の利益をむさぼりました。
のみならず、イラク戦争によって原油価格が開戦前の1バレル当たり20ドルから戦争後100ドル近くまで高騰し(現在は75ドルくらいですが)、そのあおりで世界の経済も企業も庶民も大打撃を受けたのを尻目に、エクソン・モービルを筆頭とするアメリカの大手石油会社がぼろ儲けをしたのです。
アメリカは強大な軍事力にもかかわらず、イラクを制圧も収拾もできず、かえって世界を危険な状態に陥れ、自らの経済と財政に莫大な負荷つまり借金を抱え込み、国際的な威信も信頼も失って、全世界で脱米ないしは反米の旋風に見舞われることになったからです。
いずれにせよ、イラク戦争のあとアメリカの威信と評判が史上最低のレベルまで落ち込んだのは当然です。これもわたしが勝手に言っていることではなく、世界の各種の世論調査でもはっきりと現われていることです。たとえば、アメリカのピュー研究所の調査で、アメリカに対する好感度がイラク戦争後、調査対象の26カ国のうち23カ国で下落したのをはじめ、アメリカは世界平和に対する脅威度でイランを凌駕し、そのアメリカの脅威度は北朝鮮よりも高い、という結果が出ています。
ブッシュ前大統領はイランや北朝鮮を“悪の枢軸”呼ばわりしましたが、むしろアメリカこそ“悪の大枢軸”だと世界は感じているわけです。アメリカの言語学者で反体制知識人のノーム・チョムスキーが言ったように、“テロとの戦い”を言い立てるアメリカこそ“テロ国家の親玉”なのです。

 2 イラク戦争で破壊された国土と奪われた人命

 9・11事件を受けイラク戦争に先立って、おこがましくも不朽の自由”作戦の名の下に、2001年10月にアメリカが始めたアフガン戦争は、カスピ海周辺の石油と天然ガスの確保を狙って起こした侵略戦争ですが、その年の暮れまでに少なくとも約4000人の民間人が犠牲になり、それだけで約3000人の9・11事件の世界貿易センタービルの犠牲者を上回りました。ニューヨークに本部を置く国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチなどの数字をとりあえず集計にすると、2006年から4年間に6700人余りの民間人が犠牲になっています。
アフガニスタンは文字通り戦火で母国を追われた難民の国で、1979年12月の旧ソ連軍の侵攻で60万人の難民を出し、1989年に旧ソ連軍が撤退したあと内戦が勃発したため、パキスタンやイランに逃れた難民が630万人を数えましたが、9・11事件以後は500万人の難民がパキスタンに、240万人の難民がイランに避難しました。
アルカイダやタリバンを狙ったとする米軍やNATO軍の空爆は、多くの市民を巻き添えにして犠牲を拡大していますが、そこへ持ってきてオバマ大統領による懲りないアフガニスタン増派の追い討ちですから、これはたまったものではありません。(地図1「中近東と湾岸諸国」参照)
一方、アメリカが“衝撃と畏怖”作戦と銘打ったイラク戦争は、まさにそのキャッチフレーズ通りアフガニスタンの現実と同様、イラクの国土と経済と社会と国家の主権をめちゃくちゃに叩き潰しました。アメリカはめちゃくちゃに破壊しておいて、再建と言うのだからいい気なものです。石油省と石油施設は米軍に厳重に警戒させたが、メソポタミア文明やイスラム文明の貴重な文化財は盗難と破壊にまかせたのも、イラク戦争の貪欲で野蛮な性格を露骨に示しています。
まず、イラク戦争の犠牲者から見ていきますと、2010年1月のAP通信の集計によるイラク開戦以後の有志連合軍の死者は4684人で、そのほとんどは米兵ですが、米兵1人に対するイラク側の死者は100人以上とされます。
一方、イラク側の死者について、ブッシュ大統領は2005年12月の演説で3万人前後だと言及しましたが、むろんこんな数でないことはさまざまな民間の調査からも明らかです。たとえば、2008年の米英の学者による非政府組織(NGO)の「イラク・ボディー・カウント」の調査では、イラク人犠牲者は8万人~8万8000人で、それもいまでは10万人の大台に近づいているようです。 世界保健機構(WHO)が2008年1月に発表したイラク人犠牲者はその3倍の15万1000人です。
だんだん大風呂敷を広げていくようで恐縮ですが、イギリスの医学誌「ランセット」は2007年7月、イラク戦争勃発から2006年6月までのイラク人犠牲者は約65万5000人に達する、とのジョンズ・ホプキンス大学の衝撃的な推計値を掲載しました。これをもとに、イギリスの世論調査会社「オピニオンリサーチビジネス」が、「イラク・ボディー・カウント」の試算を参考にはじき直したところ、イラクでは100万人が死亡しているというのです。
イラクは人命の喪失に加えて、社会の崩壊の危機にさらされています。その結果として大量の難民が発生していますが、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が2007年8月、イラクの難民は420万人と推定されるという調査結果を発表しています。これはイラク国民の7分の1に相当しますが、そのうち200万人が国内に避難し、140万人以上がシリアに、50万人から75万人がヨルダンに逃れたとされます。
国連難民高等弁務官事務所によれば、「国外脱出したイラク人のうち数千名は、拷問、性的虐待、性差別にもとづく暴行、自動車爆弾等の攻撃の被害者であり、一刻も早い治療を必要としている。また、イラク国内の子どもの大多数は学校に通っていない」といいます。
こうしたイラクの惨状を目の当たりにすると、2006年12月のイギリスBBCとのインタビューにおいて、国連のアナン前事務総長がイラクを「内戦状態」と断言したうえで、「一般国民が、残忍な独裁者がいても、今よりもましだったと考えるのは理解できる」と語ったのもうなづける話で、おぞましくもイラク戦争がパンドラの箱を開けたことは疑う余地がありません。

 3 イラク戦争で膨大な借金を背負い込んだアメリカ

 イラク戦争でアメリカは膨大な借金を背負い込みました。これからイラク戦争にかかったコストを見ていきますが、ブッシュ政権の高官たちはそれを低く見せようとしました。たとえば、イラク開戦直後の2003年4月、ABC放送のインタビューに登場した人気のある高官の1人のアンドリュー・ナツィオス国際開発庁長官は、「アメリカの負担分は17億ドルだけです」と言い、それ以上はアメリカの納税者は負担しなくていい、と視聴者を安心させるような主張をしたのです。
しかし、これはトンデモナイ話で、さきに紹介したスティグリッツの分析によれば、イラク戦争とアフガン戦争でアメリカが背負い込んだコストは、控え目に見積もっても3兆ドルで、このうち約40パーセントは外国からの借金でまかなわれると分析しています。近年、ドル/円は1ドル100円のラインを上下に揺れ動いていますので、分かりやすい目安としてかりに1ドルとすると、3兆ドルは300兆円です。
3兆ドル(300兆円)は本年度の日本の国家予算である95兆円の3年分に当たります。(拙著の序論18ページの3兆ドル=35兆円は315兆円のミス、三一五の一五を十五と漢数字で書いたためのミスです)
この3兆ドルというアメリカが抱え込んだイラク戦争のコストのなかには、むろん金やコストに替えられない人の命の尊厳は含まれていませんが、①兵士や武器など直接的な軍事活動のコスト②負傷した兵士や退役軍人の医療費のコスト③こうした政府の財政的コストに反映されない兵士と家族の社会的・経済的コスト④イラク戦争が引き起こした原油高による経済的コスト ― をひっくるめてはじいた数字です。
このうち、①の兵士や武器など直接的な軍事活動のコストつまり狭い意味でイラク戦争の戦費をとって見ても、朝鮮戦争の2倍以上、ベトナム戦争の1・5倍、湾岸戦争のほぼ10倍と言われます。ちなみに、イラク戦争の1兵士当たりの直接費用は40万ドル(1ドル100円では4000万円)になるそうです。
④のイラク戦争に起因する原油高は、開戦前の1バレル当たり20ドルだった原油の価格を一時100ドル台にまで押し上げました。1昨年7月には1バレル当たり148ドルという史上最高値に急騰し、その3カ月後に半値以下に急落していますが、この急騰・急落はイラク戦争の余波でもあり投機マネーの動きによるものでもあります。
ところで、いま解説したトータルで3兆ドル(1ドル100円として300兆円)というイラク戦争のコストは、アメリカの負担分だけの数字でありまして、他の国に課されるコストも合わせると、イラク戦争の総コストは3兆ドルの2倍の6兆ドル(1ドル100円では600兆円)になる、とスティグリッツは指摘しています。このうち、世界が直接負担するイラク戦争による原油高による経済的コストはマクロ経済的な影響を勘案すると、控え目な試算でも約1兆1000億ドル(つまり110兆円)と見積もられています。
ところで、イラク戦争の戦闘に軍隊を派遣しなかった日本も、イラク戦争のコストを背負わされていることを忘れてはなりません。日本政府の米国債の買い支えが、イラク戦争で財政赤字を膨張させたアメリカの戦費の調達に関与していることは、あとで取り上げるとして、イラク戦争による原油高によって、日本が背負い込まざるを得なかったコストは3070億ドル(つまり30兆円)である、とスティグリッツが見積もっていることを指摘しておきましょう。

 4 金融危機の影の車を押したイラク戦争

 イギリスや日本などひと握りの国々を除いて、ほとんど全世界の政府と民衆の反対に逆らい、国際法を踏みにじって行なわれたイラク戦争は、まさに国際社会の法と秩序を破壊するアメリカの強盗行為に等しいものでした。まずもって、イラク戦争はいま見てきた人命の破壊や戦争の膨大なコストに加えて、国際社会と国際政治を大きく揺さぶったところの、世界的な政治上の大災害だったことをはっきり認識する必要があります。
つぎに、イラク戦争が引き起こした原油高によるコストに止まらず、この戦争がマクロ経済的にみても世界的な経済上の大災害だったことを指摘しておきたいと思います。実はこの世界的な経済上の大災害のなかに、アメリカ発で全地球を大激震に巻き込んだ金融危機も含まれるであり、この金融危機の影の車を押したのがイラク戦争だったのです。
今日の金融危機は一般庶民にはなかなか分かりにくいのですが、2008年9月にアメリカの証券会社のリーマン・ブラザーズの破綻によって表面化した金融危機は、信用力の低い低所得者向けの住宅ローンのリスクを隠すため証券化して金融商品に紛れ込ませ、全世界で大量に販売していたサブプライム・ローンの危機に端を発します。
このサブプライム・ローンのほとんどは変動金利のローンだったため、日本の日銀に当たるアメリカの中央銀行の連邦準備制度理事会(FRB)がそれまでの記録的な低金利を撤回して、金利を引き上げていったため住宅バブルがはじけてしまいました。低金利のサブプライムで住宅ローンを組んでいた多くの人たちは、その変動金利の上昇でローン負担を払えなくなり、つぎつぎと破産状態に追いやられていったのです。
このサブプライムの住宅ローンの借り手が破綻することによって、サブプライム・ローンに関連する金融商品の価格や株価が暴落し、これを購入していた世界各国の大口投資家の金融機関が甚大な損失を受ける、といった経緯で金融危機が連鎖反応的に全世界に拡大していったわけです。
むろん、この金融危機の発信元であるアメリカの金融界も、大手金融機関の吸収合併や公的資金の注入などの大激震に見舞われましたが、サブプライム危機とリーマン・ショックは、イギリス・フランス・スイス・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・ドイツ・ギリシア・アイルランド・アイスランドなどのヨーロッパ諸国、ひいてはまた、日本・中国・シンガポール・インドなどのアジア諸国から中東諸国やロシアや東欧諸国にまで全世界に波及し、文字通りグローバルに地球を駆け巡ることになりました。
ところで、この地球を駆け巡ったグローバルな金融危機はイラク戦争が影の車を押したのです。これもわたしの勝手な憶測ではなく、実はさきほどから取り上げているスティグリッツが指摘していることです。イラク戦争の勃発はアメリカの株価総額を4兆ドル(つまり400兆円)も減殺し、企業は富を減らし消費も低迷させて、アメリカ経済を弱体化しましたが、中央銀行に当たる連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン議長は、このイラク戦争のマイナス効果を相殺して隠すため、金利の引上げを見送り金融機関の貸出基準の緩和に目をつぶって、変動金利型の住宅ローンを国民に推奨して借金を膨らませていったというのです。
当然のことながら、金利が上昇に転じるのは時間の問題で、金利が上がり始めると、変動金利型を採用していた数十万の国民は、支払い能力以上の返済を迫られ、最後には自宅を手放さざるを得なくなるという始末です。「イラク戦争は石油が主目的」とあけすけに語ったのは、金融崩壊の元凶とも言われるこのグリーンスパンですが、18年間もFRB議長として金融界に君臨したグリーンスパンにしてみれば、ときの米政界のボスや富裕層を代弁してイラク戦争に肩入れしたのも、当然の成り行きだったのかも知れません。
アメリカ国民は住宅バブルの時代に低金利政策に誘導されて、住宅ローンをはいめ借金をますます膨らませていきましたが、これと裏腹の関係にあるのが、アメリカの個人貯蓄率の低さです。なんと2005年と2006年には2年連続で、アメリカの個人貯蓄率はマイナスを記録しました。これは稼ぐ以上に家などを担保に借金をしてきたからです。
金融危機は遠い国の昔の出来事ではありません。つい最近、退職金でサブプライム関連の金融商品を買って、大損したという人を私は知っています。リーマン・ショックの被害者は身近にいるのです。実際、日本の経済のあらゆる領域に、その影響と余波が及んでいます。大量の失業者が出て、どこのハローワークも満杯です。この鳥取でも昼の店も夜の街も閑散としているではありませんか。かつて大店法による郊外型の大型スーパーの導入によって中心市街地が寂れていったように、アメリカ型の新自由主義下のグローバル資本主義の影響は鳥取にも確実に及んでいますし、しかもそれと意識せずイラク戦争と金融危機が影を落としているのです。

 

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