福島第一原発の事故隠し

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 日時=2012年2月25日(土)13:30~16:00
 場所=さざんか会館2F(鳥取市)
 主催=さよなら原発市民ネットワーク・とっとり(現・脱原発と未来のエネルギーを考える会、略称・えねみら・とっとり)

 

 本稿は、2012年2月25日の上記主催の講演会『知りたい!本当のこと!どうなってるの?島根原発?』における、土井淑平の「マスコミ、本当のこと伝えてますか?」の講演メモに大幅な加筆・改稿を加えたものです。時間の関係で報告できなかった部分は、別稿の補論「「反原発で猿になる!」と吠える猿たち」を参照して下さい。

 

 

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           鳥取市での土井淑平の講演

 

=講演改稿=


福島第一原発の事故隠し

 こうしてフクシマの住民は余計な被ばくを余儀なくされた!

 

1 政府の事故収束宣言と中間貯蔵施設の押し付けに怒る双葉町長

 

 もうすぐ、3・11東日本大震災と福島第一原発事故から1年になりますが、事故から1年ほど経とうとするいま、福島第一原発の事故隠しのさまざまな問題が浮かび上がってきました。
 たとえば、①野田首相の事故収束宣言②手遅れのヨウ素剤の配布③生かされなかったSPEEDI(スピィーディ)④政府の会議の議事録の未作成― などの問題を列挙することができます。
 いずれも許せない政府の大失態ですが、まるで福島第一原発事故の大惨事などなかったかのように、昨年12月16日に福島第一原発事故の事故収束宣言を素知らぬ顔で出した野田首相の厚顔無恥には、呆れるというよりも怒りがこみ上げてきました。
 さすがに、国寄りの佐藤雄平知事でさえ、「避難者の帰還が収束だ」と不快感を示し、双葉町の井戸川町長に至っては、「とんでもないことと思う。私は認めるわけにはいかない。(政府は)いまだうそをついている。事故は終わっていない」と憤りを口にしています。
 その双葉町の井戸川克隆町長から、東京新聞が1月8日の「こちら特報部」でわたしを大きく取り上げた「脱原発のココロ」を見て、「人形峠のウラン残土のご苦労を知りたい」とメールがきましたので、わたしは講演やトークなどで上京の機会に1月31日、役場ごと避難している埼玉県加須市まで井戸川町長を訪ねました。
 福島第一原発事故の1号機~3号機の原子炉が緊急停止したのは、東日本大震災が発生した3月11日午後4時46分でした。原発の直下にある双葉町の井戸川町長は、300人の双葉町民を避難誘導中の翌3月12日午後3時36分、1号機の爆発で昼間から外で死の灰つまり放射能を浴びたということです。
 双葉町は人口7000人ですが、警戒区域に指定されて避難の指示を出され、3月12日まず川俣町に、ついで3月19日に埼玉県さいたま市の「スーパーアリーナ」に、さらにまた、 3月30~31日に現在の加須市への疎開を余儀なくされました。
 加須市の廃校となった騎西高校の旧校舎の仮役場に1400人が身を寄せ、現在は500人が生活しています。井戸川町長は「自分にも原発を誘致した共同責任はある」と認めたうえで、「今考えると、原発の安全性なんて見せかけ、ハリボテのようなものだったとわかる」と言っています。
 昨年12月16日の野田首相の福島第一原発事故の事故収束宣言に続いて、政府は原発の地元の福島県双葉郡内への汚染土壌等の中間貯蔵施設の建設を提案しましたが、井戸川町長は「事故を起こした東電が責任をとらず、被害者に責任を押し付けるのか」と抗議し、ことし1月8日に福島市を訪れて設置を要請した野田首相に、「双葉郡民を日本国民と思っていますか」と詰め寄っています。
 この中間貯蔵施設をめぐる2月26日の双葉郡町村会の8町村長と細野豪志環境相、平野達男復興相の意見交換会が、この問題を政府と協議する窓口となっている双葉郡町村会会長の井戸川克隆双葉町長ら3町長が欠席したため、急きょ中止になったことが報道されています。
 井戸川町長は26日午後、埼玉県加須市で記者会見し、この日の協議で意見交換するはずだった設置場所や用地取得をめぐる政府の見解が事前に報道されたことなどを挙げ、「知らないところで政府が決めていくことに大きな恐怖を感じた」と語り、政府への不信感を表明しました。
 あたかも大惨事がなかったかのような事故収束宣言を出し、なにごとも上から決めて下に降ろしてくるやり方が、とてつもない被害に会って転々と苦難の避難生活を送っている首長や住民から反発を買うのは、当然のことです。
 東電経営陣を相手取り損害賠償訴訟を求めている株主らに、東電監査役が1月13日付けで「賠償責任を問うべき注意義務違反はなかった」と通知したことに対しても、井戸川町長は「我々を愚弄していていますね」「誰のせいで、こうした避難生活をしなければならないんですか。放射能を浴びさせた行為というのは犯罪でしょう。違いますか?」と問うています。
 福島原発から45キロの二本松市のゴルフ場が放射能で汚染されたので、東電の除染を求めた裁判で、東電が「原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない」つまり「無主物である」、したがって、「東電は除染に責任をもたない」と主張したことにも、井戸川町長は怒っています。たとえば、放射性物質が「無主物」なら、オウムがまき散らしたサリンも「無主物」だから、オウムに責任はないと言えるのではないか。
 井戸川町長は「人形峠のウラン残土の加害者である旧動燃(日本原子力研究開発機構)はフクシマの事故処理に入ってきてほしくない」と言っています。これこそ、人形峠のウラン残土を30年以上も放ったらかしたあげく、その放置発覚後も方面地区自治会のウラン残土撤去要求を20年近くもネグってきた原子力機構に対して、わたしが言いたかったことであり、先日の面会のさいも「よくぞ言って下さいました」と感謝申し上げた次第でした。
 双葉町は3つの段階に分けて、町の再建を考えています。ステップ1は7000人の町民が避難生活を送っている現状。ステップ2はどこか特定の場所に「仮の双葉町」を定めて町民の地域共同体を再構築する。最後のステップ3は安全が確保された双葉町に戻る。しかし、いますぐ戻せなどと無理なことを要求しているわけではありません。当面はステップ2が課題で、年配の町民のなかには、「オレの死に場所を見つけてくれ」と言っている人もいるそうです。
 こうした双葉町の当局や住民の切実な悲願に国がまともに答えようとせず、見せかけの事故収束の体裁づくりや体面づくりに走って、つまるところ被害者の住民を無視し見捨てようとしていることこそ、首長や住民の根本的な不信感の原因だと思います。東電の救済よりも、まず被害を受け避難を余儀なくされている住民を救済せよ、とわたしは言いたい。

 むろん、これまで双葉町が原発を誘致してきたことに対しては、周辺住民だけでなく原発に反対してきた市民の立場から異論や批判もあるでしょう。井戸川町長自身も事故後まもなくの昨年4月4日、全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)の一員として、原発の増設見直しは時期尚早とする要望書を政府に提出する行動に加わっています(『福井新聞』2011年4月5日の「原発増設見直し「時期尚早」河瀬全原協会長、官邸に要望」)。
 しかし、その井戸川町長でさえ、広がり深まる福島第一原発事故の汚染と被害の実態、並びに、責任の自覚なき東電や政府の事故対応から、自らの考えを変えざるを得なかったのだろう、とわたしは推察しています。

 最寄りの駅から双葉町の仮役場まで送り迎えしていただいたわたしは、秘書広報課の大住宗重課長からも胸を打たれる話を聞きました。
 大住さんのご高齢のお父さんは、大住さんのお姉さんが嫁いでいる岡山県高梁市の特別老人ホームに避難されましたが、昨年11月20日に亡くなられ、家族の子どもと孫だけで家族葬をされ、お骨も岡山のお寺さんに預けたということです
 そのお父さんは双葉町のあらゆるところに知り合いがいて、町民の誰もが顔見知りの方だったそうですが、「大住君のオヤジは、生前いろんなところに顔を出して知られていたのに、自分が亡くなるときはこんなさびしい葬式で」と言われたということです。
 亡くなられたお父さんは、さきの戦争(太平洋戦争)で中国大陸の戦地に出征した経験の持ち主ですが、フクシマの事故と避難は「戦争よりひどい」と話しておられたそうです。わたしは「戦争よりひどい」という言葉を聞いて、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のあと、やはり住民が同じことを口にしていたことを思い出しました。
 大住課長は「ふるさとに帰れない思いが、精神的にいかに苦しかったか」と振り返りながら、お父さんには「自分の家(うち)がある。いずれ、いつかは帰れるときがあるから、ガンバレ」、と父親にウソを言って励ましたそうです。この話にわたしは胸を打たれました。
 専門学校に通っていた大住課長の息子さんが埼玉県の専門学校に転校したさい、そこの校長先生が「書類はあとでいいから来てくれ」と快く迎え入れてくれたそうですが、「心が触れ合って感謝してます」との大住課長の言葉にも、わたしは胸を打たれました。

 

2 なぜ政府はヨウ素剤の配布を遅らせたのか?

 

 原発の事故でまず心配しなければならないのは、放射性ヨウ素による内部被ばくです。ヨウ素131は半減期が8日と短いが、甲状腺に取り込まれて甲状腺ガンを引き起こすからです。子どもは放射線への感受性が大人の2倍~3倍も高いからなおさらです。
 わたしは3月5日発売の新著『放射性廃棄物のアポリア―フクシマ・人形峠・チェルノブイリ』(農文協)の第4章「チェルノブイリの墓銘碑」で、チェルノブイリ原発事故後、原発周辺のベラルーシ、ウクライナ、ロシアで小児甲状腺ガンが急増したことを、今中哲二さんのデータで示しました。
 放射性ヨウ素による内部被ばくを防ぐには、安定ヨウ素剤と呼ばれる医薬品を服用して、あらかじめ甲状腺内を満たしておけば、放射性ヨウ素が排出されやすい状態になって、被ばくを避けることができます。
 ところが、このたびのフクシマの事故では、安定ヨウ素剤がほとんど配布されなかったため、多くの子どもたちが放射性ヨウ素によって被ばくしました。安定ヨウ素剤が適切に配布されていれば、甲状腺の被ばくがかなり軽減されていたにもかかわらずです。
 しかし、双葉町と富岡町、原発からやや離れたいわき市と三春町、の4つの自治体は自治体独自の判断で、安定ヨウ素剤を住民に配布していたことも分かりました。それでは、なぜ4つの自治体以外は、安定ヨウ素剤を配布しなかったのか。
 政府の防災マニュアルでは、原発の周辺地域は薬剤の服用に関し、政府の指示を待つことが規定されています。だが、政府は3月11日から5日目の16日まで、錠剤の配布と服用を命じませんでした。
 この問題を追及したウォールストリート・ジャーナル日本語版(9月29日)の記事によれば、原発から30キロの川内村の村役場の井出寿一総務課長は、「そんなものを飲まなければいかないなんて、殆んど誰も知らなかった。16日に役場に届いたときには、もうみんな避難した後だった」と話しています。
 原子力安全委員会は1号機の爆発の翌日3月13日午前10時46分に、安定ヨウ素剤の配布と摂取を勧める手書きのメモを、原子力安全・保安院宛てにファックスで送ったと言っています。ところが、保安院はこうしたメモは送られてこなかった、と主張して責任のなすり合いをやっています。
 この間、福島県は3月14日に安定ヨウ素剤の配布基準を突然10倍に引き上げました。この配布基準の引き上げが配布の遅延につながったとの指摘もあるし、安定ヨウ素剤が足りなかったのではないかとの憶測まで生んでいます。
 3月16日の政府の指示後、福島県は原発から50キロ圏内の市町村全体の90万人に行きわたる安定ヨウ素剤を配布しましたが、あとの祭りで大半は未使用だったと言われます。
 わたしはフクシマの事故直後から、「ヨウ素剤はどうなっているのか」と新聞やテレビの報道に注目していましたが、全然報道を目にしませんでした。わたしが気づいたのは、朝日新聞が「3月17、18日に福島県で実施された住民の外部被曝検査の数値から内部被曝による甲状腺への影響を計算すると、少なくとも4割が安定ヨウ素剤を飲む基準を超えていた恐れがあるという」、と伝えた8月27日の記事です。

 フクシマの事故直後の放射性ヨウ素による汚染と被ばくに加えて、その後セシウムが東北と関東一円で広大な大地や山野を汚染し、本来なら日本の法令が放射線の管理区域として立ち入り禁止にしなければならないような地域で、多数の住民が生活を余儀なくされている事実も、ここであらためて強調しておかなければなりません。 
 これについては、福島第一原発事故の最新の考察である小出裕章・土井淑平共著『原発のないふるさとを』(批評社、2012年2月25日発売)の「フクシマで何が起きたのか ― 福島原発事故を考える」(小出裕章)、および、土井淑平『放射性廃棄物のアポリア ― フクシマ・人形峠・チェルノブイリ』(農文協、2012年3月5日発売)の第一章「フクシマで何が起きたか - 世界を震撼させた同時多発の巨大事故」を参照してほしく思います。

 

(追記)各自治体の安定ヨウ素剤の備蓄状況


 福島第一原発事故直後の安定ヨウ素剤配布の遅れの尻拭いか、原子力安全委員会の分科会は2012年2月、事故時すぐ避難する必要がある半径5キロまでの「予防防護措置区域(PAZ)」では住民への事前配布が「有効」、事故の進展に応じて避難する30キロまでの「緊急防護措置区域(UPZ)」でも「有効だろう」と提言しています。
 2012年2月に共同通信が実施した全国アンケート調査によれば、UPZに該当する117市町村で安定ヨウ素剤を備蓄しているのは48市町村(41%)、「配備を検討する」(36%)、「配備する予定」(17%)、「予定はない」(6%)と伝えられています(『日本海新聞』2012年3月5日の「ヨウ素剤配布 不安83%」、共同通信配信)。
 一部のUPZを含めて16道府県と75市町村が安定ヨウ素剤をすでに備蓄していましたが、事前配布は「配布方法が定まっていない」「国から適切な指示があるか分からない」などの理由で、83%が事前配布に不安を持っていることが明るみに出ています。これは今回の福島第一原発事故の事例から当然のことといえるでしょう。(3月24日記)

 

3 生かされなかったSPEEDI(スピーディ)

 

 わたしはヨウ素剤の配布が手遅れになった問題と並んで、政府のSPEEDI(スピーディ)が有効に機能しなかった問題も、住民を無用に被ばくさせたという観点から重要だと思います。あとで見るように、両者は相互に関連もしています。
 SPEEDIは「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」の略称で、原発の事故が起きたとき周辺にどのような影響が出るか、「すばやく予測」するシステムです。
 ところが、SPEEDIを運用する原子力安全委員会が拡散の試算結果を公表したのは、事故から12日後の3月23日。つまり、全然スピーディじゃない。むしろ、ノロマーディです。公表の遅れによって、住民避難に生かせず、無用な被ばくを招いたと批判されているのは、申すまでもありません。
 しかも、黙視できないことに、気象庁はIAEA(国際原子力機関)には事故発生直後から予測情報を報告していたというのです。多い日は1日2回もです。
 のみならず、文部科学省は事故直後の3月14日から外務省を通して、米軍やアメリカ政府には試算結果を提供していたというから、何をかいわんやです。
 文部科学省の渡辺格・科学技術・学術政策局次長は、「(事故対応を)米軍に支援してもらうためだった。(国内での公表は)原子力災害対策本部で検討していたので遅くなった」と釈明しています(『日本海新聞』2012年1月18日、共同通信配信)。
 これはまったく本末転倒の情報隠匿です。フクシマの住民や国民への裏切りであり、とりわけフクシマの住民は完全に置いてけぼりを食いました。「朕は国家なり」ならぬ「原発は国家なり」の日本政府の棄民政策の端的な現われです。
 いったい、政府の顔はどこを向いているのか。わたしが国際原子力マフィアと呼んでいるIAEA(国際原子力機関)、および、政府が風上に置かぬアメリカに向いています。日本政府の対米従属ここに極まれりです。
 むろん、日本政府の対米従属は、いまに始まったことではありません。戦後60年以上、日本政府はいまなお占領軍の支配下にあるかのように、対米従属の一辺倒でやってきました。民主党政権になっても少しも変わらず、最近の出来事でいえば、沖縄の基地問題なかんずく普天間基地の辺野古移設問題から、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加問題に至るまで、ことごとくアメリカの言いなりでシッポを振って奴隷のように追従してきました。
 菅直人はアメリカに追随する辺野古移設のゴリ押しに加えて、TPPを「平成の開国」だなどと持ち上げましたが、これは「平成の属国化」と言い直すべきです。だいたい、菅は「市民運動出身」と言われるが、わたしに言わせれば「議員運動出身」で、古い政治体質の人間です。
 SPEEDIの問題に戻ると、SPEEDIはヨウ素による1歳児の甲状腺内部被ばくの積算放射線量マップも算出していましたが、これも公表せず子どもを被ばくさせました。
 これについて、小出裕章さんはこう言っています。「SPEEDIによる放射能拡散情報に従ってヨウ素剤を配布していれば子供たちの甲状腺被曝は避けられたのに政府はそれを怠った。これまでの法律に遵守するならば福島県全域を放射線管理区域にしなればならない。だが、国家は住民を被曝させる道を選んだのだ」(8月18日、ANN)と。

 

4 議事録を作成しなかった政府の事故隠し

 

 福島第一原発事故の対応をめぐる政府の会議の議事録が作成されていなかったことが、事故から1年近くたったことし初めに明るみに出ました。政府の公表によると、菅直人首相が本部長をつとめる原子力災害対策本部や緊急災害対策本部など10の会議の議事録のほか、両会議を含む3つの会議の議事概要も作成されていなかったということです。
 2011年4月というとフクシマの事故直後になりますが、年金記録の不備問題をきっかけに公文書管理法が施行され、政府の意思決定過程を検証できるよう行政機関に議事録の作成を義務付けていますので、罰則はないものの議事録の未作成がこの公文書管理法に違反していることは明らかです。
 その意図や過程のいかんにかかわらず、政府の事故隠しは否定できない事柄で、いずれにせよ大失態の非難をまぬかれません。原子力災害対策本部事務局の経済産業省原子力安全・保安院は、「会議の開催が急に決まるなど、事務的に対応が難しかった」などと言っているようですが、これでは言い訳にもならないでしょう。
 政府は原子力災害対策本部と緊急災害対策本部と原子力被災者生活支援チームについては、会議に出席した担当者からの聞き取り、会議のメモや提出されたデータなどから、2月中をメドに議事概要を作成する方針と伝えられましたが、民主党政権のやることなすこと内政であれ外交であれ、ことごとくその場しのぎのツギハギ細工と言わざるを得ません。
民間の福島原発事故独立検証委員会(北澤宏一委員長)は二月二八日に野田首相に手渡した事故調査報告書で、官邸の初動対応が「場当たり的で泥縄的な危機管理だった」とし、菅直人前首相らの介入が「無用な混乱やストレスで状況を悪化させて」と指摘しています(『朝日新聞』2012年2月29日の「菅前首相の介入「無用な混乱」/福島原発 民間事故調」)。
 北澤宏一委員長は同日の記者会見で、「東電を撤退させず最悪のシナリオまで行くことがなかったのは効果があった」としながらも、「情報の出し方を失敗し、国民の評価を失った。全体としては不合格だ」と述べています(『日本海新聞』2012年2月29日の「菅前首相は「不合格」/民間事故調 情報提供が失敗」、共同通信配信)。
 この民間事故調の報告書は、憲政史上初めてとされる国会事故調とともに、プレーヤーとレフェリーが癒着した政府事故調よりも信頼が置けると思われます。これは福島原発事故の政府事故調ではありませんが、政府の地震調査委員会は昨年2月の報告書で、東北地方の巨大津波が「いつ起きてもおかしくはない」と警戒する記述を盛り込むことを検討しながら、委員の議論を受けて削除していたことも、最近明るみに出ています。東電の圧力と関与が背景にあります(『日本海新聞』2012年2月29日の「「いつ起きても」削除/巨大津波の記述で文科省」、共同通信配信)。

 

(追記)メルトダウンを隠し続けた政府と官庁


 福島第一原発事故をめぐる政府の議事録が作成されていなかった問題で、枝野幸男経済産業相は2012年3月9日、原子力災害対策本部と政府・東京電力統合対策室の2会議の「議事概要」を公開しました(『日本海新聞』2012年3月10日の「炉心溶融 初日に指摘」、共同通信配信、および、同日の『朝日新聞』の「津波数時間後「溶融の可能性」」など)。
この議事概要により、当時の菅直人首相が本部長をつとめて首相官邸で行なわれた昨年3月11日午後7時3分からの第1回会議で、「8時間を超えて炉心の温度が上がるようなことになると、メルトダウンに至る可能性もあり」、との指摘が出ていたことが分かりました。
 3月13日夜の第6回会議では、菅前首相が「戦後にけるわが国の最大の危機」と強調していますが、枝野前官房長官は3月13日の会見で「メルトダウンに至るような状況ではない」と説明し、4月19日になっても「冷却を継続できれば、そういうこと(メルトダウン)にならない」、とうそぶいている始末です。その枝野が「残念ながらそういう状況(メルトダウン)と認めざるを得ない」、と遅まきにメルトダウンを追認したのは発生から2カ月後の5月15日です。

 

6 マスコミの〝外圧〟と〝内圧〟による報道規制

 

 福島第一原発の事故直後、ヨウ素剤の配布を問うたり確かめたりする報道がなかったのは、事故直後の炉心溶融やら水素爆発やらの報道でテンヤワンヤの最中だから仕方がない、との言い訳をされるかも知れませんが、わたしはマスコミの怠慢で責任はまぬかれないと言いたい。なぜなら、この問題は住民の被ばくにかかわる緊急の事柄だからです。
 あとの祭りとなったヨウ素剤の配布の遅れは、SPEEDIの公表の遅れとも関係しますが、夜も日も過ぎてからSPEEDIについての政府の事後報告を小出しにされたマスコミも、情けない。もっと早く事故直後から、「SPEEDIはどうなっているか」、と追及してほしかった。なぜなら、それはフクシマの住民とりわけ子どもたちの生命がかかっていたことだからです。
 これと裏腹に、そのスピーディがIAEAや米軍・米政府には素早く提供されて問題は、あらためて日本の政府やマスコミの対米従属の体質を浮き彫りにします。
 なぜなら、対米従属については政府もマスコミもまったく同罪だからです。辺野古移設にしてもTPPにしても、大マスコミがこぞってこれを支持してきました。つまり、アメリカは天皇とともに、日本のマスコミの2大タブーと言えます。
 このマスコミのタブーたるアメリカへの対米従属から、東日本大震災の復興資金は米国債を取り崩して使え、といった記事も議論もまったく出てこないゆえんもよく分かります。わたしは『新著『放射性廃棄物のアポリア ― フクシマ・人形峠・チェルノブイリ』の序章「わたしたちは誰しもフクシマの子である」の4「米国債売却による復興財源と住民投票による脱原発の提案」で、約70兆円もある米国債を売却して復興財源に当てるべきだと主張しました。
 この主張は『週刊エコノミスト』(2011年6月14日)で、富士通総研経済研究所の根津利三郎が提案しているものですが、大マスコミはまったく沈黙しています。もともと、米国債は外貨準備の一環とはいえ、その内実は近年アメリカがイラク戦争などの戦争資金を調達するため、日本に押し付けているものでして、そんな記事や主張が出ようものなら、マスコミの記者や幹部がアメリカや外務省から脅されるからです。
 わたしにいわせれば、日本の政府やマスコミは情けないかな、アメリカという巨大なヘビに睨まれた、ちっぽけなカエルみたいなものです。このことは沖縄普天間基地の移設問題をめぐるわたしの米子・鳥取と松江の講演のなかでも指摘した通りです(土井淑平の公式ホームページ http://actdoi.com の鳥取と米子講演「アメリカの世界支配と対米従属からの脱却」、2010年1月31日と2月7日、および、松江講演「アメリカの世界軍事戦略と沖縄普天間基地の移設問題」、2010年6月13日)。
 福島第一原発事故が起きるまでマスコミが原発にも弱く、わたしのいわゆる「原子力マフィア」の「翼賛体制」の一翼を担わされていたことは、『原子力マフィア』(編集工房朔発行、星雲社発売、2011年12月)の第2章「原子力マフィア総批判」の5「抱え込まれた御用学者とマスコミの記者たち」で、データを挙げて書いている通りです。
 福島第一原発事故で御用学者たちがつぎからつぎへと登場したことは皆様も周知の通りです。これは①産業②官庁③政府④議会⑤大学⑥マスコミ⑥労働組合の七角形で形成される ― あるいは司法も加えると八角形の「原子力マフィア」の「翼賛体制」のしからしむところで、マスコミは原子力産業から献金や資金を受けているこれら御用学者を担ぎ出した責任を問われます。
 電力会社をはじめとする原子力産業は、年間2000億円もの膨大な広告費や宣伝費を投じて、新聞や雑誌や放送の番組を買収なしは懐柔し、マスコミの幹部や記者たちにさまざまな網を被せ、1人1人を1本釣りで釣り上げることまでして、周到な原発翼賛体制をつくり上げているのです。
 NHKも民放も電波の許認可権をもつ政府当局にタテつくことができないし、民放の場合は電力会社や原発関連企業が各番組の大スポンサーでもありますから、スポンサーの意に反する番組の制作は禁物で、これを破れば大スポンサーから降りると脅され、局幹部やプロデューサーも飛ばされます。
 このように、マスコミ報道は、政府当局や大スポンサーたる電力会社の〝外圧〟を受けると同時に、それを内部に取り込んだ自己規制の〝内圧〟にもさらされています。それは個々のプロデューサーや記者たちの個人的な営為や意図を越えた力なので、なかなか抗しがたい構造になっています。ここからマスコミ報道の自己規制の体質が生まれてきます。
 もう一つ ― いや、より根本的に ― マスコミ報道の問題点は、その圧倒的な情報源が、体制的で閉鎖的な記者クラブ制度によっている、という事実です。記者クラブ制度は政府官庁や地方自治体の行政当局が、マスコミを通して大衆操作ないしは情報操作のコントロールをするルートなので、どうしてもマスコミ報道が政府当局寄りの体制的なものにならざるを得ません。
 それゆえ、昔から、記者クラブを大マスコミの専用とせず、フリーのジャーナリストにも広く開かれたものにしなければならない、という主張が絶えないわけです。わたしがことし1月23日、ドイツのドキュメンタリー映画『イエロー・ケーキ~クリーンなエネルギーという嘘』のヨアヒム・チルナー監督の記者会見に同席して、人形峠のウラン鉱山のことを話したのは、フリーのジャーナリストに開かれた東京の自由報道協会という場所でした(前掲土井の公式HP http://actdoi.com の「人形峠のウラン残土 ― 映画『イエロー・ケーキ』に寄せて」)。
 この映画はドイツ、ナミビア、オーストラリア、カナダの世界のウラン採掘地を5年の歳月をかけて克明に取材したドキュメンタリーですが、わたしたちが取り組んだ人形峠のウラン残土の何十何百何千何万倍もの、信じ難いほど膨大なウラン残土やウラン鉱滓が手もつけられず投げ捨てられ、それが放射性廃棄物の山や湖となって荒涼というか茫漠と広がっている姿を映し出し、圧倒される思いでした。
 わたしはこの映画のパンフレットに求められて一文を寄せ、さらに東京・渋谷のロードショーの幕間トークでも話しましたが(前掲土井の公式HP http://actdoi.com の「人形峠から見えてくる隠された原発の真実 ― 映画『イエロー・ケーキ』を観て」)、現在日本に54基の原発があり、その燃料ウランがすべてこれら世界のウラン採掘地から送られてくることの意味を、あらためて問いかけられました。そこでは、人知れずもう一つの巨大なフクシマが、深く静かに進行していたのです。

 

(追記)フクシマの事故を受けて人形峠のウラン残土がはらむ意味については、新刊の小出裕章・土井淑平共著『原発のないふるさとを』(批評社、2012年2月25日発売)の「原発のないふるさとの核廃棄物 ― 人形峠のウラン残土撤去運動の報告」(土井淑平)、および、土井淑平『放射性廃棄物のアポリア ― フクシマ・人形峠・チェルノブイリ』(農文協、2012年3月5日発売)の第二章「あとは野となれ山となれ ― フクシマと人形峠と核廃棄物を結んで」を参照されたい。