フクシマはどこへ行ったのか?

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フクシマはどこへ行ったのか?

 

日時=2014年10月25日(土)11:00~12:00
場所=鳥取県米子市
集会=第64次鳥取県教育研究集会分科会「環境・公害と食教育」
主催=鳥取県教職員組合/鳥取県高等学校教職員組合
講演=「フクシマはどこへ行ったのか?」
講師=土井淑平

録画=トリックスター工房

 

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1 フクシマの汚染と避難の状況

 

(1)ノドもと過ぎれば暑さ忘れる

 

 これから1時間ほど、「 フクシマはどこへ行ったのか?」とのタイトルで、お話させていただきたいと思います。きょうの教育研究集会の全体集会の冒頭で朗読されたフクシマの詩人の詩に関連する話です。
 わたしはことし5月17と18日、福島県いわき市で行なわれた反原発運動全国連絡会の総会、および、フクシマの被災現地視察に参加してきました。そこでの見聞の概要は、5月25日に鳥取市で原水爆禁止鳥取県民会議などの主催の講演で報告しました。
 反原発運動全国連絡会には、わたしたちが青谷原発立地阻止運動に取り組み始めた1980年代初頭から参加していますが、今日まで30数年も続いている老舗の反原発運動最大の全国ネットワークです。
 月刊で『はんげんぱつ新聞』を発行し、各地の情報と経験を交流する重要な媒体となっていまして、現在、2000部余り出ています。わたしはその反原発新聞鳥取支局の世話人をしています。
 ことし春の原水禁での講演と画像はだぶりますが、きょうの教育研究集会でもう一度紹介し、フクシマの事故について再考したいと思います。わたしが特に訴えたいのは、きょうのテーマである「フクシマはどこへ行ったのか?」という問題です。
 安倍政権はまるでフクシマの事故などなかったかのように、原発の再稼働や原発の輸出に血道を上げていますが、いったいフクシマの避難者や高濃度汚染地帯や放射能汚染水や廃炉の作業は、どうなっているのか改めて問いたい。
 この国には、「ノドもと過ぎれば暑さ忘れる」という諺がありますが、この恐るべき忘却と目先のことしか目に入らない視野の狭さは、日本の社会と文化の救いようのない暗部を象徴しています。
 わたしは昨年11月に『フクシマ・沖縄・四日市』(編集工房朔発行、星雲社発売)という新著を出しました。その第一章「フクシマ ―放射能汚染と原発難民」で、フクシマの事故で重要な論点を凝縮してまとめましたので、きょうはその論点のさわりも皆様にお伝えしたいと思います。
 さて、これから、パワーポイントで資料と写真を見ながらお話します。

 

(2)フクシマの汚染の状況

 

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 2 「フクシマ事故」の写真から始めます。この写真は2011年3月21日、東電撮影の福島第一原発3号機の水素爆発後のけむりが流れる残骸です。
 周知のように、福島第一原発では1号機から3号機まで炉心溶融いわゆるメルトダウンと爆発を起こし、停止中の4号機も爆発を起こして原子炉建屋の屋根が丸裸となりました。その結果、大量の放射能すなわち放射性物質が放出されて、広範にまき散らされたことは、皆様も御承知の通りです。
 まず、フクシマの汚染の状況を3 「フクシマの汚染地図」で見ておきましょう。この地図は『朝日新聞』(2011年9月28日)から取ったセシウムの蓄積量で、高濃度の汚染地帯が250キロ先の群馬県と長野県の県境にまで及んでいます。
 この地図で真っ黒な部分は1立方メートル当たり60万ベクレル以上、次に濃い灰色の部分が6万から60万ベクレル、さらに薄い灰色の部分が3万から6万ベクレルの範囲です。
ちなみに、日本の法令では、セシウムが4万ベクレルを超えると、「放射線管理区域」に指定することになっています。地図の薄い灰色の3万から6万ベクレルの範囲がほぼこれに相当し、それが250キロ先にまで及んでいます。
 フクシマの原発事故では、セシウムの汚染で本来なら「放射線管理区域」に指定すべき高濃度の汚染地帯が、福島県の3分の2を占め、ここで150万人の住民が生活しています。
 しかも、その「放射線管理区域」に相当する汚染地域は、福島県だけでなく宮城、茨城、栃木、群馬県なども含めると、本州の11分の1の面積の2万平方キロで、ここに200万人が住んでいると推定されます。
 京大原子炉実験所の小出裕章さんはこう警告しています。「法治国家と言いながら、自分で決めた法律のいっさいを反古にして、人々に被曝を強いているのです」(小出裕章『100年後の人々へ』、集英社新書、2014年)。
 「(京大原子炉実験所で放射線業務に従事する)私のような人間しか入っていけない上に水すら飲んではいけない場所に、一般の数百万人が普通に生活している、という異常な状態であることを、はっきり認識してほしいと思います」(『人民新聞』2014年5月15日のインタビュー)

 

(3)フクシマの避難の状況

 

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 つぎに、フクシマの避難の状況を4 「フクシマの避難区域」で見てみましよう。事故当初、福島第一原発から20キロ圏内は「警戒区域」、20キロから30キロの圏内に「緊急避難準備区域」、さらに、20キロから50キロの圏内に「計画的避難区域」が設定されました。
 このうち、20キロ圏内の「警戒区域」は立ち入り禁止、さらに20キロから50キロの圏内の飯館村を含む強い汚染の「計画的避難区域」も避難対象となりました。
20キロから30キロの圏内の「緊急避難準備区域」は、自主避難勧奨の対象となりましたが、この自主避難勧奨は住民を混乱に陥れ、「政府の責任の放棄」と批判されているものです。
 5 「避難区域の再編」の地図で示したように、この事故当初の避難区域は、事故から2年目の昨年3月、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3区域に再編されました。
 まず、最初の「帰還困難区域」は、年間の放射線量は50ミリシーベルト超で、事故1年の2012年3月から数えて、5年以上戻れない区域です。
 つぎに、「居住制限区域」は、年間20ミリシーベルトから50ミリシーベルトで、数年で帰還を目指す区域です。
 最後の「避難指示解除準備区域」は、年間20ミリシーベルト以下で、早期帰還をめざす区域です。
 あとでスナップ写真を見ますが、わたしがこのあいだの反原発運動全国連絡会のフクシマ被災地現地視察で訪れたのは、いわき市から北上して広野町、楢葉町、富岡町です。
 この「避難区域の再編」の地図で見ますと、広野町は「緊急時避難区域」を解除されて住民の帰還政策が進められています。楢葉町と富岡町は立ち入り禁止の「警戒区域」でしたが、楢葉町の大半は「避難指示解除準備区域」に、富岡町は「居住制限区域」と「帰還困難区域」に再編されました。
 そして、この10月1日から川内村の東部に設定されていた「避難指示解除準備区域」の避難指示が解除されました。
 わたしはフクシマの汚染地帯への帰還政策を進める政府の政策は誤っていると考えます。この問題については科学的な見地から、最近出たばかりの『福島への帰還を進める日本政府の4つの誤り』(旬報社、2014年9月)という本が参考になります。
 そのなかで、北海道反核医師の会の松崎道幸医師は、被災地域の被ばくデータを具体的に比較検討したうえで、被ばく量や被ばくのリスクなどを小さく見積もっているとして、「日本政府の4つの誤り」を指摘しています。
 むろん、わたしにも、自分のふるさとに帰りたいというフクシマの住民の悲願は、痛いほど分かります。しかし、それは高濃度の汚染地帯に住民 ― なかんずく、子どもや若者を投げ込むに等しく、わたしは大きな問題であると考えます。
 周知のように、フクシマの事故直後、福島第一原発の近隣町村の住民は役場ごと、他市町や他県に避難しました。
 たとえば、浪江町は二本松市に、双葉町は内陸部の川俣町を経て埼玉県のさいたま市ついで加須市に、大熊町は会津若松市に、葛尾村は会津坂下町に、富岡町と川内村は郡山市に、楢葉町は会津美里町に、それぞれ役場機能を移しました。
 わたしは、事故の翌年の2012年1月、埼玉県加須市に役場ごと避難していた双葉町の井戸川克隆町長(当時)を訪ねました。6「双葉町の避難先で」の写真の右側が井戸川町長(当時)、左側がわたしです。井戸川元町長は原発を受け入れた町長でしたが、事故後は脱原発を訴え、あす(10月26日)投開票される福島県知事選に立候補しています。
 井戸川町長は「自分も原発を誘致したことに共同責任がある」と認めながら、当時の民主党野田政権の「事故収束宣言」を「とんでもないこと」と怒っていました。
井戸川町長はわたしたちが取り組んだ人形峠のウラン残土問題についても、「人形峠の加害者である原子力研究開発機構がフクシマの事故処理をすることをわたしは認めない」と語っていましたので、その井戸川町長から「人形峠の状況を知りたい」とメールがきたのをきっかけに、加須市の双葉町の避難先を訪ねたのでした。
 住民避難の問題に関連して指摘しておきたいのは、フクシマ事故の2週間後、東京都も含む半径250キロ圏の膨大な住民が避難対象になる、という最悪のシナリオを当時の民主党菅政権が想定していたということです。
 ということは、一歩間違えば、東京都も含む首都圏や関東の大量の住民避難もあり得たということです。

 

2 フクシマの被災地の現地視察から

 

(1)除染廃棄物のフレコンバック群

 

 ここで、フクシマの被災地視察さの写真を何枚か見ていきたいと思います。4 「フクシマの避難区域」に返りまして、わたしたちが反原発運動全国連絡会の現地視察で訪ねたのは、地図の一番下のいわき市から北上して、広野町、楢葉町、富岡町までです。
 5 「避難区域の再編」で見ますと、広野町は「緊急時避難区域」を解除され、楢葉町の大半は「避難指示解除準備区域」に、富岡町は「居住制限区域」と「帰還困難区域」に分けられています。
 被災地の現地視察の案内をして下さったのは、いわき市の市会議員で脱原発福島ネットワークの佐藤和良さんです。その佐藤和良さんに被災地の状況と背景を分かりやすく解説してもらいながら、わたしにとって初めてフクシマの現地に接する得難いひとときでした。
 これからその被災地のスナップ写真を順次紹介します。7 「津波被害①」は、いわき市久之浜の防災緑地工事の現場です。向こう側が海岸で津波に洗われましたが、右手に神社の建物と鳥居が残っているのが目につきます。神社は少し高台にあったため、かすかに津波からまぬかれたのです。

 

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 いわき市の津波の被害は宮城県の仙台市に次ぐと言われ、10万棟の家屋が倒壊したそうです。
 8 「津波被害②」は、いわき市から広野町に向かう途中で目にした、津波に洗われて倒壊した民家の納屋です。
 9 「津波被害③」も、広野町から楢葉町に向かう途中、津波の被害に会いながら、田園地帯にポツンと取り残された民家です。
 広野町は昨年3月の避難区域の再編に先立ち、事故の7カ月後の2011年10月に野田政権により「緊急時避難区域」を解除されました。そして、安倍政権のもとで住民の帰還政策が進められています。
 しかし、案内してもらった佐藤和良さんの話では、広野町の住民6000人のうち戻ってきたのは5分の1の1200人だそうです。
広野町では昨年から学校の授業も再開しました。子どもたちのために隣りのいわき市に仮設住宅を借り上げ、子どもたちをスクールバスで学校に通わせているそうです。

 

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 10 「除染廃棄物のフレコンバック」は、楢葉町の田園地帯に放射能で汚染された除染廃棄物をフレコンバックに詰めて、仮置きしている光景です。楢葉町に入ると、この除染廃棄物のフレコンバックが、あちこちで目につくようになります。
 わたしとってフレコンバックなるものは、人形峠周辺の鳥取県湯梨浜町(旧東郷町)方面(かたも)地区のウラン残土撤去運動で、日本原子力研究開発機構(旧動燃)が撤去対象のウラン残土を袋詰めにしたとき、および、それを搬出するときに目にしたのが最初です。
 その除染廃棄物のフレコンバック群の持って行き場がなく、フクシマの被災地のあちこちに放置されているのにわたしは驚きました。そのフレコンバックの量たるや、人形峠のそれの何十倍何百倍何千倍にも及ぶでしょう。
 なぜなら、ウラン残土撤去運動の方面地区のウラン残土の総量は1万6000立法メートルですが、原子力機構が方面地区との協定に基づいて撤去したのは、そのうちの3000立法メートルにすぎないからです。
 しかも、人形峠周辺の岡山・鳥取県境周辺のウラン鉱山跡地12地区には、総計で45万立法メートルのウラン残土、いまもそのまま現地に野ざらしで放置されているのです。しかし、フクシマの事故で高濃度に汚染された地域の土砂は、その何十倍何百倍何千倍にも及ぶと推定されます。それを考えると、わたしも茫然とならざるを得ないのです。

 

(2)フクシマの被災地とウラン残土堆積場の比較

 

 さて、楢葉町から富岡町に向かうマイクロバスの途上で、フレコンバック群が一望に見渡せる楢葉町の天神原遺跡の小高い丘に設置されている放射線の自動測定器は、1時間当たり0.441マイクロシーベルトを示していました。これを年間に換算すると、3.86ミリシ-ベルトつまり4ミリシ-ベルト弱なります。このたまたま測定した4ミリシ-ベルトについて考えてみます。
 日本の法令で一般人の許容線量が年間1ミリシ-ベルトであることは、皆様も御承知と思います。わたしたちがたまたま測定したフクシマの被災地の高台の4ミリシ-ベルトはその4倍の放射線量です。皆様は御承知でないかも知れませんが、原発の敷地境界の線量目標値は0.05ミリシ-ベルトです。楢葉町の高台の放射線量の4ミリシ-ベルトは、なんとその20倍です。
 ちなみに、わたしたちがウラン残土撤去運動を支援した鳥取県湯梨浜町方面地区のウラン残土堆積場の放射線量は年間換算で、動燃の測定の最大値は31.5ミリシ-ベルトでしたが、やはり動燃の測定による平均値は1.8ミリシ-ベルトでした。
 ということは、人形峠周辺のウラン残土堆積場よりも高濃度の汚染地帯が、フクシマの被災地には広大な範囲で広がっているということです。したがって、そこで住民たちが生活し子どもたちが遊ぶのは、人形峠の鉱山地帯でウラン残土堆積場の上で生活し遊ぶことよりも、はるかに危険なことなのです。
 さきに放射線の管理区域に相当する高濃度の汚染地帯が、フクシマから長野県境にまで広がっていることに注意を喚起しましたが、実際にフクシマの被災地の現場で放射線を測定してみると、とんでもない現実を肌で知ることになります。
 11 「廃屋」は、地震で屋根が崩れた楢葉町の廃屋です。さきの4 「避難区域の再編」の地図で見たように、楢葉町は「避難指示解除準備区域」で、住民は日中は自由に帰宅できますが、夜間の宿泊はできません。

 

 

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(3)すさまじいJR富岡駅と閉鎖された富岡第二小学校跡

 

 わたしたちの被災地現地視察のマイクロバスは、最後に楢葉町から富岡町に入りました。12 「常磐線富岡駅」の壊れた駅舎とホームは津波・地震・原発災害の惨状をいまもありありと伝えています。

 


 東京大学と福島県のチームが福島第一原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」で津波の痕跡を調査したところ、富岡町の21メートル超を最大として、原発周辺で12メートルから16メートル前後の津波の跡を測定しています。いずれも東電が想定していた津波の高さ5.7メートルをはるかに超えています。
 富岡駅前の13 「富岡町のみどころ紹介」の看板も、福島第一原発の事故で一瞬のうちに夢と消えてしまい、打ち捨てられた町となりました。
 14 「子どもたちの未来のために」も、富岡駅前のスナップ写真ですが、電信柱の向こうの屋根に東北電力の看板があります。このスナップ写真では小さくて読めませんが、看板に「子どもたちの未来のために」の文句が刻まれています。

 

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 福島第一原発は東京電力が手掛けましたが、福島県は東北電力の管内で原発も計画していましたたから、こんな看板が残っているのでしょう。それにしても、なんと皮肉な看板でしょう。
 むろん、事故当時、富岡町は「警戒区域」で立ち入り禁止のため、住民は全員避難し学校もすべて閉鎖されました。
 15 「閉鎖された富岡第二小学校」は、その閉鎖された小学校の1つで、現在は「居住制限区域」に含まれます。横づけのクルマはわたしたち視察団のマイクロバスです。この小学校の入口横には幼稚園も併設されていますが、これまた閉鎖されたままです。
 富岡第二小学校に設置されている放射線の自動測定器は、1時間当たり1.538イクロシーベルトを示していました。これは年間に換算して13.5ミリシーベルトになります。

 

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 さきの楢葉町の高台の放射線量の4ミリシ-ベルトに比べても、ものすごく高い放射線量ですね。放射線の管理区域の設定目標値が5.2ミリシ-ベルトですから、13.5ミリシーベルトというと、その管理区域の2.6倍もの放射線量です。
 16 「放棄されたグラウンド」は、草ぼうぼうの富岡第二小学校の校庭の有様です。さきの電力会社の文句を裏返せば、これこそ原発が「子どもたちの未来のために」残したものです。

 

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 富岡町は昨年3月の避難区域の再編により、「居住制限区域」と「帰還困難区域」に二分されました。もう一度繰り返しますと、「居住制限区域」は年間20ミリシーベルトから50ミリシーベルトで、数年で帰還を目指す区域です。「帰還困難区域」は、年間の放射線量は50ミリシーベルト超で、5年以上戻れない区域です。
 わたしたちは被災地現地視察で、富岡町の「居住制限区域」と「帰還困難区域」の境界の場所まで行きました。17 「帰還困難区域につき迂回」は、「居住制限区域」から「帰還困難区域」に通じる交差点の看板です。

 

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 つぎの18 「帰還困難区域につき通行止め」も、「帰還困難区域」に通じる道路の通行止めの看板です。のどかな田舎町や田園風景も目に見えない放射能のため人の住めない土地になっていたのです。

 

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 以上が、反原発運動全国連絡会のフクシマ被災地現地視察で、わたしたちがいわき市から広野町、楢葉町、富岡町までたどった行程のあらましです。視察団は富岡町で折り返して、いわき市まで帰りました。
 案内してもらったいわき市の市会議員の佐藤和良さんの話では、いわき市には被災した双葉郡の避難者が集中し、土地価格の上昇率が全国第3位だということでした。

 

3 フクシマの放射性廃棄物と使用済み核燃料の行くえ

 

(1)放射能の猛攻撃にさらされたフクシマ

 

 ここで、21 「放射線の各種規制値」から、日本の法令が定めている放射線の規制値を見ておきましよう。それによると、一般公衆の被曝許容線量は年間1ミリシーベルト、管理区域設定規制値は5.2ミリシーベルト、放射線業務従事者の被曝許容線量は20ミリシーベルトです。

 

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 原発作業員の通常時の上限は50ミリシーベルトです。しかし、この上限のままだと原発作業員の仕事ができないので、政府は上限の50ミリシーベルトを撤廃しましたが、5年間で100ミリシーベルトは維持しました。
 山下俊一などの御用学者は「100ミリシーベルト以下心配無用」と触れて歩いていますが、100ミリシーベルトといったら、日本の法令で原発作業員に緊急時にのみ、例外として認めざるを得なかった数値です。福島原発の復旧作業員の上限は積算で250ミリシーベルトです。
 それでは、フクシマの汚染の実態はどうか。23 「積算放射線量の推定値」は、わたしが『フクシマ・沖縄・四日市』でつくった地図からの再録で、文部科学省のデータをもとに2年前の2012年3月時点の積算放射線量の推定値を示したものです。それから2年経った現在の積算放射線量がこれをはるかに上回るであろうことは明らかです。
 2年前の積算放射線量によりますと、浪江町の昼曽根で225ミリシーベルト、赤宇木で219ミリシーベルトと異常に高い値を示しています。これらの値はさきに見た福島原発の復旧作業員の上限の250ミリシーベルトに近い。
 つまり、ここに住む住民は福島原発の復旧作業者とほぼ同様の被曝をしているに等しいわけです。このことから、フクシマの被災地は放射線の猛攻撃にさらされている、いわば放射線の空襲警報下にある、とわたしは考えざるを得ません。
 ちなみに、原発から56キロの県庁所在地のある福島市の大波滝ノ入で12.9ミリシーベルトで、さきに見た「居住制限区域」の富岡町の富岡第二小学校の13.5ミリシーベルトに近い。
 内閣府はことし6月23日、フクシマ事故から10年後には帰還困難区域に住んでも、被曝線量は年間20ミリシーベルトを下回るとの推計値を発表しましたが、これとて放射線業務従事者の被曝許容線量に相当するべらぼうな高汚染です。
 放射線の危険度を判断するのに、いま見た規制値が1つの参考になるかと思いますが、これはあくまで行政的なガマン量であって、科学的な危険度はもっと厳しいと考えた方がいい。
 わたしは放射線の危険度を見る1つの目安として、21 「10ミリシーベルトでガン死が3%ふえる」を参考にすることにしています。
 これは北海道反核医師の会の松崎道幸医師が、文部科学省の委託による放射線業務従事者の疫学調査や医療被曝のデータの検証を総合して、最近打ち出した最新の知見です。
 この「10ミリシーベルトでガン死が3%ふえる」は、つぎのことを意味します。現在、日本の男性の3分の1に当たる35パーセントがガンで死亡しているので、その3パーセントは0.35パーセント×0.03=1パーセントに当たり、「100人に1人のガンによる超過死亡」ということなります。この 「10ミリシーベルトでガン死が3%ふえる」=「10ミリシーベルトで100人に1人がガン死する」を、記憶にとどめておいていただければと思います。

 

(2)放射能汚染水のダダ漏れと凍土壁計画

 

 フクシマの放射能汚染水のダダ漏れの問題は、昨年秋のこの鳥取県教研集会におけるわたしのテーマで、ユーチューブに「放射能汚染水のダダ漏れと小泉純一郎の脱原発宣言をめぐって」と題して掲載し、わたしのホームページでも検索できるようにしていますが、興味のある方はそれを見ていただければと思います。
 安倍首相は昨年9月、ブエノスアイレスで東京オリンピック誘致のため、「汚染水はコントロールされており、その影響は完全にブロックされている」、と大見栄を切りました。あたかも、福島第一原発の港湾全体や周辺海域が〝真空パック〟で〝密閉〟されているかのごとき、舌先3寸の大ボラ発言の真っ赤なウソです。こんな見え透いたウソは小学生のアタマでも分かることです。
 25 「凍土壁計画」は、政府と東電が3大原発メーカーの1つで大手ゼネコンの鹿島建設の提案で打ち出した「凍土壁計画」の概略図です。この「凍土壁計画」は福島第一原発の四方に土を凍らせて凍土壁なるものを張り巡らせ、地下水の原子炉建屋への流入を防ごうとするものです。
 しかし、東電は凍土壁の建設に着手したものの、ことし七月には「凍土壁が凍らない」との報道がなされ、この凍土壁計画がうまくいくかどうかは定かではない。海外の専門家も凍土壁が抜本的な解決策とは見ていません。
 そもそも、凍土壁の建設に数百億円もかかるうえ、土を凍らせる冷却用電気代に年間数十億円の巨費を必要とします。福島第一原発の廃炉まで数十年間も凍土壁を維持するとしたら、さらに膨大な費用を食うわけで、「いったい何のための原発か」、と問い直さざるを得ません。
 去る5月から ― それはあの画期的な大飯原発差止めの福井地裁判決が出た日ですが― 東電は原子炉建屋の地下に流れ込む地下水の量を抑えると称し、福島県や関係自治体や漁業関係者を説き伏せて、建屋の山側に掘った12本の井戸から地下水を汲み上げ、これを海に流す「地下水バイパス」による海洋放出を始めました。
 さらに、東電は8月に入って、原子炉建屋周辺の「サブドレン」と呼ばれる井戸43本から汲み上げた高濃度放射能汚染水を、トリチウム(三重水素)を除く放射性核種を除去したうえで、海洋に放出する計画を地元の漁業関係者に打診しました。
 それを伝えるのが、27 「汚染地下水 処理し海へ」の記事です。しかし、漁業関係者はこの計画に同意していません。

 

(3)厄介な放射性廃棄物と使用済み核燃料のあと始末

 

 フクシマ事故によって汚染された膨大な放射性廃棄物の土壌やガレキなどのあと始末も大問題です。きょうの全体集会の冒頭で朗読されたフクシマの詩人の詩の一句に、「土と砂を返して下さい」という言葉がありましたが、そのことに関連して若干の報告をさせていただきたいと思います。
 まず、言いたいのは、政府やマスコミはこともなげに「除染」という言葉を使い、「除染作業」で放射能が簡単に消えるかのような錯覚を国民に与えていますが、これは言葉の魔術によって真実を隠蔽する詐欺的な行為だということです。
 放射能は煮ても焼いても食えないもので、水で流したり消毒して消えるものではありません。一般には、たとえば「除染」というと、まるで近所の排水溝などに薬剤をまいて簡単に消毒できるかのような印象を与えますが、そんな薬剤があるわけがない。結局、汚染されたモノを右から左に移すしかなく、しかも移したからといって放射能が消えるわけでもない。したがって、「除染」は「移染」で、つまり、汚染を移すことしかないのです。
 26 「50キロ先 住宅地にも粉じん」の記事は、東電の福島第一原発のガレキ作業で放射性の粉じんが50キロ先の住宅地まで飛散していた、という内容です。これにより、50キロ近く離れた相馬市では、セシウム濃度が通常の6倍になったと言います。
 23 「中間貯蔵施設の建設候補地」の地図で示したように、放射性ガレキを含む除染廃棄物の中間貯蔵施設の建設候補地は、福島第一原発のある双葉町と大熊町です。
28 「福島県 受け入れ決定」の記事は、福島県が8月に中間貯蔵施設の建設の受け入れを決定したことを伝えるものです。
 ところで、「中間貯蔵施設」と言いますが、わたしたちが取り組んだ人形峠周辺のウラン残土問題、なかんずく、湯梨浜町(旧東郷町)方面(かたも)地区のウラン残土撤去運動の痛切な経験からすれば、「中間貯蔵施設」が「最終処分場」に、つまり、永久据え置きになる可能性はきわめて高く、いずれにせよ廃炉処分ともども解決困難な難題であると言わざるを得ません。
 なぜなら、人形峠周辺の鳥取県湯梨浜町方面地区のウラン残土は、方面地区自治会と旧動燃(現在の日本原子力研究開発機構)の間でウラン残土撤去協定書が結ばれ、スッタモンダの騒動のすえ最終的には住民が訴訟に訴え、20年近くもかかって協定書通りに3000撤去が実現したとはいえ、厄介極まりない〝核のゴミ戦争〟を避けられなかったからです。
 わたしが昨年末の岡山での講演「人形峠が問いかけるもの」で振り返ったように、人形峠の〝核のゴミ戦争〟は、①住民対企業・国・県②鳥取県対岡山県③鳥取県内の自治体間 ― の三重の絡み合いの構造の様相を呈しました。
 おまけに、そのトバッチリはアメリカの先住民の土地にまで及びました。原子力機構は「製錬のため」と称して、ウラン残土の一部である290立法メートルを6億6000万円も投じて、ユタ州のホワイト・メサにあるウラン製錬会社になすりつけたのです。これは膨大な国民の税金を使った、「ウラン鉱石の輸出」どころか「ウラン鉱害の輸出」以外の何物でもありません。
 わたしは人形峠の経験から、フクシマの汚染された土壌やガレキなど、人形峠を何十倍何百倍何千倍も上回る膨大な汚染廃棄物のあと始末にとどまらず、10万年も100万年も毒性が続く廃炉の使用済み核燃料など高レベル放射性廃棄物のことを考えると、本当に目まいがするような茫然自失の気持にならざるを得ません。
 現在、東電は事故を起こした福島第一原発の1号機から4号機まで4機の原発の廃炉作業を進めています。しかし、それは核燃料の取り出しから原子炉建屋の解体までに30年から40年かかるという、わたしたちが生きて目にすることもできない気の遠くなる話です。2日前の新聞で「建屋カバー解体始まる」の記事を目にしましたが、これは核燃料を取り出す作業のためのもので、建屋そのもの解体ではありません。日暮れて道遠しです。
 メルトダウンで溶け落ちた炉心がどこにあるか、そしてまた、いかなる状態にあるかもさっぱり分からない闇のまた闇の中です。いわんや、福島第一原発から取り出した使用済み核燃料はじめ高レベル放射性廃棄物を10万年も100万年も、いったい誰がどこでいかに管理していくのか。
 考えれば考えるほど、政府や当局のいう放射性廃棄物対策なるものは、おとぎ話の空想科学小説や未来小説の世界でしかあり得ない。とどのつまり、〝あとは野となれ山となれ〟の〝タレ流し〟のオチとなることが目に見えています(これについては、わたしの『放射性廃棄物のアポリア』、農文協、2012年を参照されたい)。

 

4 フクシマ忘れて原発再稼働は無責任の極み

 

 (1)フクシマで起きたこと


 いったい、フクシマで、何が起きたのか?わたしはこの『フクシマ・沖縄・四日市』という本のなかで、フクシマで起きたことをつぎの5つの問題点にまとめて、それぞれの実態にあたう限り迫ったつもりです。
 第1に、日本の法令で放射線の管理区域に指定すべき高濃度の汚染地帯で、200万人の住民が生活を余儀なくされ、海と魚を汚染する大量の放射能汚染水の流出が止まらない。
 第2に、ふるさとを追われた原発難民が16万人に及び、ふるさとに帰りたくても帰れない。
 第3に、いのちを切り売りする下請け孫請けひ孫請けの被曝労働者が大量に投入され、これなくしていかなる事故のあと始末もできない状況である。
 第4に、放射能は右から左に移しても消えないので、東電や政府が進めている除染はしょせん移染でしかない。
 第5に、数十年とされる事故炉の廃炉作業は困難を極めざるを得ず、10万年から100万年も毒性が持続する使用済み核燃料はじめ高レベル放射性廃棄物のツケに至っては、誰も責任を取りようがない。
 いま挙げた問題はすべてフクシマの事故とともに始まったばかりであり、何一つとして解決していないどころか、実は解決の見通しもありようのないアポリアつまり難題なのです。

それでも原発再稼働?
 こうしたフクシマの現実を直視するならば、原発の再稼働などもってのほかです。にもかかわらず、安倍政権はまるでフクシマなどなかったかのように、原発再稼働だの原発輸出だのと言い立てているのですから、たまったものではありません。
 去る5月21日、大飯原発3、4号機をめぐって福井地裁は再稼働を認めない差し止め判決を出しました。わたしはこれをのぼせたアタマの過熱した〝原発焦土作戦〟に冷や水をかける〝冷却水〟と受け止めます。
 皆様もご存知のように、2011年の3・11福島第一原発事故以後、日本の電力は基本的に原発なしにまかなわれています。ことしの夏もそうでしたし、この冬も日本の電力は原発なしに需給見通しが立っています。
 去る10月18日の『日本海新聞』は共同通信配信の記事「日本の電力 全国で安定」がそれを伝えています。これによると、北海道電力から九州電力まで日本の電力10社の電力需給は、この冬も原発なしに安定しています。電力の安定供給のためには、余力を示す供給予備率が3パーセント以上なくてはならぬとされていますが、全社がこれを確保できる見通しなのです。
 つまり、日本の原発は電力のために必要ではない。では、何のために原発が必要なのか。これについては、かつて高木仁三郎さんが喝破した通り、日本の原発は「電力の必要」のためではなく、「原発産業の必要」のためにあるのです。わたしは当時もいまもこれは明言だと思います。
 27 「再稼働に向けた審査を申請した原発」は、8電力会社17原発に及びます。このなかには、中国電力の島根2号機も含まれます。政府は「世界最高水準の基準」に従って審査するので、それを通った原発は〝安全〟だとの〝決まり文句〟を繰り返しています。しかし、文字通り「世界最悪」のフクシマ事故の否定しようのない現実をよそに、「世界最高水準」といった言葉がどこから出てくるのか。ブラック・ジョークにもほどがあります。
 32 「川内原発、新基準に適合」の記事が示すように、原子力規制委員会は去る9月10日、九州電力の川内原発1、2号機の審査でゴー・サインを出しました。年明け以降に再稼働となる危険性が高く、全国の反原発・脱原発を求める市民や活動団体は、これを阻止すべくさまざまな抗議行動に立ち上がっています。

 

(2)地震帯と火山帯の上の原発

 

 きのう10月24日、鳥取市にある中国電力鳥取支社前の市民によるランチタイムアピールで、わたしはこう訴えました。昔から怖いものは「地震、雷、火事、親父」とされてきたが、2011年3・11の東北大震災とフクシマ原発災害を経験したからには、この言葉を「原発、地震、津波、火事、親父」と言い換えなければならない、と。怖いものの筆頭にくるのは原発です。
 原発再稼働の動きは九州電力の川内原発1、2号機が先行していますが、沸騰水型原発では島根原発2号機が再稼働第一号になるのではないか、との懸念が地元で出ています。むろん、当面、川内原発の再稼働を何としても止めなければと考えます。
 わたし自身も1970年代の半ばに4年ほど仕事の関係で鹿児島に滞在し、鹿児島大学の橋爪健郎さんらと川内原発計画に反対する初期の市民運動の一端にかかわったことがあるだけに、人ごとではありません。川内原発の足下にある反対派の上野村落の山上で手作りの風車発電を試み、日本のオルターナティブ・テクノロジーのシンボリックな活動の先鞭を切ったのもそのころです。
 鹿児島には川内原発から50キロに桜島、60キロに霧島という活火山があります。とくに、桜島がいまも盛んに噴火活動を展開中であることは、皆様も時折テレビや新聞でご覧になることがあるでしょう。わたしも鹿児島に滞在中の4年間、桜島の噴煙には本当に往生させられました。
 現在の鹿児島湾と桜島は2万9000年前の姶良カルデラの大爆発によって出来たものです。桜島は有史いらい大噴火を繰り返して、第一次世界大戦が勃発した1914年(大正3年)の大正大噴火の噴煙は、九州から東北までほぼ全国を覆っています。
 姶良カルデラの大爆発や大正大噴火の火山灰はこの鳥取県にも飛んで来て、それらの痕跡は地層に地質学の学名をつけて残っています。わたしもうろ覚えで恐縮ながら、桜島の大正大噴火の影響で鳥取の空が曇った話を、たしか祖父から聞いた記憶がかすかに残っています。
 33 「火山対策 原発にも難題」の記事は、御嶽山の噴火で火山対策が原発再稼働にも不可欠の課題として認識され始めたことを示しています。このなかの図にありますように、噴火には3種類ありまして、①水蒸気による小噴火②マグマによる大噴火③カルデラができる巨大噴火です。最近の御嶽山は①の水蒸気噴火、富士山の宝永噴火は②のマグマ大噴火、阿蘇や姶良は③の巨大噴火の例です。
 最近の御嶽山の爆発で、富士山も大爆発の危険性が指摘され、シミュレーションまでなされています。富士山に比べれば大山の爆発の危険性は低いかも知れませんが、それ以前に島根原発は少なくとも22キロに及ぶ活断層の巣の上にあるので危険極まりないのです。
 桜島を抱えた川内原発の危険性は途方もないものです。島根原発で重大事故が起きたら、北西の季節風の圧倒的な影響によって、鳥取県が壊滅的な打撃を受けるであろうことも必至です。
 沸騰水型原発では島根2号機が再稼働第一号になる危険性が高い、と先日わたしたちが松江で総会を行った中国地方の住民運動のネットワーク(正式名称は「中国地方反原発反火電等住民運動市民運動連絡会議」)の合宿で指摘されました。
 それ以前に、わたしはいかなる原発といえども原発再稼働どころか、「フクシマを返せ!」「フクシマはどこへ行ったのか?」、と言いたい。

 

(注1)本稿は、10月25日の鳥取県教育研究集会におけるわたしの報告をもとに、時間の関係やパワーポイントと会場の    パソコンの不適合のため、省略した個所を補填し加筆したものです。
    本稿の写真や図表に番号を振っていますが、上記事情により制作したパワーポイントの7割近くを原画から映せたと    はいえ、番号通りにすべてを公開できませんでした。


(注2)もとの講演は以下に掲載しています。 → クリック!

(注3)本講演のレジュメは以下です。

 

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