講演録

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 土井淑平 講演 
『アメリカの世界軍事戦略と沖縄普天間基地の移設問題』

目次

 

二 アメリカの軍事帝国主義と世界軍事戦略のあらまし


1 アメリカの帝国主義的海外膨張と欧米列強の太平洋分割


 ここで、アメリカ海兵隊の移転先とされるグアムについて、年表と地図を参考に見ておきたいと思います。地図4「マゼランの航海とスペインの太平洋航路」に示しましたように、グアムはマゼランによる大航海時代の世界周航の途次、1521年にヨーロッパ人が最初に寄航した太平洋の島です。(地図4)「マゼランの航海とスペインの太平洋航路」/出典:増田義郎『太平洋 ― 開かれた海の歴史』(集英社新書、2004年)
 年表3 「グアムの年表」を見て下さい。スペインはマゼランのグアム寄航のあと、1565年にグアムの領有を宣言し、伝統文化を禁止しキリスト教を強制してきたため、先住民のチャモロ人が立ち上がって、1669年にはスペイン・チャモロ戦争が起きています。スペインに反抗的な村々は焼き払われ、10万人いたチャモロ人は5000人に激減したということですが、これは中南米のインディアオ虐殺や北米のインディアン虐殺の太平洋版と言えます。

 

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 このような経過でグアムは、マゼランが立ち寄ったフィリピン諸島とともにスペインの植民地となりましたが、グアムはメキシコのアカプルコとフィリピンのマニラを結ぶ太平洋航路の基地でした。さきの地図4「マゼランの航海とスペインの太平洋航路」をもう一度見ていただきたいが、この航路を行き来していたガレオン船と呼ばれる大型の帆船は、アカプルコからマニラに向かう往路でグアムに寄航し、東方の物産を積んだマニラからアカプルコへの帰路は黒潮に乗って日本の近海を北上し、北緯40度のあたりで偏西風をとらえて東に向けて航行しましたが、日本の近海でしばしば海難に会っています。
 マニラからアカプルコ行きのガレオン船は1589年に九州の天草に、また1596年には四国の土佐に漂着していますが、金襴緞子をはじめとする積荷の財宝は太閤秀吉を驚かせるほどのものでした。こうして見ると、かなり古くからグアムと日本の間には縁がなくもないと言えます。わたしがさきの拙著『アメリカ新大陸の略奪と近代資本主義の誕生』で取り上げた、中南米のアステカやインカからスペイン人が略奪した財宝とくに銀も大量に、グアム経由でマニラに送られてきていまして、マニラには17世紀初めに3000人の人口を擁する日本人町ができていたほどです。
 さて、そのグアムですが、1898年の米西戦争(アメリカ・スペイン戦争orアメリカ・キューバ・スペイン戦争)の結果、アメリカがプエルトリコやフィリピンとともに、グアムをスペインから力でもぎ取りました。さらにまた、アメリカはキューバを事実上の衛星国としてグアンタナモ海軍基地を建設しましたが、そのグアンタナモはいまなお合衆国の軍事基地で、近年もイラク戦争の捕虜を虐待したことで悪名が高いことは周知の通りです。
 ところで、この米西戦争はアメリカがスペインに戦争を仕掛けるため、キューバのハバナ港で自作自演の米戦艦沈没事件をデッチ上げたものです。のちの1964年にインドシナ半島のトンキン湾で、米駆逐艦が北ベトナム軍の魚雷攻撃を受けたとするトンキン湾事件が、ベトナム戦争に介入するためアメリカが自作自演でデッチ上げだったのと同様で、わたしは2001年の9・11事件も、少なからぬ人たちが指摘するように、その疑惑が非常に強いと考えています。
 米西戦争は合衆国が北米先住民を略奪・せん滅したインディアン戦争の延長上で、アメリカが帝国主義的海外膨張に踏み出す大きな転機となる出来事でした。いわゆる「アメリカ帝国主義」の時代はこの米西戦争とともに幕開けしたといっても過言ではありませんが、ウィリアム・マッキンリー大統領はフィリピンが「神々からの贈り物としてわれわれにもたらされた」とうそぶいたそうです。自分で強奪しておいて神々からの贈り物だというのだから、ものは言い様で世話はないですね。
 アメリカのある上院議員は、「野蛮で耄碌した民族」に「キリスト教と文明」をもたらすことがアメリカの努めだとの信念のもと、「フィリピンは永遠にわれわれのものであり、… 太平洋はわれわれのものだ」とのたまわったと言います。これは19世紀半ばの西部へ西部へと膨張していくインディアン戦争のキャッチ・フレーズたる、「マニフェスト・デスティニィ」(「明白な運命」or「膨張の天命」)の海外膨張版ないしは太平洋版とも言うべきものです。そもそも、インディアン戦争において「野蛮人の文明化」や「キリスト教化」を唱えた「選ばれた民」の選民思想は鼻持ちならぬものでした。
 わたしは拙著『アメリカ新大陸の略奪と近代資本主義の誕生』で、15世紀末以降のヨーロッパ人によるアメリカ新大陸の略奪によって近代資本主義が誕生したとのテーゼを打ち出し、アメリカ合衆国もまた先住民略奪・せん滅のインディアン戦争の血の落とし子だったとのもう一つのテーゼを提出しました。
 その後の西欧帝国主義列強による太平洋諸島の探検と植民地化から「太平洋分割」と「軍事基地化」に至る経緯を見ると、日本の歴史学者・文化人類学者の増田義郎がいみじくも喝破したように、18世紀以降に太平洋諸島を荒らしまわったイギリス人やアメリカ人やフランス人もまた、アステカやインカを滅ぼしたスペイン人に劣らず苛酷かつ野蛮であって、キリスト教を征服の道具に利用するなど狡知に長けていたと言わざるを得ません。
 地図5「太平洋の島々」を見ていただきたいが、これら欧米列強のうちアメリカは、1898年の米西戦争の勃発直後にハワイを併合して、オアフ島のホノルルに米太平洋艦隊を置いたのをはじめ、ミドウェイ・ウェイク・マリアナ・グアムを経てフィリピンに至る島々を太平洋におけるアメリカの生命線とし、南太平洋ではサモアのトゥトゥイラ島を領有して、それらの島々に軍事基地をつぎつぎ建設しました。まさにこの太平洋におけるアメリカの生命線こそが太平洋戦争で日米激突の戦場となった舞台でした。(地図5)「太平洋の島々」/出典:前掲増田『太平洋 ― 開かれた海の歴史』
 グアムで日本軍が玉砕したのは1944年(昭和19)でしたが、グアムのジャングルに潜って28年間も生き延びた伍長の横井庄一が1972年に発見され、「恥ずかしながら」のセリフとともに日本に帰国したこと覚えておられる方もおられるかと思います。奇しくも当時、横井担当の記者だったわたしは、横井さんが直立不動の姿勢で皇居に立ち、腰を折って深々と敬礼する写真の遠景に ― たしか、『週間大衆』だっと記憶していますが ― ヨレヨレのサファリーとジーパン姿のわたしがオデコをテカらせながら映っていまして、これを見た職場の同僚から「不敬罪!ジーパンで皇居に入ったのはお前が初めてだ!!」と冷やかされたものです。
 第2次大戦後、アメリカはビキニ環礁をはじめとするミクロネシアのマーシャル諸島を中心に、フランスもポリネシアのムルロア環礁などで、イギリスもジョンストン島やオーストラリアで核実験を行い、太平洋の先住民が深刻な被爆にさらされました。ミクロネシアやポリネシアはさきの地図4「太平洋の島々」に示していますので、それらの位置を確認して下さい。アメリカによるビキニ環礁などでの核実験では、日本の第5福竜丸をはじめ遠洋漁船が多数被災しただけでなく、何と西に2000キロも離れているグアムにも影響が及び、住民のあいだで白血病や甲状腺異常や異常児出産などが多発して、太平洋被爆生存者の会が結成されて現在もなおアメリカに被爆保障を求めています。太平洋の先住民はヨーロッパ人に征服・略奪されたうえ、核実験による被爆で踏んだり蹴ったりの苛酷な状況に投げ込まれたと言わざるを得ません。
 いささか話が広がりましたが、グアムは太平洋戦争から冷戦時代にかけて、米軍が“不沈空母”とか“槍の先端”などと呼んできたように、アメリカにとって戦略的にきわめて重要な前線基地で、ベトナム戦争当時のアンダーセン空軍基地にはB52爆撃機や戦闘機が絶え間なく離着陸し、アプラ港には原子力潜水艦や原子力空母が頻繁に寄航していました。もう一度、グアムの地図3「グアムの米軍基地」を開いて下さい。アンダーセン空軍基地はグアムの北端に、アプラ港は西に見えますね。
 太平洋戦争と欧州戦線で勝利したアメリカは第2次大戦後、軍事的にも経済的にも文字通りの超大国として世界に君臨し、ソ連と対決するいわゆる冷戦の構図ができ上がります。このいわゆる「アメリカ帝国主義」は、レーニンが分析の対象としたような全世界を分割して植民地を搾取する「古典的帝国主義」からひと皮むけていまして、「自由と民主主義」といった理想主義的な美辞麗句のヒラヒラを掲げ、響きのいいグローバルで干渉主義的な軍事政策と外交政策を展開しました。
 チャルマーズ・ジョンソンによれば、第1次大戦の前後の時期に「アメリカ帝国主義」の「知的基礎」を確立したのは、「民族の自決権」や「国際連盟」の提唱者としても知られる民主党大統領のウッドロー・ウィルソンでした。アメリカの手本に従いアメリカの主導する世界民主主義というウィルソンの理想は、ほぼ同時期のロシア革命の指導者たちが打ち出した世界共産主義というもう一つの理想に優るとも劣らない、野心的で情熱的な政治プロジェクトでした。それは1910年に始まるメキシコ革命へのウィルソン自身の干渉から、2次の大戦を経て2003年のイラク戦争に至るまで、アメリカの軍事政策と外交政策を特徴づける、神掛りの十字軍思想ないしは宣教師外交の守護聖人の仕事でした。最近のイラク戦争を強行したブッシュの言動などもウィルソンの卑俗な2番煎じですね。
 ところで、わたしはことし1月と2月に鳥取と米子で行なった講演で、いまやアメリカは「新帝国主義」ないしは「超帝国主義」、つまり、「スーパー帝国主義」に移行していると主張しました。これは冷戦時代を準備期間として育まれ、目に見えるかたちではポスト冷戦時代にアメリカ一極主義として出現してきたもので、それは「軍事帝国主義」と「通貨帝国主義」の2本足で立ち、それをグローバルな政治・外交政策とアメリカ型の大衆消費文化の全世界的浸透力が支えています。
 まず、「軍事帝国主義」は植民地の領有と搾取に立脚した古典的帝国主義と違って、地球全体に軍事基地を張り巡らせて世界覇権と資源確保を狙うもので、チャルマーズ・ジョンソンのいわゆる「基地の帝国」の在り方を指します。このアメリカの「軍事帝国主義」は「通貨帝国主義」と密接不可分で、ドル支配の特権を生かして借金が利益の源泉となる為替操作を通して、莫大な財政赤字を補填し巨額の戦争経費をひねり出しています。これこそがアメリカの「スーパー帝国主義」を支えるカラクリと言わなければなりません。
 そこで、「通貨帝国主義」なるものを簡単に見ておきますと、この言葉はアメリカの経済アナリストのマイケル・ハドソンの著書から取ったものでして、ハドソンは「米国債本位制」ないしは「ドル債務本位制」とも呼んでいます。それはベトナム戦争の戦費が膨らみ、ニクソン大統領が1971年8月に金ドル交換停止を宣言し、ドル紙幣をどんどん発行して米国債を他国の中央銀行に押し付け、他国からドルを吸い上げてはベトナム戦費や財政赤字をまかなうことから始まりました。
 この「米国債本位制」ないしは「ドル債務本位制」については、さきの鳥取と米子の講演で少し分かりやすく解説したつもりですが、それは要するに金融市場における為替相場の操作によって、いつの間にか借金を金儲けの手段に転化する、という打出の小槌というかマジックのような現代版の錬金術でもあり、ハドソンはアメリカ政府のこの得意な能力を「現代の経済的奇跡」と名づけています。
 このカラクリを単純な図式で説明しますと、あくまで仮定の話ですが、かりに日本が1ドル100円で、1億ドルの米国債を買うとします。まず、アメリカはこの1億ドルを日本円に両替して、100円×1億ドルで100億円を手にします。ついで、たとえば為替の操作で1ドルの相場を50円に引き下げると、1円が0・02ドルと円高になるので、いったん両替した100億円をまた両替すれば、0.02ドル×100億円で2億ドルになります。アメリカは日本から借りた1億ドルの米国債を返したうえで、さらに1億ドルが手元に残るので大儲けしますが、逆に日本は100億円貸したのに円高のあおりで、実質的には50円×100億ドルで50億円しか返してもらえず、大損をした計算になります。
 このようなイカサマ博打のようなカラクリを念頭に置けば、1980年代後半から90年代にかけての、日本のバブルとバブル崩壊の意味も透けて見えてくるでしょう。1985年9月のプラザ合意で、日本はアメリカから円高ドル安を押し付けられましたが、それが引き金になってバブル景気なるものが起き、東京23区の地価でアメリカ全土を購入できるなどと踊らされたうえ、1990年にはバブルの崩壊が始まって、90年代中期から「失われた10年」と呼ばれる長期不況に突入したことが、あらためて思い出されます。
 さきの打出の小槌のごとき現代版の錬金術で見たように、アメリカが手にした金融の操作による濡れ手に粟の不当な利益は、まさに「見えざる手」による「略奪による蓄積」の1種です。これがマルクスのいわゆる「資本の原始的蓄積」が現代にも継続していることを明かす特異な一例であることは、拙著『アメリカ新大陸の略奪と近代資本主義の誕生』でも指摘した通りです。
 そればかりではありません。このアメリカのグローバル資本主義下の「通貨帝国主義」は、「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる米財務省・国際通貨基金(IMF)・世界銀行の三位一体の新自由主義的な経済政策、すなわち、自由化・民営化・規制緩和などの市場至上主義的な経済政策でもって、貧しい国を痛めつけながら世界の経済を支配し、ひとり勝ちの利益追求を貪欲に追求してきたわけです。
アメリカの政治・外交政策も、いま指摘した軍事と経済の両面にかかわる「スーパー帝国主義」の利害に従って、国連や同盟国交渉や多国間交渉の場でそれこそ休むことなく活動しているのが現実ですが、きょうのテーマに即して「軍事帝国主義」にかかわる冷戦から今日に至るまでの、アメリカの世界軍事戦略の推移を簡単にたどたどってみたいと思います。

 

2 アメリカの軍事戦略と石油戦略は表裏一体


 これから、いわゆる「基地の帝国」の軍事戦略を見ていきますが、まず米軍指導部が冷戦の終結によって計り知れないほどの衝撃を受けたことを指摘しておかねばなりません。マサチューセッツ工科大学教授で国防総省(ペンタゴン)の元顧問ウィリアム・W・カウフマンの言葉を借りれば、米軍指導部は深刻な「アイデンティティの危機」に陥り、この歴史上もっとも決定的に重大な時期に、ペンタゴンは精神的に「舵なし」の状態になってしまったというのです。
 そこで、パウエル統合参謀本部議長はソ連ブロックという巨大な空白を埋めて、大規模な軍事予算と軍産複合体を温存すべく、新たな敵を想定した新軍事戦略の作成にとりかかりました。そこでひねり出されたのが、同時に2つの敵と戦う力を持つという新しい戦略で、それは“ごろつきドクトリン”あるいは“ならずもの国家戦略”と呼ばれるものでした。この「ごろつき」「ならずもの」は英語で無法者を指すrogue(ローグ)の訳語ですが、アメリカの戦争と安全保障の専門家のマイケル・クレアが「新しい悪魔学」の構築と評している通り、悪魔のごとき新しい敵をでっち上げるアメリカ流のキャッチ・フレーズだったわけです。
 この新戦略の策定にさいしてパウエル将軍は、「ソ連の出方がどうであれ、『超大国はここに健在なり』という看板を出しておかねばならない」と言明し、またアメリカは「いかなる挑戦者にも、世界の舞台で我々に挑もうなどと夢想だにさせないための充分な軍事力」が必要だとも述べ、「私は下町の餓鬼大将になるつもりだ」とつけ加えています。このパウエル将軍の言葉は、「下町の餓鬼大将」どころか「地球の餓鬼大将」であり、ひと昔前のベトナム戦争のころから、「世界の警察官」だとか「世界の憲兵」などと呼ばれていたところのものです。
 パウエル将軍と幕僚たちの新戦略の青写真は1990年春に策定され、この新戦略はホワイトハウスの承認を受けて、この年8月2日にコロラド州アスペンにおけるブッシュ大統領(のちにイラク戦争を強行したブッシュの父親のパパ・ブッシュ)の演説によって公けにされました。この演説でブッシュ大統領は、「アメリカは地球上どこであれ、いかなる時でも、発生する脅威に対応する戦力を持たねばなりません」と述べていますが、まさしくアメリカのグローバルな米ソ冷戦終結後の世界軍事戦略の新宣言でした。
 まことに驚くべく奇しき偶然というべきか、この8月2日はサダム・フセインのイラク軍がクウェートに侵攻した日でもありました。実のところ、イラクのクウェート侵攻はアメリカの呼び水によるものだった、というウラがあるのですが、きょうは時間の関係で省略します。いずれにせよ、パパ・ブッシュ政権は「待ってました」と言わんばかりに、この“ごろつきドクトリン”あるいは“ならずもの国家戦略”を実地に移すチャンスに恵まれたわけで、翌1991年1月には“砂漠の嵐”作戦の旗を押し立てて湾岸戦争に突入します。
 この “ごろつきドクトリン”あるいは“ならずもの国家戦略”をリニューアルしスケール・アップしたのが、2001年11月の9・11事件以後の“テロとの戦い”であることは断るまでもありません。9・11事件については鳥取と米子の講演で、ブッシュ政権の背後勢力の自作自演か間接関与の疑いがあること、この“テロとの戦い”は①“新十字軍戦争”②米ソ冷戦終結後の“第2の冷戦”を演出する戦争③“終わりなき戦争”つまり“永久戦争”の序曲、の3つの意味をもつ戦争であることなど、いくつかの私見を披瀝しましたが、これにつけ加えてもう一つ、④エネルギー戦略ないしは石油戦略のための死活的国益の戦争でという重要な性格を補足しなければなりません。
 モータリゼーションとアメリカ的生活様式によって、世界のエネルギー消費量の4分の1を1国で使っているアメリカは、文字通りエネルギー浪費超大国ですが、拙著『アメリカ新大陸の略奪と近代資本主義の誕生』の序論でも強調したように、アメリカにとっていわゆる“テロとの戦い”はエネルギー戦略ないしは石油の確保は安全保障上の死活的国益となっていまして、石油戦略と軍事戦略は表裏一体です。
 それゆえ、海外のエネルギー資源、なかんずく、ペルシャ湾岸とカスピ海周辺の豊富な石油・天然ガス資源は、アメリカが長期的視野から武力を投入してでも確保したいもので、この目標は1980年のカーター大統領の声明で、つぎのように表明されました。ペルシャ湾はアメリカの「死活的に重要な国益」であり、ペルシャ湾に対する攻撃は「必要ならば武力を含むあらゆる手段によって排除される」と。
 よその国の資源が自分の国の国益だとは、ずいぶん身勝手な言い分ですが、この「地球の餓鬼大将」の考えは、米政府だけでなく米軍部にも共有されています。たとえば、アンソニー・C・ジニ米中央軍司令官は1999年の議会での証言で、「[ペルシャ湾における]アメリカの死活的に重要な国益は長年に及ぶものである」「世界の石油資源の65パーセントがペルシャ湾岸諸国にあり、(アメリカと同盟国は)湾岸の資源に自由にアクセスできなければならない」述べています。
 こうした観点と動機から行なわれたのが、1991年の“砂漠の嵐”作戦の旗を掲げたパパ・ブッシュの湾岸戦争から2003年の“畏怖と恐怖”作戦の旗を掲げたブッシュ・ボーイのイラク戦争へと至る石油戦争であり、これらの石油戦争の過程で米軍の基地がサウジアラビアをはじめ湾岸諸国とその周辺に張り巡らされたことは言うまでもありません。
 そこで、地図6「ペルシャ湾岸のおもなアメリカ軍基地」で湾岸諸国の米軍基地を見ますと、サウジアラビア、オマーン、アラブ首長国連邦、カタール、バーレーン、クウェート、イラク、トルコと湾岸をぐるりと包囲していることが分かります。(地図6)「ペルシャ湾岸のおもなアメリカ軍基地」/出典:マイケル・T・クレア、柴田裕之訳『血と石油』(NHK出版、2004年)
 カスピ海周辺の石油・天然ガスの資源とアクセスもアメリカがノドから手が出るほど欲しいものです。このカスピ海資源を睨んで、1997年と1998年に米陸軍の将兵数百人が「セントラルズバット」の作戦演習の名目で、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタンの友軍部隊と軍事訓練を行なっていますが、これはライオンが草原の獲物を遠巻きに狙うようなものです。そのライオンたちが獲物に飛び掛る瞬間が、まさに9・11事件直後の“不朽の自由”作戦によるアフガン戦争で、獲物はカスピ海からの石油パイプラインのルートとなるアフガニスタンだったのです。このアフガン戦争にかこつけてアメリカは、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタンに米軍基地を建設しました。これらの国々は地図7「アフガン戦争で米軍基地が新設された中東の国々」をご覧下さい。

 

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 一方、アメリカはカスピ海沿岸のバクーから、アゼルバイジャンとグルジアを通過して、地中海に面したトルコの港ジェイハンに抜けるバクー・ジェイハン・パイプライン計画を持ち、2002年には150人の特殊部隊員と10機の戦闘ヘリがカフカス地方のグルジア共和国に派遣しました。表向きの目的はアルカイダとつながりがあるチェチェンの武装勢力と戦うための準備と説明されていますが、グルジアの国防省高官は「その部隊の目的はグルジアの戦略拠点を守ることです ― とくに石油のパイプラインを」と語っています。
 いま取り上げたのはほんの“氷山の一角”にすぎません。要は、アフガン戦争であれイラク戦争であれ、“テロとの戦い”をカクレミノにした、カスピ海とペルシャ湾の資源獲得戦争ないしは石油獲得戦争であり、その“テロとの戦い”という大義名分にかこつけて、それら石油・天然ガス資源の周辺に米軍基地を張り巡らせ、中東と世界を威嚇しているということなのです。
 このように、アメリカの世界軍事戦略はエネルギー戦略と表裏一体をなし、かつての冷戦時代の旧ソ連や中国の共産主義封じ込めから、ペルシャ湾岸とカスピ海周辺の石油・天然ガス資源を死活の国益とするものへと、大きく様変わりしているのです。この過程で同時に、アメリカは国内でも海外でも、冷戦時代の米軍基地の整理統合を進めてきました。
 アメリカの軍事戦略だけでなく軍事施設も大きくさま変わりしつつあります。アメリカの国防総省は1980年代末から、冷戦時代の軍事施設を整理・縮小し、その運営・維持費の節約分を装備・戦略の近代化に回そうと、基地統合・閉鎖計画を進め、1989年から1995年にかけて350以上の軍事施設を閉鎖し、ブッシュ政権下の2005年に承認された最新の基地統合・閉鎖計画でも、2011年9月までに25施設を閉鎖し、24施設を整理統合することになっています。
 この基地統合・閉鎖は海外でも進められ、フィリピンでは1991年のピナツボ山の大噴火によって火山灰に埋もれた米軍のクラーク空軍基地が閉鎖されたあと、スービック海軍基地もフィリピン上院と政府の要求によって、1991年に閉鎖・返還されました。かつてアメリカ自治領のプエルトリコでも、1996年のビエケス島での誤爆致死事件が引き金となった基地反対運動を受けて、2003年までに米軍は大西洋艦隊射爆撃演習場から撤退し米本土に移転されています。お隣りの韓国でも米軍は段階的に削減され、2004年の在韓米軍再編計画に基いて、2006年までに32の米軍基地が閉鎖され返還作業が進められています。
 ヨーロッパでも冷戦終結で駐留米軍の85パーセントに相当する約7万人の兵士が、ドイツから米本土に移動中です。イタリアのサルデーニャ島沖合いのマッダレーナ島の米原潜補給基地も、近海での原潜事故と観光への影響から撤退運動が高まり、サルデーニャ市の要求を受けた米イ合意に基き閉鎖・返還しました。米軍は冷戦後の「トランスフォーメーション」の1環と説明していますが、この米軍のトランスフォーメーションの動きは見逃せません。
 この米軍のトランスフォーメーションは、ソ連崩壊直前の1991年1月のアメリカの「国防報告」で、装備の近代化・情報技術・精密誘導装置・ステルス技術などを目指した「軍事革命」の「変革戦略」として出てきたものですが、9・11事件後の2001年11月に国防総省にトランスフォーメーション局が設置され、ブッシュが政権はドナルド・ラムズフェルド国防長官のもとで、アフガン戦争とイラク戦争を格好の実験台として、米軍の「トランスフォーメーション」つまり「変革」を加速させました。
 アメリカはこの変革で不要となった冷戦時代の海外基地を整理縮小しつつ、ほとんどの米軍部隊を米本土に駐留させ、海外で有事が発生したら急派する態勢へと、米軍の編成替えを進めているのです。その一環として沖縄海兵隊のグアム移転計画も浮上してきたわけで、こうしたアメリカのグローバルな世界軍事戦略の最新の展開を見据えないと、わたしたちにとって切実な在日米軍と沖縄基地の問題は何も見えてきません。

 

3 アメリカの軍産複合体と全世界の米軍基地


 アメリカは文字通り世界最大の軍事超大国です。最近の新聞でも報道されましたが、表1「世界の軍事費ランキング」に見るように、世界の軍事費1兆5310億ドルのうち、アメリカは43パーセントの6610億ドルを占め、ダントツのトップです。(表1)「世界の軍事費ランキング」(ストックホルム国際経済研究所、2010年)。そればかりか、アメリカは世界の兵器輸出額で7割近くを占めてダントツで、平和の掛け声とともに膨大な軍事費を支出し、戦争のための武器を売りさばいているわけです。
 アメリカが戦争を止められない戦争中毒の戦争国家である最大の理由は、肥大化した軍部と軍需産業による軍産複合体のためです。たとえば、(表2)「アメリカの軍事支出の増加」における軍事支出の増加は、軍産複合体の肥大化と密接に関係しています。また、(表3)「アメリカ軍事支出の政府支出費」で見ると、アメリカの政府支出に占める軍事支出は、朝鮮戦争後の冷戦初期の80パーセント台をピークに、ベトナム戦争当時の40~50パーセントから、だんだん落ち込んだものの、ブッシュ政権になってからまた増え始めて、現在では20数パーセントと推定されます。(表2)「アメリカの軍事支出の増加」、および、(表3)「アメリカ軍事支出の政府支出費」/出典:ポール・ポースト、山形浩生訳『戦争の経済学』(バシリコ、2007年)
 さて、米軍の本体を概観すると、米軍は陸軍・海軍・空軍・海兵隊・沿岸警備隊の5軍から成ります。表4「米軍の組織」で示したように、5軍のうち沿岸警備隊を除く陸・海・空・海兵隊は10の地域別・機能別の統合軍(UCC)に編制されています。地域別では欧州軍・中央軍・南方軍・太平洋軍・北方軍・アフリカ軍の6つに、また機能別には統合戦力軍・特殊作戦軍・戦略軍・輸送軍の4つに分かれています。(表4)「米軍の組織」/出典:財団法人 ディフェンス リサーチ センター編『国際軍事データ 2008-2009』(朝雲新聞社、2009年)
 このうち、欧州軍はヨーロッパ、中央軍は中東、南方軍は中南米、太平洋軍はアジア・太平洋地域、北方軍は米本土を含む北米、最近新設のアフリカ軍はアフリカをそれぞれ担当します。むろん、在日米軍や在韓米軍が太平洋軍のなかに含まれていることは言うまでもありません。
イギリス国際戦略研究所のミリタリー・バランス2009年版の資料で見ると、表5「米軍の兵力」に掲げたように、米軍の兵力は現役の総計で154万人で、その内訳は陸軍63万人、海軍34万人、海兵隊18万6000人、空軍34万人です。これに予備役等98万人が加わるほか、数十万人と推計される州兵も含めると、米軍の兵力はトータルでざっとおよそ300万人にものぼります。これら予備役や州兵もイラク戦争などの戦争に動員されていることは周知の通りです。

 

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 アメリカは日本との日米安全保障条約のほか、北大西洋条約(NATO)、米韓相互防衛条約、米比相互防衛条約、太平洋安全保障条約(ANZUS)、といった安全保障条約ないしは相互防衛条約を結んでいるほか、米軍がその国の国防と安全保障を引き受ける自由連合国に、マーシャル諸島共和国、ミクロネシア連邦、パラオ共和国があります。このうち、パラオ共和国は核の持込みや貯蔵を禁止した非核憲法でクローズアップされた自治政府でしたが、1993年にアメリカと自由連合協定を結んで、そのユニークな非核憲法を凍結したのは残念です。
 さきに、アメリカは全世界に基地を張り巡らせた「基地の帝国」だと申しましたが、米国防総省の報告書によりますと、表6「アメリカが海外に派遣している米兵・文民・家族」に掲げましたように、アメリカの海外の軍事基地は9・11事件のあった2001年9月の時点で、153カ国の725カ所に及び、その兵員は25万人ということになっていますが、これに民間人や扶養家族を加えると53万人に膨れ上がります。

 

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 このデータには9・11事件後のアフガン戦争やイラク戦争に派遣された兵員、あるいはまた、これらの戦争にかこつけて設置された海外の軍事基地は含まれていませんので、これらを含めるとさらに膨大な数となるはずです。アメリカが9・11以後、さきに言及したパキスタン・アフガニスタン・キルギスタン・ウズベキスタン・タジキスタン、そして、クウェート・カタール・トルコ・ブルガリアに建設した軍事基地だけでも、6万人の兵員を抱えています。
 アメリカはこれら「米軍基地」を全世界に張り巡らせることを米軍の「前方展開」(フォーワード・プレゼンス)と呼んでいますが、この「前方展開」はペリーの黒船や米西戦争に象徴されるアメリカ帝国主義の海外膨張とともに始まったもので、2次の大戦と米ソの冷戦を経て、冷戦終結後の「ごろつきドクトリン」や9・11事件後の「テロとの戦い」によって、大きな編成替えの時期を迎えています。
 それはともかくとして、いったいこれだけの膨大な基地と兵員をグローバルに張り巡らせた帝国が過去に存在したでしょうか。唯一の先例は「イギリス帝国」通称「大英帝国」で、絶頂期には35以上の国または植民地に軍事基地を置いていましたが、その世界覇権のヘゲモニーは20世紀初頭に急速に衰退し、アメリカが第2次大戦を契機にヘゲモニーを握りました。パクス・ブリタニカの「大英帝国」からパクス・アメリカーナの「大米帝国」への覇権の交代です。
 大英と大米の両帝国の相違点は、アメリカが植民地経営のコストを省いて、イギリスのように古典的な意味での植民地を直接領有せず、画期的な兵器システムと交通・通信手段の技術革新を背景に、全世界に張り巡らされた軍事基地のネットワークとグローバルな経済の支配を通して、新たな「軍事帝国主義」と「経済帝国主義」に立脚した「スーパー帝国主義」によって睨みを効かせていることです。

 

4 在日米軍と沖縄基地の組織と配備


 さて、これから、いよいよ在日米軍と沖縄基地を見ていくことにします。在日米軍は在韓米軍などとともに太平洋軍のなかの4つの副統合軍に含まれ、日米安保条約第6条に基づいて日本に駐留するアメリカ合衆国軍の総称です。在日米軍の配備状況は地図8「在日米軍の日本における配置図」の通りです。地図8「在日米軍の日本における配置図」/出典:防衛省『平成21年度版防衛白書 日本の防衛』(防衛省、2010年)
 在日米軍は東京都の横田飛行場に司令部を置き、陸・海・空・海兵隊の4軍から成ります。海兵隊は沖縄県のキャンプ・コートニーに、海軍は神奈川県の横須賀艦隊基地に、空軍は横田空軍基地に、陸軍は神奈川県のキャンプ座間に、それぞれ司令部を置いています。
 沖縄県は日本国土の0.6パーセントを占めるにすぎませんが、在日米軍の専用基地の74パーセントを背負わされています。在日米軍と在沖米軍の兵力を比較するため、沖縄県のデータによる表7「在日米軍と在沖米軍」をご覧下さい。在日米軍の兵力は陸軍2,594人、海軍3,779人、空軍1万2,711人、総数3万5,965人です。同じ表に沖縄駐留の兵力も挙げておりますが、トータルで在沖米軍は在日米軍の7割近くの68.4パーセントを占め、このうち沖縄の海兵隊は日本全体の88.6パーセントつまり大半が沖縄にいるということです。沖縄に駐留する海兵隊は在沖米軍の60パーセントに当たります。(表7)「基地対策課「沖縄の米軍及び自衛隊基地」(2010年3月)

 

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 外務省によると、日本に居住しているアメリカの軍人・軍属・家族の総数は、昨年3月の時点で9万4000人に及びます。表8「沖縄の米軍人・軍属・家族数」に掲げた沖縄県のデータをもとに、沖縄に駐留するアメリカの軍人・軍属・家族の総数をはじくと、昨年9月の時点で4万4000人余りです。ということは、アメリカの軍人・軍属・家族の半分近くが沖縄に集中していることを意味します。(表8)

 

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 もともと、アメリカの海兵隊はイギリスとの独立戦争時の1775年の創設で歴史は古く、1853年(嘉永6)にペリー提督が東インド艦隊を従えて浦賀に来航したさいにも、200人の海兵隊を使者に随行させて上陸させていたばかりか、さきの太平洋戦争でガダルカナルから沖縄に至る上陸作戦で日本軍と対決したのも海兵隊であって、前進基地奪取のための水陸両用作戦の先頭に立つ即戦力の殴り込み部隊と言ってもいいかと思います。
しかし、表9「世界の米海兵隊の配備状況」に見るように、アメリカの海兵隊は現在、大半が米本土と米国領に駐留していまして、海外では日本が1万4000人と突出し、そのうち沖縄が1万2000人でハワイに駐留している海兵隊員の2倍に当たります。米本土ないしは米国領以外で海兵隊の常駐は沖縄のみと言って言い過ぎではありません。(表9)

 

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