沖縄 ― 差別と棄民の構造

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 本稿はリプレーザ編集委員の了解により、同編集委員会編『リプレーザⅡ』No・07(2014年2月)に寄稿した拙稿「沖縄 ― 差別と棄民の構造」を再録したものです。

 

沖縄 ― 差別と棄民の構造

                                                                 
1 オスプレイの沖縄配備と辺野古埋め立て案


 アメリカの海兵隊は二〇一二年一〇月、沖縄県の官民一体の圧倒的な意思を無視して、垂直離着陸の新型輸送機オスプレイの沖縄配備を強行した。その前月の九月には、宜野湾市でオスプレイの普天間基地への配備に反対する十万人の沖縄県民大会が開かれたばかりだが、オスプレイの普天間配備の二週間後、沖縄本島の成人女性が米兵二人に強姦される凶悪事件が発生した。
 のみならず、オスプレイの追加配備中の二〇一三年八月、沖縄の宜野座村の米軍基地キャンプ・ハンセンの山中に米軍の救援用ヘリコプターが墜落する事故が起きた。すぐさま、十年近く前の二〇〇四年八月に普天間基地のある宜野湾市の沖縄国際大学本館ビルに、米軍の大型ヘリコプターが激突し爆発・炎上した事故を思い出したのは、わたしだけではあるまい。このように沖縄では米軍の航空機事故や米兵の凶悪犯罪が頻発しているのだ。
 このオスプレイに反対する十万人の沖縄県民大会は、二〇〇九年八月の衆院選で普天間基地の移設先として「可能であれば国外、最低でも県外」を公言して政権についた民主党の鳩山政権の無残な挫折 ― つまり、沖縄普天間基地の辺野古回帰案に抗議する、二〇一〇年四月の読谷村における九万人の沖縄県民大会を上回る規模であった。
 民主党政権の迷走による挫折と自壊のあと、一度死んだはずの自民党の安倍政権が二〇一二年一二月の衆院選の圧勝で再登場し、オスプレイの配備を容認し普天間基地の辺野古移設を強引に進めた。沖縄県選出の国会議員や自民党沖縄県連に脅しすかしの猛烈な圧力をかけ、二〇一三年一二月末ついに仲井真弘多知事に辺野古埋め立てを力づくで承認させた。
 しかし、沖縄の市民も議会も自治体も決して屈していない。沖縄県議会は二〇一四年一月一〇日、「仲井間弘多知事の公約違反に抗議し、辞任を求める決議」、並びに、「普天間飛行場の閉鎖・撤去と辺野古移設断念を求める意見書」を可決した。ついで、二月一九日の名護市長選では、〝銃剣とブルドーザー〟ならぬ〝金権とブルドーザー〟で、自民党幹事長の石破茂が沖縄に乗り込み、五百億円の〝名護振興基金〟なる〝生臭い金権〟をチラつかせ、なりふりかまわず札束で頬をひっぱたいて沖縄に恥をかかせようとした。しかし、名護市長選の結果は辺野古移設反対の稲嶺進の圧勝による再選であった。それは政府の差別と棄民の政策に対する、名護市民の誇り高い回答であるとともに、沖縄の民衆の抗議の集中的表現にほかならない。
 わたしは新著『フクシマ・沖縄・四日市 ― 差別と棄民の構造』(編集工房朔、星雲社発売、2013年11月)の第二章「沖縄 ― 軍事植民地と構造的差別」で、沖縄を現代日本の不条理かつ理不尽な〝差別と棄民の構造〟を体現する典型として取り上げたが、それは①国策の犠牲②中央による地方の支配と収奪③切り捨て御免の論理と倫理④植民地主義の産物、を象徴するものだ。
 この新著を刊行した直後の新年明け、わたしが講演「安倍政権と特定秘密保護法」(土井淑平の公式HPhttp://actdoi.comに動画と記録を掲載)で批判したように、安倍政権はこれから見て行く沖縄政策だけでなく、フクシマの大惨事でストップしている原発の再稼働や海外輸出の原発政策、アベノミクスを錦の御旗とするTPP参加や消費増税や企業減税などの経済財政政策、ひいてはまた、特定秘密保護法や共謀罪などの反動的立法や集団的自衛権の解釈改憲を経て、最終的に目指す憲法改正と軍国主義に至るまで、まことに危険きわまりない政権である。
 

2 日本の支配者による琉球処分と植民地化の歴史

 

 もともと、沖縄は日本の支配下に入るまでは自由な独立国であったが、日本の支配者による数次にわたる〝琉球処分〟によって〝植民地化〟の犠牲となってきた。この〝琉球処分〟による〝植民地化〟は、戦争による軍事植民地化にとどまらず皇民化教育の推進、第二次大戦後の沖縄返還以降は本土資本の流入による文化と環境の破壊も加わるが、むろん軍事植民地化がもっとも重大かつ決定的な出来事である。
 日本の足利時代の一四二九年に成立した琉球王国は、西方の中国の皇帝から柵封(さくほう)という俸禄を授かり、臣下の礼を尽くして沢山のお土産を持ち返る、いわゆる〝柵封国家〟であったが、一六〇九年(慶長14)の薩摩藩の島津家久による琉球征伐以後も、琉球は日本に従属しつつ中国との柵封関係も維持する余地を残していた。しかし、一八六八年(明治1)に成立した明治政府によって、琉球は当時の薩摩と清国への両属関係を清算させられ、強引に日本の版図に組み込まれたのである。
 一九四一年(昭和16)の真珠湾攻撃に始まるさきの太平洋戦争は、沖縄を〝捨て石〟とした凄惨な沖縄戦を経て一九四五年(昭和20)に敗戦を迎えたが、この沖縄戦では沖縄県民の四分の一に当たる二十万人を超える犠牲者を出した。アメリカ占領下の沖縄はまぎれもない軍事植民地で、一九四六(昭和21)に制定された日本国憲法も琉球諸島には適用されず、沖縄の県民は憲法がうたった基本的人権を享受することもできなかった。米軍統治下の沖縄占領支配は、「軍政府はネコ、沖縄はネズミである。ネコの許す範囲内でしかネズミは遊べない」、との当時のジェームズ・ワトキンス米海軍大佐の言葉に象徴されている。
 一九五一年に調印されたサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約(旧安保)のもとで、米占領軍は在日米軍として常時駐留し、その在日米軍の沖縄集中が進むことになる。その結果として、沖縄県は日本国土のわずか〇・六%を占めるにすぎないのに、在日米軍の専用基地の七四%を背負わされ、在日米軍の兵力の七〇%が沖縄に駐留する現状となっている。
 一九五〇年勃発の朝鮮戦争、続いて、一九六〇年勃発のベトナム戦争では、日本の米軍基地なかんずく沖縄の米軍基地が、アメリカの戦略爆撃機たるB29の兵站基地にして出撃基地となったが、これらの戦争は戦後日本の経済復興の重要なステップになった。そればかりではなく、沖縄の山地はアメリカの海兵隊の訓練場となり、伊江島では核兵器の投下実験まで行なわれた。米太平洋軍総司令官のグラント・シャープ海軍大将が、「沖縄の米軍基地がなければ、ベトナム戦争を戦えなった」と語った通りである。
 すでに一九五〇年代から朝鮮半島や台湾などの有事をにらみ、米軍は日米の協議や合意なしに千発以上の核兵器を沖縄に持ち込んでいたが、一九六〇年代のベトナム戦争のピーク時には最大で千二百発以上の核兵器を沖縄に配備し、沖縄は韓国やグアムを上回るアジア最大の核弾薬庫となっていた。一九六〇年の安保改定のさい日米両政府のあいだで、米核艦船の通過と寄港を事前協議の対象としない核密約(核艦船寄港密約)が、さらにはまた、一九七二年の沖縄への施政権返還に先立ち、有事のさいは沖縄への核再持ち込みを認める核密約(沖縄核密約)が秘かに取り交わされた。一九七四年に当時の首相だった佐藤栄作にノーベル平和賞をもたらしたところの、「核を持たず、つくらず、持ち込ませず」の「非核三原則」には「核密約」という〝抜け穴〟があったのである。
 むろん、「核密約」だけが問題なのではなく、一九六〇年の安保改定時に結ばれた日米地位協定が、米軍の基地特権や米兵の犯罪行為を隠ぺいし温存する〝治外法権〟の〝免罪符〟となったことも、忘れてはならない事実である。一九六〇年安保にからむこの問題は、沖縄以外ではまったく受け止められず、ほとんど注目されてこなかったが、沖縄の現状からさかのぼって考えるとき、一九六〇年に日米安保新条約を締結した日本の為政者だけでなく、これに反対して安保闘争を闘った本土の労働者や学生や知識人にも、沖縄の犠牲に自覚なき重大な〝欠落〟と〝空洞〟があったことは否定できない。
 自民党の安倍政権はサンフランシスコ講和条約の発効から六十一年目の二〇一三年四月、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を東京で開催したが、この日を「屈辱の日」とする沖縄県では、県議会の野党・中立会派や各種団体の呼び掛けで宜野湾市に一万人以上が集まり、政府に抗議する「屈辱の日」大会で対抗した。この「主権回復」と「屈辱の日」の対照的な両集会ほど、日本の政府と沖縄の民衆の根深い断絶を象徴するものはないと考える。わたしのいわゆる〝浮かれた国〟と〝捨てられた国〟の対照を見事に浮き彫りにする出来事である。

 

3 アメリカの帝国主義的膨張と太平洋制覇の落とし子

 

 沖縄で頻発している米兵の凶悪な犯罪や米軍の航空機事故などの実態は、沖縄県の公式ホームページの統計にくわしいが、一九九五年九月の三人の米兵による少女暴行事件をきっかけに、沖縄では島ぐるみの基地反対運動が劇的な高まりを見せ、大田昌秀知事は反戦地主の土地を基地のため継続使用するのに必要な代理署名を拒否するに至った。
こうした緊迫した状況を受けて、日米両政府で設立された「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)は、自民党の橋本政権下の一九九六年一二月の最終報告書で、宜野湾市にある米海兵隊の普天間基地を沖縄県内の代替基地に移すのと引き換えに、沖縄基地の整理縮小に取り組むことに合意した。その移転先が辺野古のキャンブシュワブ沖とされたのは、一九九九年末の小渕政権下の閣議決定によってであった。
 その後、小泉政権下の二〇〇五年一〇月、沖縄海兵隊のグアム移転が日米両政府で合意された。翌二〇〇六年五月の日米ロードマップでは、二〇一四年四月までに辺野古のキャンプシュワブ沖の施設を完成させ、沖縄海兵隊の八千人と家族九千人をグアム移転を進めて、沖縄には四千人の実働部隊を残すことになった。この日米ロードマップから二カ月後、米太平洋軍司令部は「グアム統合軍事開発計画」を発表し、二年後の二〇〇八年四月に「グアム統合マスタープラン」として米国防総省に承認され、マスタープランを実行するため翌二〇〇九年一一月に「環境影響評価案」が作成された。
 こうして、アメリカはグアム移転に向けて動き出したが、それは冷戦時代の海外基地を整理縮小しつつ、ほとんどの米軍部隊を米本土に駐留させ、海外で有事が発生したら急派する態勢への、「トランスフォーメーション」つまり「変革」と呼ばれる、米軍の編成替えの一環として構想された。しかし、「思いやり予算」も含め至れり尽くせりの日本の対米軍事援助は、アメリカにとってまたとない〝金ヅル〟で、かりに海兵隊の一部をグアムに移転させても、最大の金ヅルである沖縄の基地は残して、米軍の〝資金ポンプ〟として日本からカネを吸い上げたいハラなのである。
 実は、グアムも沖縄もアメリカの帝国主義的膨張と太平洋制覇の〝落とし子〟である。
 わたしが『アメリカ新大陸の略奪と近代資本主義の誕生 ― イラク戦争批判序説』(編集工房朔、星雲社発売、2009年12月)で跡づけたように、スペイン人によるアステカ文明やインカ文明の破壊にとどまらず、アメリカも建国前のイギリスの植民地時代から建国後のアメリカ合州国時代まで、〝三百年戦争〟と呼ばれる〝インディアン戦争〟で先住民を殺戮し土地を強奪しつつ、ひたすら西部へ西部へと膨張に次ぐ膨張をとげてきた。しかし、かれらが〝明白な運命〟と自惚れて自称した〝膨張の天命〟は新大陸の略奪で終わらなかった。
 なぜなら、アメリカをはじめとする西欧帝国主義列強は、アメリカ新大陸を略奪し植民地化し終わると、こんどは太平洋諸島の略奪と植民地化に取りかかり、それら太平洋の島々を荒らし回って軍事基地をつぎつぎ建設していったからである。なかでも、アメリカは一八九八年の米西戦争を契機にハワイを併合したのをはじめ、マゼランの周航でスペインの支配下に入っていたグアムをフィリピンともども、スペインから力でもぎとったのである。こうしたアメリカの帝国主義的膨張による太平洋制覇の総仕上げが、一九四一年に始まる太平洋戦争の戦利品としての沖縄の軍事基地化であった。
 アメリカは建国当初から戦争中毒の戦争国家で、第二次大戦後も朝鮮戦争からベトナム戦争を経て、湾岸戦争やイラク戦争まで戦争に次ぐ戦争で、グローバルな世界覇権を手にしたが、この〝軍事帝国主義〟を支えたのはドル支配による〝通貨帝国主義〟であった。すなわち、アメリカはドル建て米国債の発行を相次ぐ戦争の資金源として、その米国債を日本や中国その他に押し付けてきたが、他人のフンドシで相撲を取る無責任な財政運営が、いつまでも持つわけがなかった。二〇一三年春から秋にかけて顕在化した米国債の債務不履行(デフォルト)の危機は、全世界を経済的破局に巻き込む恐るべき財政破綻の深渕を垣間見せた。
 わたしが新著『フクシマ・沖縄・四日市』の第二章「沖縄」で警告したように、アメリカの財政危機は先送りしても解消できるものではなく、いぜんとして〝断崖絶壁〟の〝時限爆弾〟なのである。アメリカの元会計検査院院長のデイヴィッド・ウォーカーが、「遠い異国の地にまで戦いに赴く自信過剰気味の軍隊や、無責任な財政運営に明け暮れる中央政府」を引き合いに出し、現在のアメリカと滅亡直前のローマ帝国が「驚くほど似ている」と喝破した通りだ。

 

4 沖縄は日米両政府の共同植民地の犠牲

 

 アメリカの帝国主義というよりも超帝国主義つまりスーパー帝国主義は、①軍事帝国主義②通貨帝国主義③政治帝国主義④文化帝国主義、の四重の構造によって成り立っているとわたしは考えるが、アメリカの国際政治学者のチャルマーズ・ジョンソンも、冷戦の終結後もアメリカが軍備を縮小するどころか、「無謀にも帝国として世界に君臨する道」を選び「ワシントンが軍事的および経済的に世界を支配している」と分析している。
 チャルマーズ・ジョンソンによれば、沖縄は「ペンタゴンの軍事植民地」としての「アジア最後の植民地」であるが、この見解を受けて沖縄出身の政治学者の吉田憲正は、「米国による沖縄の軍事植民地化を可能にしているのは、日本政府(すなわち日本国民)の承認と支持があってのことである。つまり、日本という共犯者があってこそ成り立っている「軍事植民地」なのである」と書いている。その意味で、沖縄は「日米両国の植民地」といえるわけで、新崎盛暉のいわゆる「沖縄構造的差別」もここに起因する。
 二〇一三年一一月、安倍政権と自民党本部の恫喝で屈服させられ、普天間基地の「県外移設」を「撤回」して、こうべを垂れた沖縄出身の国会議員や県連幹部たちの姿は惨めだったが、『沖縄タイムス』は東京・永田町の自民党本部で記者会見した石破茂幹事長を「琉球処分官」になぞらえ、「歴史の歯車が一八七九(明治12)年の琉球処分まで後戻りしたような印象を抱かせた」(二〇一三年一一月二八日の社説「〔自民県連 辺野古容認〕恥ずべき裏切り行為だ」)と評した。
 まるで拉致同然の東京抱え込みで都内に入院した仲井真知事は、入院中なのに首相や防衛相など政権幹部のところにノコノコ出向いては、辺野古埋め立て承認の口実づくりの詰めを行ない、安倍首相との一二月二五日の会談を受けて、「驚くべき立派な内容を提示していただいた」と述べた。しかし、『沖縄タイムス』が「菅義偉官房長官」の「シナリオ」の上で踊る仲井真知事を「まるで別人」の「操り人形」(一二月二六日の社説「〔首相・知事会談〕県民ははしご外された」)にたとえた通りで、仲井真知事のいわゆる「驚くべき立派な内容」とは、〝馬の鼻先のニンジン〟にほかならなかった。
 安倍政権の「沖縄厚遇」の「粉飾予算」も、本来なら「国の予算」を「沖縄関係予算」に紛れこませたまやかしである。思えば、沖縄の四十一市町村の首長・議会など県民代表らは二〇一三年一月、〝オール沖縄〟で首相に提出した建白書でオスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖、県内移設の断念を求めたばかりだ。その一人である沖縄県市長会会長の翁長雄志那覇市長が、「(沖縄の負担軽減が)担保されたと考えるのは大変甘い考え」「日本国総動員で沖縄の団結を崩しにかかっている」「それでも県民の7割は微動だにしない」と批判したのも当然である。これから沖縄県民の民意や名護市長選の審判で帰趨が問われよう。
 辺野古埋め立て承認のための安倍政権の「沖縄厚遇」の「粉飾予算」も、あるいはまた、名護市長選における石破茂自民党幹事長による「五百億円」の「名護振興基金」のカラ手形のチラつかせも、田中角栄以来の歴代自民党政権が原発推進のため交付金や補助金をバラまいて進めてきた〝金権政治〟の〝沖縄基地版〟である。名護市長選における稲嶺進再選に寄せて、『琉球新報』が「社説」(二〇一四年一月二〇日)で喝破したように、これは文字通り「誇り高い歴史的審判」であり「日米は辺野古を断念せよ」ということだ。
 ひととき〝粘り腰〟と期待した仲井真知事の〝腰砕け〟には失望したが、責めるべきはアメリカにアタマごと従属した日本の政治家とマスコミ、そして、沖縄に無関心な本土の知識人と大衆それ自身であろう。二〇〇九年八月の衆院選で民主党が圧勝して長年の自民党一党支配を終わらせ、沖縄の普天間基地の「県外移設」を公約に掲げて誕生した鳩山政権が「日米関係」の見直しに向けて動き出したとき、本土の大手紙をはじめとするマスコミが一斉に、「アメリカが怒っている」「日米関係がおかしくなる」とその外交政策にイチャモンをつけた。
 わたしは二〇一〇年一月と二月に山陰の鳥取市と米子市、ついで、六月に松江市で行なった沖縄講演で、自らもかつて籍を置いたことのある本土のマスコミをこう批判した。「アメリカの属国ならいざ知らず、いやしくも独立した対等の国家どうしならば、軋轢や緊張が生じるのは当たり前であって、それを調整・解決するために外交交渉というものがある」「いったい、日本のマスコミはいつからアメリカのマスコミになったのか」「日本の政治家のアタマ(注・マスコミも同じ ) が、あたかもヘビに睨まれたカエルのように、アメリカに占領され従属していることを証拠立てる1例」と(講演「アメリカの世界支配と対米従属からの脱却」「アメリカの世界軍事戦略と沖縄普天間基地の移設問題」、前掲土井の公式ホームページhttp://actdoi.comに掲載)。
 本土の知識人には危機意識のカケラもなくノーテンキである。たとえば、二〇一二年八月のテレビ朝日の「報道ステーション」で、沖縄のオスプレイ配備など「超どうでもいい」と言い放ってキャスターを呆れさせた作家の高橋源一郎は、驚くなかれ『朝日新聞』の「論壇時評」を担当する明治大学の教授で、バラエティのタレントやファッションモデルでもあるまいに、毎月の時評に自らの飛んだり跳ねたりのスナップ写真をつけて登壇している。
 その高橋源一郎がゴマスリに余念のない吉本隆明は、つい最近まで「戦後最大の思想家」ともてはやされてきたが、わたしが『知の虚人・吉本隆明 ― 戦後思想の総決算』(編集工房朔、星雲社発売、2013年1月)で手厳しく批判したように、こともあろうに3・11のフクシマ原発事故のあともなお原発を「人類の進歩」と持ち上げ、「反原発で猿になる!」と反原発派にかみつく〝辞世の句〟を残して逝った人物である。この〝老醜のオモラシ〟をもっともらしい〝ヘリクツ〟で取り繕おうとする、わが論壇の小天皇制たる〝吉本真理教〟の〝吉本親衛隊〟の著名人たち、たとえば中沢新一や加藤典洋のヨダレクリやオムツカバーも見苦しく、いずれにせよ近年の本土の論壇・文壇のいちじるしい劣化と退廃を象徴している。
 吉本隆明が一九六九年の「異族の論理」で日琉同族論や祖国復帰論の限界を指摘したのは間違っていないが、琉球の古歌謡『おもろそうし』を「宗教味をふくんだ土謡調くらいの意味しかもっていやしない」などと見下し、沖縄学の研究者を十束一絡に攻撃したのは、沖縄のジャーナリストの新川明が批判したように不当かつ傲岸である。その後、吉本隆明はバブル期の一九八九年、一方でヘーゲルもどきの西欧進歩史観の観念的段階論で「南島論の基層」を「アフリカ的段階」まで掘り下げ、他方で「那覇市」が「世界都市」になることによって、「アジア的段階」たる「天皇制国家」を「相対化」し「無化」できるとしたが、これはバブルではじけた〝吉本南島論の末路〟を伝える〝語るに落ちた話〟である。
 しかし、吉本隆明が持ち上げてきた大衆、つまり、沖縄の〝差別と棄民の構造〟の張本人たる本土の政権を長年支えてきた大衆にこそ、沖縄基地の責任があることは否定し難い。仲井真知事の辺野古埋め立て承認直後、辺野古移設に賛成がほぼ過半数の四九・八%で反対の三三・六%を大きく上回った年末の共同通信の世論調査結果は、〝オールジャパン〟が〝オール沖縄〟を踏みつけて平然としていることを如実に示すものだ。
 言語学者のノーム・チョムスキー、歴史学者のジョン・ダワー、元米国防総省職員のダニエル・エルズバーグ、映画監督のマイケル・ムーアやオリバー・ストーンなど米国、欧州、カナダ、オーストラリアの知識人二十九人は二〇一四年一月七日、普天間基地の辺野古移設に反対する声明を発表した。声明は「沖縄県内の新基地建設に反対し、平和と尊厳、人権と環境保護のためにたたく沖縄の人々」の支持を表明し、普天間は沖縄に直ちに返すべきで、辺野古移設が「長年の沖縄の人々の苦しみを恒久化させること」にもつながると主張している。