中沢新一と吉本隆明

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=長編評論一挙掲載= 中沢新一と吉本隆明


亡きグルのためのパヴァーヌ
 吉本隆明の後追い心中で殉死した中沢新一
  ― 中沢新一編『吉本隆明の経済学』を読む ―

 

 

                      =目次=
   1 鰯の頭も信心から
      オウム真理教の麻原彰晃を礼賛し3・11後も原発を賛美した戦後思想家
   2 その内容と記述の形式
      チベット密教から吉本真理教につながる密教の秘伝の伝授
   3 その非科学的な形而上学
      贈与の金メッキで金ピカに飾り立てられた消費社会の神話
   4 その非歴史的な史的観念論
      勝てば官軍で無理が通れば道理引っ込む歴史の神話
   5 ノストラダムスの新予言
      笑うレーニンとマルクスの読みかえならぬ骨抜き

 

1 鰯の頭も信心から
   オウム真理教の麻原彰晃を礼賛し3・11後も原発を賛美した戦後思想家

 

 ラヴェルに「亡き王女のためのパヴァーヌ」という小品がある。これは亡き王女への葬送の哀歌の趣きがあるが、パヴァーヌはヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏を意味するらしい。この曲の入ったレコードがたまたま家にあったため、わたしは少年の時分に繰り返し聴いたものだ。なにか胸に迫ってくるような物悲しくも哀切なメロディに引き込まれたことを思い出すが、そのころわたしは山陰の田舎から進学して都会の荒波で生活することを目指していたので、そんな哀歌のノスタルジアのような世界にうしろ髪を引かれていては駄目ではないか、との不安がちらっと頭をよぎったこともかすかに覚えている。
 中沢新一編『吉本隆明の経済学』(筑摩書房、2014年10月)を一読した。直ちに「亡きグルのためのパヴァーヌ」の言葉が頭に浮かんだ。タイトルは『床屋政談の経済学』ないしは『床屋の経済談義』とすべきだと思うが、床屋政談の熊公八公のあけっぴろげな快活さもない、まことに退屈な辛気臭い本である。本書をもって、中沢新一は吉本隆明の後追い心中で、思想的に殉死したに等しい。
 それにしても、明治以来のドイツ流の講壇哲学の尻尾をつけた駄文を、よくこれだけ落穂拾いか馬糞拾いみたいに集めたものだ。中沢新一というのは、よほどヒマな人間なのであろう。自分の研究や仕事のテーマがあったら、こんな辛気臭い駄本を編集している時間はないはずだからである。
 中沢新一は『吉本隆明の経済学』のノッケからヨダレをタレ流している。「それはまったく独自な経済学であり、強いてその精神において類似のものを探してみても、経済学をめぐるジョルジュ・バタイユの晩年の思考くらいしか、思い当たるものがない」「そこからはマルクスのものとも近代経済学のものともケインズのものとも異なる、ほとんど類例のない理論的な見通しが得られることになった」「吉本の経済学思考には、資本主義の全歴史とその未来を長大なスパンで見通す、すばらしい透視力が備わっている」と。
 いやはや恐れ入ります。まさに「鰯(いわし)の頭も信心から」である。1960年代の安保・全共闘世代の熱心な吉本ファンならいざ知らず ― わたしはこの人たちを「吉本真理教」の「信者」と呼んでいるが ― いまどき、吉本隆明のお説教を黙々拝聴する人間は少ないであろう。いったい、吉本隆明というのは何者なのか?この問いに対して、わたしは2つの答えで返したい。
 まず第一に、2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原発事故が勃発するや、『毎日新聞』(2011年5月27日夕刊)の取材に対して「四つんばいで現れた」吉本隆明は「科学技術に退歩はない」とのたまい、超右翼の雑誌『撃論』(2011年10月)にも、自民党代議士の町村信孝や元航空幕僚長の田母神俊らと登場し、「反原発は文明の放棄だ」とのゲキを飛ばした。
 この『撃論』には、田母神俊雄「福島の放射能避難は、〝平成の強制連行〟だ」、東工大助教の澤田哲生「左翼の〝恨〟原発運動に頭をやられた日本人」、自民党代議士の西村真悟「沖縄戦を冒涜する大江健三郎は赤い祖国へ帰れ」、といったおっかない超過激な撃論がズラリと並んでいる。吉本自身も軍服こそ着ていないが、若かりし頃の戦中派の軍国青年の心境から、原発の弁護の背景と動機を率直にこう語っている。
 「戦争末期は、全部が敵対国という状況の中、単独でアジアの解放に専念してやったんだ、やれるだけのことは全部やったんだという自負心を敗戦後に補ってくれるものは戦後の発展しかなかった」。その「象徴の一つ」が「最先端技術の結晶である原子力発電」だったと振り返るのだから、吉本隆明の自己理解では太平洋戦争は「アジアの解放」のための戦争で、その「アジアの解放」の戦後版の発展の産物が原発だったということになる。
 しかし、何と言っても、3・11以後の原発擁護で吉本隆明の声価を決定づけたのは、『週刊新潮』(2012年新年特大号、1月5・11日合併号)で「反原発で猿になる!」、と猿のように吠えた〝辞世の句〟であろう。すなわち、吉本隆明はこの〝辞世の句〟をもって〝原発特攻隊員〟として、わが〝日の丸原発〟を熱烈に擁護しつつ〝原発で殉死〟した奇特な人物だったのである。

 

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            「反原発で猿になる!」と吠える猿


 これについては、わたしの『原子力マフィア ― 原発利権に群がる人びと ― 』(編集工房朔発行、星雲社発売、2011年)、『原発と御用学者 ― 湯川秀樹から吉本隆明まで ― 』(三一書房、2012年)、および、『知の虚人・吉本隆明 ― 戦後思想の総決算― 』(編集工房朔発行、星雲社発売、2013年)で、吉本隆明の言説と論点を具体的に挙げて、グウの音も出ないほど徹底的に批判し論破したつもりなので、興味のある読者は参照されたい。
 つぎに、3・11フクシマにさかのぼる16年前の1995年3月20日の地下鉄サリン事件の大惨事のあと、吉本隆明は『超資本主義』(徳間書店、1995年)オウム真理教の麻原彰晃を「世界有数」の「宗教家」「思想家」と九天の高みに持ち上げてホメそやし、この考えを一度も訂正しないどころかヘリクツを並べて居直った稀有な人物である。
 この日本の戦後史の重大な画期となる出来事に、このような特異な対応をした人物が驚くなかれ、60年代の安保・全共闘世代や出版・編集メディアの残党たちから、「戦後最大の思想家」と担がれてきたのである。その「戦後最大の思想家」とやらが、地下鉄サリン事件後もオウムの教祖の麻原彰晃を礼賛し、3・11のフクシマ原発事故後も原発を「科学技術の進歩」「文明の進歩」の名で賛美したのだから、国内的にも国際的にもまったく申し開きのできない、日本の戦後思想史上の一大醜聞つまりスキャンダルと考えるべきである。
 吉本隆明は太平洋戦争の戦前・戦中に熱烈な〝愛国少年・右翼青年〟だった戦中派の生き残りだが、戦後の1960年安保闘争と60年代末の全共闘運動で一転新左翼を支持して人気評論家となり、1970年代以降の資本主義美化と右傾化容認の言説にもかかわらず、60年代安保・全共闘世代のシンパたちから、古き良き時代のノスタルジーも込めて、「戦後最大の思想家」とか「知の巨人」と呼ばれ続けてきたのである。
 その末路たるや、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の麻原彰晃を礼賛し、3・11フクシマ後も原発を賛美し、猿の遠吠えのごとき〝辞世の句〟を残して惨めにも〝原発で殉死〟したのだから、いったい戦後思想とは何だったのか、とあらためて問われる語るに落ちた話である。
 いや、「オウム」と「原発」は吉本隆明の晩年の〝アキレスの踵〟にすぎず、そのかくかくたる〝知の巨人〟の業績は長嶋茂雄の読売巨人軍のように〝不滅〟である、そのまぎれもない証拠として中沢大先生の編集による『吉本隆明の経済学』があるではないか、と吉本真理教の信者たちは弁解するでもあろう。
 しかしながら、これまたわたしが『知の虚人・吉本隆明』で「自立の思想」「大衆の原像」「共同幻想」といった、60年代安保・全共闘時代にさかのぼって吉本隆明が人気を博したキイ・ワードを徹底的に検証して批判し、何のことはない「知の巨人」が「知の虚人」という〝東海の島国〟の〝ハダカの王様〟にほかならないことを明らかにした通りだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 日本には「鰯の頭も信心から」という諺がある。つまり、鰯の頭のようなつまらないものでも、信心しだいで尊く有難いものになるわけである。これこそ、吉本真理教の信者たちの心性であり、吉本隆明の床屋政談の経済談義をマルクスやケインズと肩を並べ、それを越えさえすると駄法螺を吹く中沢新一の有難き〝御神体〟である。中沢新一は吉本大尊師つまりグルの後追いで古風にも〝殉死〟したのである。

 

2 その内容と記述の形式

   チベット密教から吉本真理教につながる密教の秘伝の伝授

 

 中沢新一編『吉本隆明の経済学』を一読して、まずこの本に収録された吉本隆明の文章の出典と日付に限定される文脈に関係なく、もっともらしい普遍めかした解説を付していることに、わたしはいかがわしさやうさん臭さというよりも、吉本真理教の尊師を有難くアタマに担ぐ信者の一人、中沢新一の心性と方法の秘密を見ないわけにはいかなかった。
 テクストはコンテクストによって規定される。テクストの意味はコンテクストに照らして検証されなければならない。ここからテクストの考証や批評も生まれるはずだ。しかるに、『吉本隆明の経済学』のようなコンテクストのないテクストは、言ってみれば麻原彰晃の〝空中浮揚〟の〝演し物〟のようなものである。
 吉本隆明が麻原彰晃の言説というテクストを、オウム真理教の地下鉄サリン事件という歴史的かつ現実的なコンテクストから切り離したように、中沢新一は吉本隆明のテクストをコンテクストから切り離し、密教の秘伝に類するものを〝普遍的〟な〝真理〟であるかのように装い、あたかも麻原彰晃の〝空中浮揚〟の〝奇跡〟のごとく見せかけようとしたのだ。
 このやり口はいまに始まったことではない。その典型は、中沢新一が瞑想修行を受けたチベット密教ニンマ派の秘伝の伝授という形式を取った、ラマ・ケツン・サンポの口述記録『虹の階梯 チベット密教の瞑想修行』(平河出版社、1981年)、あるいはまた、「ニューアカデミズム」の名で持てはやされた『チベットのモーツアルト』(せりか書房、1983年)である。見逃してならないのは、そのチベット密教の秘伝の伝授において、修行における徹底した「グル」(チベット語では「ラマ」)への帰依、および、オウム真理教の殺害で知られるようになった「ポア」の技法が強調されていることだ。
 ひるがえって、中沢新一編『吉本隆明の経済学』もまた、チベット密教に代わって吉本真理教の秘伝の伝授という形式を取っている。変われば変わるほどいよいよ同じと言うべきか。ここには有難きグルへの称賛の言葉はあっても、本来なら学者につきものの考証や分析に基づくクリティークがない。だから、わたしは中沢新一を学者とは呼べないと言うのだ。
 『チベットのモーツアルト』では、ジュリア・クリステヴァやジル・ドゥルーズといったフランスの現代思想から、ソフィスティケーテッドされたハイカラな修飾語を引っ張ってきて、密教の秘伝の伝授をオブラートに包んできらびやかに飾っているが、同じようなことを中沢新一は吉本真理教の秘伝の伝授でも繰り返しているのだ。
 こうした批判はわたしだけの独断ではない。たとえば、若き宗教学者の太田俊寛が『オウム真理教の精神史』(春秋社、2011年)で、中沢新一のチベット密教の修行体験をもとにした『虹の階梯』や『チベットのモーツアルト』に寄せて、これらの仕事は「宗教の研究者」によるものではなく、「宗教の側に立ってその魅力を喧伝する役割」「自分自身が思い描く甘美な宗教的イメージの魅惑を喧伝するデマゴ-グ」のものだとして、つぎのように喝破した通りだ。
 「二〇世紀後半のポストモダニズム、そして日本におけるニューアカデミズムの運動は、ロマン主義と同種の反近代主義を基調としており、… ポストモダンのイデオローグたちはしばしば、自覚的にせよ無自覚的にせよ、そうした不可視の時空を感知する特別な能力を持った一人のカリスマであるかのように振る舞ったのである」。
 わたしに言わせれば、日本のポストモダンやニューアカは、およそ「運動」などというシロモノではなく、せいぜい「流行」を追う雑誌メディアの造語にすぎないが、あたかもカリスマのように振る舞った中沢新一の言説と行為に、「麻原と中沢のあいだに共鳴が生じた原因や、当時の代表的知識人がオウムを適切に批判できなかった原因があると思われる」、との太田俊寛の評言は当たっている。
 太田俊寛も指摘した通り、そもそも中沢新一は批評精神をもった宗教学者ではなく、チベット密教からオウム真理教へと至るまで、学者の仮面をかぶって宗教のカリスマを自ら演じようとしたデマゴーグだったと言える。「中沢が自ら密教の修行を実践したということについては、それは従来の宗教学や人類学で行われてきた「参与観察」の範疇にかろうじて入ると言うこともできるだろう。しかし通常の研究であれば、参与観察によって得られた知見に対し、歴史的背景や学問的理論に照らして分析を行い、対象を客観的に把握することが目指されるわけだが、中沢が行ったのはその種のことではなかった」。
 当時の煩悩する青年だった中沢新一が、太田俊寛のいわゆる「チベット密教の修行やグルへの帰依によって、自分が納得できる世界観や精神的安定を得ることが何よりの目的だった」かどうかわたしは知る由もないとはいえ、少なくとも中沢新一が「きわめて確信犯的な仕方」で「ミイラ取りがミイラになった」ことは間違いない。
 吉本隆明は文庫本の『チベットのモーツアルト』(講談社学術文庫、2003年)の「解説」で、それが「精神(知)の考古学」の技法を使ってチベットの原始密教の精神過程と技法に参入し、その世界を解明しようとした最初の試み」と持ち上げているが、「ミイラ取りがミイラになった」のはチベット密教のときに限らず、中沢新一の吉本真理教のグルへの帰依も似たようなものだ。
 2012年6月、地下鉄サリン事件の殺人容疑で逮捕された指名手配犯の高橋克也の潜伏先の部屋から、文庫本の中沢新一著『三万年の死の教え チベット『死者の書』の世界』(角川文庫、1996年、単行本初版1993年)が見つかったとのニュースを目にして、わたしたちはあらためて中沢新一が麻原彰晃らオウム真理教の信徒たちに与えた影響の大きさを思い知らされたものである。
 わたしが『原発と御用学者』でも指摘したように、その中沢新一は1989年11月のオウム真理教による横浜の坂本弁護士一家殺害の直後、ごていねいにも『SPA!』という雑誌で日本出国直前の麻原彰晃に独占会見して、坂本弁護士一家失踪事件で当時疑惑の渦中にあったオウム真理教の犯行を否定する〝広告塔〟の役割を果たしたのである。この事実は歴史から抹消することなく、記憶と記録にとどめておく必要があるので、もう一度そのときの言葉を引用しておこう。すなわち、中沢新一を「先生」と呼ぶ麻原彰晃が坂本弁護士一家の失踪事件について、「あの事件についてはオウム真理教はまったく関係がない」と犯行を否定したことを受けて、中沢新一いわくである。
 「では〝尊師〟は〝先生〟を前に、はっきり否定なさるわけですね」「わかりました。もうこの問題には立ち入りません」「宗教がそのニヒリズムを突き破って、生命と意識の根源にたどりつこうとするならば、どうしてもそれは反社会性や、狂気としての性格を帯びるようになるのではないでしょうか。ですから、その点については、オウム真理教の主張していることは、基本的に、まちがっていないと思います」(『SPA!』1989年12月6日号所収の中沢新一の独占会見「〝狂気〟がなければ宗教じゃない」)。
 中沢新一は地下鉄サリン事件後の「オウム真理教信者への手紙」(『週刊プレイボーイ』、1995年5月30日号所収)で、麻原彰晃に会ったときの印象として、「この「最終解脱者」を自称している人物が、並々ならぬ知性の持ち主であること」「宗教家というよりも、革命家のような口調で … (現代日本にも)ラジカルな宗教家が、はじめて出現することになった」「この人はなにか新しいことをしでかす可能性を持った人かもしれない」との印象を持ったと語っている。
 オウム真理教のネタ本が中沢新一の『虹の階梯』であることは周知の通りで、チベット密教の教えのなかでも「タントラ・ヴァジラヤーナ」の教義は地下鉄サリン事件を起こす決定的な〝引き金〟となった危険な教義である。中沢新一自身も「ポア」という言葉が「僕の本からの極端な盗用」と認めているが、地下鉄サリン事件で「〈宗教学者・中沢新一〉なんてもう終わりにします」(『週刊プレイボーイ』1995年4月25日号所収の中沢新一インタビュー「宗教学者・中沢の死」)、といった逃げ口上の遁辞でさっさと逃げおおせるものではないはずだ。
 この点、東大時代の中沢の後輩に当たる島田裕巳が『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房、2007年)で批判しているように、中沢新一には「彼とオウム真理教との関係、そしてオウム真理教が引き起こした事件との関係」について、自ら明らかにするという責務があるはずだからである。
 その島田裕巳が『宝島30』誌(1996年1月号)に掲載された元信者の手記「僕と中沢新一さんのサリン事件」から伝えるところでは、中沢新一は地下鉄サリン事件のあと中沢本人に直接会った元信者に「宗教とは狂気を持っているものなんだ」として、「オウムのサリンはどうして(犠牲者が)十人、二十人のレベルだったのかな。もっと多く、一万人とか、二万人の規模だったら別の意味合いがあったのにね」と語ったというのである。
 『宝島30』誌(1996年6月号)の「私の『中沢新一』論」でも、中沢本人から「一万人、二万人規模の人間が死ねば、東京の霊的地場が劇的に変化する」、と聞かされた元信者の話が同誌編集部により紹介されている。その真偽のほどはそれこそ中沢本人に確かめないと分かるまいが、島田裕巳が何度か中沢との対談をセットしようとしたが、一度も実現せず「彼が逃げているように思える」と書いている。

 

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            聖なる真理教の3尊師のグル


 吉本隆明が麻原彰晃を「世界有数」の「宗教家」「思想家」と持ち上げた発言は、さすがの吉本真理教の信者たちにも不安と動揺を与えた。これでは、60年代安保・全共闘世代のカリスマも地に堕ちる、スワ先生が大変とばかり熱心な吉本シンパたちが集まって教祖を囲み、吉本隆明+プロジェクト猪の『尊師麻原は我が弟子にあらず』(徳間書店、1995年)なる毒消しの本を出した。老先生のオモラシに対する応急のオムツカバーで、その出版の意図がスケスケ見え見えの駄本である。
 そのなかで、吉本隆明は「麻原さん」と「さん」づけで、こんなヨタを飛ばしている。「僕は麻原さんはヨーガの修行者としては大変よくやった人だと高く評価してきました」「(しかし)予言に近いことをするためには、やっぱり麻原さんがヨーガでやったと同じくらいの厳しい修練(が必要で)」「麻原さんの予言と第三次世界大戦不可避論は、(かつて大江健三郎みたいな反核文士が、核戦争反対だと言っていたのと)同じレベルの(バカバカしい)もの」「僕は修行者としての麻原さんを考えると、とても残念な気がします」。
 「ただオウム真理教の殺傷の責任者であり、当事者(?)であるかもしれない教祖麻原彰晃を殺傷の故をもって宗教家としての力量を無視してただの殺人鬼に仕立て、オウム―サリン事件をたんなる異常な殺人鬼集団の殺傷事件であるかのように扱って済まそうとするマス・コミ、新聞、テレビの態度は、事件の本質を誤るばかりか、途方もない見当外ずれの方向に世論を誘導するスターリニズムやファッシズムにつながる危険なものだと思う」。
 60年代安保・全共闘世代の吉本真理教の信者にしてみれば、吉本隆明も麻原礼賛ばかりでなく、ちょっぴり麻原尊師に忠告めいた注文もつけ、反核運動批判やスターリニズム批判で〝麻原隠し〟の〝煙幕〟も張ってくれたので、何とか御本尊の吉本先生のボロを取繕う毒消しになったと思いたいところだろうが、おっとどっこい、そう簡単に問屋は下りない。
 そもそも、オウム真理教や地下鉄サリン事件には何の関係もない、反核運動批判やスターリニズム批判といった水戸黄門ならぬ〝吉本御老公〟の〝印籠〟まで持ち出してみたところで、麻原彰晃の明々白々な凶悪犯罪を免罪することにはならないからだ。ことオウム真理教や地下鉄サリン事件に関して、「途方もない見当外ずれの方向に世論を誘導」しようとしたのは、「マス・コミ、新聞、テレビ」ではなく、ほかならぬ吉本隆明その人だったのである。
 吉本隆明は「(麻原彰晃は)相当な思想家」で「(オウム真理教も)そんなに否定すべき殺人集団ではないよ」と書いた。中沢新一も「(麻原彰晃とオウム真理教の思想は)今回のいまわしい事件(地下鉄サリン事件)によって、葬り去られてよいものではない」と書いた。それならば、なおさらのこと、中沢新一はその「葬り去られてよいものではない」麻原彰晃の思想について、自らが与えた影響の責任も考慮して率直に語るべきではないか。
 いずれにせよ、吉本隆明と中沢新一はオウム真理教と麻原彰晃の評価だけでなく、非歴史的なロマン主義の精神全般を通じて、シャムの双生児のように切り離せない資質と見解を共有していたのであって、それこそが中沢新一をして密教の秘伝の伝授という形式で『吉本隆明の経済学』を編ませたのである。

 

3 その非科学的な形而上学
   贈与の金メッキで金ピカに飾り立てられた消費社会の神話


 中沢新一編『吉本隆明の経済学』が密教の秘伝の伝授という形式を取っていることは、まったく非科学的にして非歴史的な性格を物語る。ここでは、その非科学的な形而上学という性格について検証するが、少なくとも「経済学」が「科学の一分科」であるからには、データとテクスト・クリティークを踏まえた考証と分析が必要である。
 しかるに、中沢新一は吉本隆明のテクストから出典や日付などコンテクストを隠し、テクストの考証も分析もなく、いわば密教の教義として丸ごと真理であるかのように差し出している。このことは、中沢自身が密教の教祖たるグルの吉本隆明に同化して融合してしまい、いわば一心同体となってグルの神格化と神秘化にこれつとめているということを意味する。
 密教の伝授は科学の方法にまったく反している。科学の方法とは、わたしが『原発と御用学者』でも引用したカール・ポパーの「推測と反駁」である。「こうした推測は批判、すなわち、厳しい批判的なテストを含む反証の試みに支えられている」(『推測と反駁』、法政大学出版局、1980年)。
 しかるに、吉本隆明の言説はすべて一義的な断言命法であって、いっさいの異議や批判を許さない。その言説にちょっとでも異議をはさもうものなら、ブルドッグのごとく「馬鹿!」「頓馬!」「ド阿呆!」の罵詈雑言が返ってくる。この罵詈雑言は強迫神経症じみた被害妄想からきているが、吉本隆明ほど物事や事象の多義性にうとく、批評や論争に背を向けた人間はいないのだ。
 わたしが『原子力マフィア』でも指摘したように、かつて吉本隆明が発行していた『試行』の「情況への発言」は、熊公八公の床屋政談風に大吉本と小吉本を対談させ、一切の他者を罵倒しながら、小吉本に「ウチの先生が一番えらい」と大吉本を持ち上げさせ、自作自演で吉本神話を演出してきた。
 それはソクラテスの問答対話さながら、相手かまわず「擬制だ!」「ニセモノだ!」と否定に否定を重ね、この「否定の否定」によって問答対話が終わってみると、自らが「最大の知者」として立ち現れる、というルール・チーターの「イカサマ競技」でしかなかったのである。
 吉本隆明にも中沢新一にも共通するのは、その言説が非科学的であるのみならず非歴史的だということである。この歴史的思考の欠如は両者の空想的なロマン主義と背中合わせであって、ここから経済をめぐるロマンに彩られた空想や妄想が幅を利かせることにもなる。
 たとえば、『吉本隆明の経済学』の中心的なテーマの一つである贈与論について見ると、なるほど吉本隆明もマリノフスキーやマルセル・モースの著作から、未開社会における贈与の在り方は一応踏まえている。しかし、ここから、マルクス流の「交換価値論」に代えて「贈与価値論」を形成すれば、現代の「消費資本主義」から「超資本主義」なる「資本主義の未来像」に移行できるというのは、まったくの空想というよりも妄想の産物である。
 吉本隆明は「消費資本主義」なるものを定義して、所得の半分以上が「消費」に使われていて、その「消費」のうち50パーセント以上が衣食住のような「必需消費」でなく「選択消費」になっている社会としている。この「消費資本主義」は「第一次産業」や「第二次産業」を凌駕して、「第三次産業」(小売、卸売、金融、サービス、流通)が50パーセントを越えた社会だとも言っている。
 この「第三次産業」の膨張による「消費資本主義」の出現をもって、吉本隆明は「マルクスが分析しなかった未知の段階」と称し、アメリカ、日本、EC(現在の欧州連合)の資本主義の「先進的な三地域」こそ「未知の段階」の「消費資本主義」の最先端を行くものと位置づけている。
 のみならず、これら「消費資本主義」の「先進的な三地域」で、農業が限りなくゼロに近づいていくのは避けることのできない「歴史の必然」なので、これら先進地域は第三世界やアジアの農業地域に「贈与」するしかない。そこで、「交換価値」に代わって「贈与価値」によって価値論を形成しなければならない、というのが吉本隆明の見解の骨子である。
 まるで吉本隆明の影法師を演じる中沢新一は、「誰かが消費資本主義に関する新しい『資本論』を書かなくてはいけなかったのだが、それを引き受けることのできる力量と情熱をもっていたのは、世界中で吉本隆明ただ一人であった」「未開の世界の贈与とは違う形態をとって、より高度な形態をとった贈与が人類社会に回帰してくる。このようにして贈与論は人類史を貫いていくのだ。吉本隆明はここでマルクスとモースを同時に乗り越えようとしている」、と大見得を切って大ブロシキを広げている。中沢新一の学者失格を証明するお笑いの一席である。
 そもそも、「農業が大事」などと大見得を切る中沢新一が、消費資本主義のもとで「農業ゼロ」を主張する吉本隆明を称揚するのは、いったいどういうことか。これは矛盾しているというよりも、まったく支離滅裂の極みではないか。いや、知の手品師や詐欺師のフロシキには、支離滅裂な矛盾を立派に切り抜ける奇術がある。わたしは中沢新一が『フィロソフィア・ヤポニカ(集英社、2001年)で取り上げている西田幾多郎や田辺元の「絶対矛盾の自己同一」を思い出す。
 しかし、中沢新一がどのような哲学的なレトリックによる深読みの解釈でカムフラージュしようとも、たとえば田辺元が太平洋戦争前夜の一九三九年に京大で行った講義「歴史的現実」において、自らの「絶対矛盾の自己同一」の政治的意味を問わず語りに語ったと言えるつぎの言葉を消去できるものではない。
 「一君万民・君民一体という言葉が表わして居る様に、個人は国家の統一の中で自発的な生命を発揮する様に不可分に組織されて居る、国家の統制と個人の自発性とが直接に統合統一されて居る、之が我が国の誇るべき特色であり、そういう国家の理念を御体現あらせられるのが天皇であると御解釈申上げてよろしいのではないかと存じます」(田辺元『歴史的現実』、岩波書店、1940年)。
 「天皇は無の象徴たる有と解し奉るべきであろう。何となれば矛盾的に対立するものを統一することが出来るのは無であって、単なる有ではあり得ないからである。天皇の絶対不可侵性はこの無の超越性に由来するものに外ならない。斯く解せられた天皇の象徴的存在こそ、民主主義を容れて而もその含む対立を絶対否定的に統一する原理であるというべきである」(田辺元『政治哲学の急務』、1946年)。
 このようにして、中沢新一のフィロソフィア・ヤポニカなる日本哲学は、太平洋戦争下の天皇制国家への滅私奉公に自発的な個人の自由を見出す、いわゆる「無の哲学」ないしは「絶対無の弁証法」なる神秘的な弁証法でもって、およそ調和しないものを調和させ結びつかないものを結びつけて、天皇制ファシズムと戦争政策を神秘化し正当化する役割を果たしたのである。
 わたしが中沢新一を学者失格と呼ぶのは、フィロソフィア・ヤポニカの歴史的検証もせず哲学的言説の上塗りでそれを美化したように、吉本隆明の独断と妄想をまるごと鵜呑みにして、ちょっと調べれば誰でも分かる基本的な事実すら確かめず、その独断と妄想をそのまま横流ししているからである。これは中沢自身の学者としての資質と能力を根本から問われることがらだ。
 一例を挙げれば、吉本隆明はアメリカ、日本、EC(EUの前身)といった資本主義の先進地域で農業が限りなくゼロに近づくので、第三世界や農業地域に「贈与」して食料を調達するのだと言うが、これは日本の極端な食料自給率の低さをアメリカや欧州連合に外装した謬見で、世界の食糧と農業の基本的なデータすら踏まえていない。
 たとえば、2011年の世界の食料自給率は①カナダ258パーセント②フランス129パーセント③アメリカ127パーセント、といずれの先進諸国も食料余剰輸出国である。ヨーロッパのスペインは96パーセント、ドイツは92パーセント、イギリスでも72パーセントである。これらヨーロッパの国々と比較して、日本は41パーセントと極端に食料自給率が低いが、欧州連合を日本並みに扱ってはならないことはデータが語っている。
 つぎに、2012年の穀物生産量の国別ランキングをみると、①中国5億4083万トン②アメリカ3億5696万トン③インド2億8650万トンを御三家に、以下ブラジル、インドネシア、フランス、ロシア、カナダ、ベトナム、ウクライナ、ドイツ … と続いている。ここでもアメリカはもとよりフランスやドイツが農業大国であることが分かる。日本の穀物生産量は32位の1172万トンである。
 いま挙げたデータからだけでも、日本を例外中の例外として、アメリカや欧州連合が世界有数の農業大国であることが分かろう。とりわけ、アメリカは地下水の枯渇、土壌侵食、塩類集積など農業の持続を脅かす環境の危機をはらんでいるとはいえ、広大な小麦地帯、トウモロコシ地帯、綿花地帯、酪農地帯、牧畜地帯を抱えて、欧州連合とともに世界最大級の食料生産国にして食料輸出国である。これにひきかえ、アフリカの農業は世界から取り残されて、人口が急増するなか貧困化と飢餓人口が増大しているのだ。
 アメリカは膨大な食料の余剰を抱え、相手がアフリカだろうと第三世界だろうと先進諸国だろうと、自らの余剰食料の輸出に余念がない。今日の環太平洋パートナーシップ(TPP)の日本への押しつけもその現われの一つだが、そのアメリカがどうして「贈与」までして自国で余剰の食料を他国から「輸入」しなければならないのか。アメリカや欧州連合など先進諸国では「歴史の必然」として農業がゼロに近づくので、先進諸国は第三世界や農業地域に「贈与」せざるを得ないとする吉本隆明の見解は、まったくの独断と妄想の産物でしかないのである。
 吉本隆明にしてみれば、アメリカや欧州連合で消費資本主義が進展して、農業や食料がゼロになってほしいのかも知れないが、それは消費資本主義を理想化するための吉本自身の願望にほかならない。その願望の独断と妄想を自ら確かめもせず受け売りして、それがマルクスやモースも超える途である、などと大ブロシキを広げる中沢新一の馬鹿さかげんも、疑問の余地がないのだ。つまるところ、吉本隆明も中沢新一も〝砂上の楼閣〟というよりも〝妄想の楼閣〟の上で、まったく非歴史的で非現実的な言葉遊びの机上の空論に終始しているわけである。
 ちょっと考えてみれば分かるように、アメリカ、日本、欧州連合といった吉本隆明のいわゆる先進諸国の資本家にせよ政府にせよ、第三世界や農業地域からしゃぶり取るだけしゃぶることは考えても、世界救世教の慈善団体のように「贈与」するなどということはあり得ない。アメリカにいたっては、石油資源と並んで穀物資源を重要資源と位置づけ、世界の穀物取引を支配する多国籍企業の穀物メジャーを通して、先進国向けの食料の確保や第三世界を含む全世界への余剰食料の輸出のため、いわゆる「食糧戦略」を「石油戦略」とともに発動してきた。
 吉本隆明は『経済白書』や『農業白書』に出てくる程度の数字で経済や農業の表層をなでるだけで、世界の農業や食料の構造を研究したこともなく、世界の穀物取引を牛耳るカーギル、コンチネンタル、ルイ・ドレフェス、ブンゲ、アンドレといった穀物メジャーの名前すら知らなかったであろう。それでいて、よく農業問題で大口をたたけたものだと感心するが、日本の消費経済の圧倒的な目くらましに会って、何も見えなかったというよりも、むしろ見ようとしなかっただけのことである。
 吉本隆明が賛美する先進諸国の過剰生産と過剰消費が、世界の資源の枯渇と環境の悪化を加速し、貧しい国々の貧困や飢餓の〝盾の半面〟をなすことは、あらためて強調するまでもない。その飢えの一因は、アグリビジネスと呼ばれる先進諸国の多国籍企業が貧しい国々の土地を略取し、住民自身の食糧生産と栄養状態を犠牲にして、先進国向けのモノカルチャーの栽培を押し付けてきたことにある。
 その一例としてわたしは、1970年代の初めに明るみに出たことして、スーザン・ジョージの『なぜ世界の半分が飢えるのか』(朝日新聞社、1980年)から、コーヒーのブランド「ネスカフェ」で知られる巨大アグリビジネスのネッスルが、自社商品のベビー用品の販路の拡大のため、徹底したデマ宣伝と販売戦略を駆使して、アフリカの母親たちに母乳を放棄させ、アフリカの子どもたちの栄養障害をいちじるしく促進した事実を挙げたい。
 かつて、吉本隆明は『大情況論』(弓立社、1992年)の「善悪を超えた資本主義の遊び方」というフェリックス・ガタリとの対談で、アフリカの飢餓の問題をめぐって、「日本資本主義はアフリカを救済することはもちろんできると思います。日本の国家がもしそうおもえば贈与すればいいわけですから」「アメリカ資本主義にアフリカ救済の課題が与えられて、それを実行しようというのなら、それはわりに簡単にできることだと思います。ただ、しないだけなんです」、と極楽トンボのような呑気なことをのたまっていた。
 そもそも、わたしが『アメリカ新大陸の略奪と近代資本主義の誕生』(編集工房朔発行、星雲社発売、2009年)でも強調したごとく、マルクスのいわゆる「資本の原始的蓄積」から今日の「新自由主義のグローバル資本主義」に至るまで、資本主義は「構造的暴力」による「略奪による蓄積」を抜きには語れない。資本主義の合言葉は「贈与」ではなく「略奪」である。

 

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            コム・デ・ギャルソンを着たアフリカ原人

           「アフリカ的段階」+「ハイパー技術」=???


 吉本隆明の現代都市論もひどいものである。『吉本隆明の経済学』における中沢新一の解説によると、「吉本隆明は現代都市の問題を考えるときも、アフリカ的段階からハイパー都市まで包摂できる大きな射程から、ものごとの全体を見渡すやりかたをとる。そこで東京・浅草のアサヒビールのビルの屋上に乗っているうんこ型の巨大オブジェを見ても、そこに第一次産業的要素(肥料)が第二次産業(ビアホール)と結合した「クレオール化(稚拙化)」の現象を起こしているのだという独創的な見方をしてみせる」。
 その「独創的な見方」による吉本隆明の都市論は、一方で大衆の原像をかかげる庶民の味方にふさわしく名古屋郊外の長島温泉に「一種の未来都市」つまり「都市の未来像」を見るかと思えば、他方では「アフリカ的段階」の第三世界に超モダンな「ハイパー技術」をくっつけて理想都市をつくればいい、といった馬の胴体に人間の上半身を乗せる半身半獣のケンタウロスのごときトリッキーな手品師的奇術である。
 まず、長島温泉を持ち上げるくだりは、いかにも熊公八公の床屋政談らしい談論風発の面目躍如で、吉本隆明の都市論の一番の傑作と感心し、わたしは思わず吹き出さないわけにはいかなかった。つぎに、熊公八公の床屋政談が「アフリカ的段階」の「ハイパー技術」に及ぶと、わたしはハイブラウなコム・デ・ギャルソンの衣装をまとった優雅なアフリカ原人が住む、奇想天外な未来都市のイメージを連想せざるを得なかった。コム・デ・ギャルソンのアフリカ原人のことは、すぐあとの埴谷雄高・吉本隆明の〝大ボケ・小ボケ論争〟のところで再び取り上げる。
 いやはや、何事も信仰なくてはかなうまじ、鰯の頭でも信心から都市のご立派なご神体になるというわけだ。まさか、中沢新一は触れるものことごとく黄金に変えるギリシアのミダス王のつもりでもあるまい。少しあとで取り上げるアメリカの「金ピカ時代」ないしは「金メッキ時代」になぞらえて言えば、中沢新一が吉本隆明を飾り立てた「黄金」の「金」は「金ピカ」の「金メッキ」である。
 吉本隆明は現代都市を産業構成から第三次産業が突出した消費社会ないしは消費資本主義の象徴として、さらにまた、たとえば下町の住宅街からビルの谷間の人口的な広場やビルの屋上のゴルフ練習場やビルの密集地域まで、要するに現代都市に何が見えるかという「視線の構造」によって、都市を四つの系列に分類している。ヒマ人のコトバのお遊びもここに極まれりである。
 わたしの『都市論〔その文明史的考察〕』(三一書房、1997年)は「市民の誕生」から説き起こしているが、吉本隆明の都市論には「市民」の市の字もその多様な活動もなく、その代わりに消費社会における中流意識をもった「一般大衆」の漠とした気分がある。もし、わたしに時間と機会があれば、吉本隆明の都市論を徹底的に批判する用意もあるが、そのポイントは市民不在の都市論ということに尽きる。
 吉本隆明は日本のバブル期の『ハイ・イメージ論』(福武書店、1989年)で、「消費資本主義」の「大衆消費社会」を礼賛し、「消費都市」や「高層都市」を現代のユートピアと持ち上げた。しかも、あたかもタイム・マシーンに乗って一世紀前のアメリカに舞い戻るかのように、ニューヨーク・マンハッタンの摩天楼の超高層ビルをマンモス都市・東京の未来像として崇めた。わたしが『知の虚人・吉本隆明』で「一周どころか三周も四周も遅れてきた老モダニスト」と評したゆえんである。
 ときあたかも、1980年代の中曾根康弘を旗振り役とする「新自由主義」の「自由化・民営化・規制緩和」による中曾根民活とバブル経済の全盛期で、日本の国土と都市をメチャクチャに破壊しながら、いわゆる〝バブルの饗宴〟ならぬ〝バブルの狂宴〟が現出し、東京の都市ビルの超高層化やファッション化が進み、バブルが大衆消費文化とサブ・カルチャーの氾濫というかたちで、日本の文化と文化人をとらえた。
 さきの『知の虚人・吉本隆明』で指摘したように、バブル期の「都市再開発」や「消費資本主義」の下半身の下部構造として、地上げ屋が暗躍し土地投機の横行する「デベロッパー資本主義」や「ゼネコン資本主義」があったことは言うまでもない。その中曾根民活とバブル経済の掌で踊ったバブル文化のアダ花が、まさしく『マス・イメージ論』(福武書店、1984年)や『ハイ・イメージ論』の吉本隆明だったのだ。
 マンハッタンの摩天楼の超高層ビルに東京の未来像を見る吉本隆明は、中沢新一がヨダレクリのようにタレ流しを受けて拝聴した未来の思想家どころか、まぎれもなく一世紀遅れの後進知識人の典型にほかならず、その大衆文化礼賛でも一世紀遅れである。資本主義の本家本元のアメリカでは19世紀の後半に、「金ピカ時代」とか「金メッキ時代」と呼ばれる成金主義や拝金主義が大衆文化とともに流行し、マーク・トウェインの風刺小説(共著の邦訳『金メッキ時代』上・下、彩流社、2001、2002年参照)でその姿が描かれている。
 この「金メッキ時代」はアメリカで金融寡頭制と巨大独占体が形成された時代で、金融王モルガン、鉄鋼王カーネギー、石油王ロックフェラー、自動車王フォードといった名だたる富豪が輩出したことでも特筆さるべき時代であった。しかし、アメリカには吉本隆明のような資本主義万歳の知識人ばかりがいたわけではなく、マーク・トウェインのような作家やソースティン・ヴェブレンのような経済学者が登場して、資本主義の病理を辛辣に批判したことも忘れてはならない。
 なかでも、ヴェブレンは『有閑階級の理論』(岩波文庫版1961年邦訳、筑摩書房版1998年邦訳)で、見せびらかしの有閑階級の閑暇や消費を「誇示的閑暇」や「誇示的消費」といった難解な言葉で批判し、それが若い女性たちにも圧倒的に読まれて全米でベストセラーとなったほどだ。アメリカの富豪や財閥は大学や図書館などに巨額の寄付をした慈善活動でも知られるが、吉本隆明や中沢新一ならこれを「贈与」という言葉を使って有難がるであろう。
 面白いことに、社会学者のライト・ミルズは『パワー・エリート』(東大出版会、1969年邦訳)で、アメリカの大富豪を「泥棒」にして「革新者」の両義性でとらえている。中沢新一の内田樹との対談集『日本の文脈』(角川書店、2012年)をぱらぱらとめくると、「農業も教育も贈与である」などといった言葉が目につくが、何でもかでも「贈与」なる「金メッキ」を施せばきれいに見えるわけである。
 すでに第二次世界大戦後の1960年代初め、アメリカの社会学者デイヴィッド・リースマンは『孤独な群集』(みすす書房、1964年)で、「政治」も「文化」も「消費者商品」として「消費」の対象とする大衆消費社会や大衆消費文化を批判し、日本でも大衆社会論のブームが起きたが、吉本隆明の「大衆の原像」も「大衆社会」のなかに飲み込まれてしまった。
 その持って回った衒学的なヒラヒラを取り除いてみれば、吉本隆明の「消費資本主義」は「消費は神様です」なる信仰告白を繰り返しているにすぎないが、それはイバン・イリイチのいわゆる「霊魂不滅の信仰」に取って代わる「終りのない消費という神話」(『脱学校の社会』、東京創元社、1977年)にほかならず、そこには消費という現象についての批判的な考察も分析もないのである。
 ところが、この衰弱した批評精神も中沢新一に言わせれば、「とてつもなく強力な批判精神が、資本主義が高度化に向かって変貌をとげていくその「自然史的過程」に強力なポジテイブな解明をほどこした」というのだから、まさにものは言い様で、そのヒイキのヒキ倒しぶりには恐れ入る。要するに、吉本隆明の合言葉は「現状の肯定に次ぐ現状の肯定」であって、それこそがかれのいわゆる「自然史的過程」なわけである。
 この「自然史的過程」という自堕落な地点から、吉本隆明は消費社会の神話を批判したボードリヤールの『消費社会の神話と構造』(紀伊国屋書店、1979年)にかみつき、ここでもスターリニズム批判という水戸黄門ならぬ〝吉本御老公〟の〝印籠〟を持ち出して、ボードリヤールが「スターリニズム知識人とすこしもちがった貌をしていない」などと悪罵を投げつけているが、何をか言わんやである。ふと、「犬も歩けばスターリニズム、そこのけそこのけ、吉本御老公の御通りじゃ」、の言葉が口をついて出てくる。
 それで思い出すのは、文学者の反核声明にからむ1980年代半ばの〝大ボケ小ボケ論争〟と俗に呼ばれた埴谷・吉本論争で、吉本隆明が「坊主憎けりゃ袈裟までも」の諺を地で行き、こともあろうに日本におけるスターリニズム批判の先駆者たる埴谷雄高を名指して、「反スターリニズムを装ったスターリニスト」「スターリン・テオロギアの俗悪な戦士」とこき下ろしたことである。そのさい、吉本隆明は何を血迷ったか、コム・デ・ギャルソンの衣装の方が埴谷雄高の『死霊』に優るなどと、まるで巻尺で重さを量りでもするかのような、トンチンカンなコトバを口にしたのだが、巧まざるドタバタ喜劇の〝名演技〟ならぬ〝迷演技〟ではあった。
 この1980年代の埴谷・吉本論争において、吉本隆明が女性雑誌『アンアン』(1984年9月21日)のグラビアのページに、高級ブランドのコム・デ・ギャルソンの衣装に身を包んで登場したを取り上げて、埴谷雄高は「このような「ぶったくり商品」のCⅯ画像に、「現代思想界をリードする吉本隆明」がなってくれることに、吾国の高度資本主義は、まことに「後光」が指す思いを懐いたことでしょう」、と辛辣に揶揄した。わたしが吉本隆明の「アフリカ的段階」の「ハイパー技術」なるものから、思わず知らずコム・デ・ギャルソンのアフリカ原人を連想するのもここに由来する。
 わたしが『知の虚人・吉本隆明』で証拠を挙げて書いた通り、もともと吉本隆明は「資本主義の制度が、歴史の無意識が産んだ最高の制度」で「高度資本主義のもとで大衆が解放されている」との信仰をもつ高度資本主義の信奉者であった。しかし、たんなる高度資本主義の信奉者では体制内の保守的な知識人以外の何者でもなく、60年代安保・全共闘世代の吉本真理教の信者に対して、新左翼知識人としての〝右大臣〟や〝左大臣〟の座も保てない、との直観から無意識の保身術に出たのであろう。
 吉本隆明は『不断革命の時代』(河出書房新社、1986年)で書いた。「高度資本主義は、すでに永続革命以外の大衆の問題はすでに解いてしまっていると、僕は考えているわけです。ただ、永続革命の問題は残っています」と。これは「資本主義」や「高度資本主義」にベッタリ身を委ねているものだから、トロツキーばりの「永続革命」や「不断革命」といった「革命的」なコケおどしのオブラートに包まないと誤魔化せない、との詐欺師のごとき裏技に訴えたものである。これは右にも左にもコビを売るキャッチ・コピーとしてはなかなかの出来栄えである。
 中沢新一はかつてチベット密教のニンマ派のグルたるラマ・ケツン・サンポに帰依したが、いまでは日本の新密教たる吉本真理教に宗旨替えし、自らの編になる『吉本隆明の経済学』という〝犠牲〟の〝供物〟をもって、死せるグルたる吉本隆明への後追い〝心中〟で〝殉死〟したかのごとくだが、そこには吉本隆明の非科学的な独断と偏見の受け売りに加えて、非歴史的にして観念的な史的観念論の形而上学という特徴が凝縮して示されている。そこで、吉本隆明と中沢新一のヘーゲル哲学の尻尾をくっつけた歴史認識の貧困を問題にしたいと思う。

 

4 その非歴史的な史的観念論

   勝てば官軍で無理が通れば道理引っ込む歴史の神話

 

 中沢新一編『吉本隆明の経済学』の「経済学」なるものは、いうなれば「空想経済学」ないしは「妄想経済学」の形而上学にほかならず、それは非歴史的な史的観念論に立脚している。あくまで架空の世界の出来事だから、そこには歴史もなければ現実もないし、もちろん歴史や現実のデータすら踏まえていない。したがって、ユートピアめかした絵空事の架空の世界で、ア・プリオリな理論や観念から、現実も未来も導き出す仕掛けであって、まったく逆立ちした史的観念論の形而上学と呼ぶべきである。
 中沢新一によれば、吉本隆明は戦後の混乱のなかで「日本人に決定的に欠如していた「世界認識の方法」を獲得するための思想的格闘を孤独に進めた」「(その勉強を通して)自分の考えうるところのもっとも確実な世界認識の方法と思えるものを、独自のやり方で取り出してくることができた」そうである。それでは、その「もっとも確実」な「世界認識の方法」とはいかなるものか。
 その「世界認識の方法」とはわたしが「ヘーゲルもどきの歴史観」と批判してきた歴史観であって、いまどき明治時代の〝脱亜入欧〟でもあるまいに、世界の歴史は東洋から西洋に向かって進歩し、ヨーロッパ近代こそ「世界史の最高段階」にして「世界史の鏡」だとする、ヘーゲル流の〝西洋中心主義〟による〝進歩史観〟である(たとえば吉本隆明『「反核」批判』、深夜叢書社、1982年参照)。
 さいわい、吉本隆明にはそのものズバリ『世界認識の方法』(中央公論社、1980年)という本があるので、これをテクストとして考察するとしよう。これは蓮見重彦とか安原顕といった吉本真理教の取り巻きたちが、1978年にセットしたミシェル・フーコーとの対談「世界認識の方法」を巻頭にした評論集である。
 その当時、たしか『海』という雑誌でこの対談を一読したわたしは、ヘーゲルやマルクスの歴史観を根本的に解体する仕事をしているはずのフーコーの前で、「マルクス主義の始末」などと大見得を切りながら、にわか勉強の受験生さながら「ヘーゲルの意志論」を持ち出す吉本隆明の発言に、フーコーと比べて彼此の力量の差とともに何か後進知識人のコンプレックスのようなものを感じざるを得なかった。
 おそらく、フーコーは対談のあと内心で、「これが日本の戦後の代表的思想家か?」とびっくりしたのではなかろうか。これに関連して興味深いのは、和田司が『吉本隆明『共同幻想論』を解体する』(明石書店、2012年)で紹介している、この対談の前段のエピソードである。すなわち、お互いの往復書簡のやりとりで吉本隆明の書簡について、フーコーは対談の企画を実現した安原顕に、「内容がまったく意味不明、ヨシモト氏はヘーゲルをきちんと読んだことがあるのか」、との返信を書き送ってきたというのである。
 わたしが吉本隆明の『世界認識の方法』のなかで、しばしば引用するのはつぎの個所である。そこには、はからずも、吉本隆明という戦後思想家がそれこそ掛値なしの丸裸の姿で、つまり、〝ハダカの王様〟の〝パプリカの偶像〟として立っているかのごとくである。この個所は見逃せないので、読者も注意して読まれたい。すなわち、吉本隆明のいわくだ。
 「つまり総合的な世界把握 ― ヘーゲルのように、空間的にいえば世界のどこの場所にも適応出来て、歴史的な段階でいえば世界史のどの時代にも、もし段階の関連さえつければ通用出来るような一つの歴史理念 ― は可能なんではないかという考え方は、ぼくの内部ではそう簡単に捨てきれません。その意味で、構造の考え方が提起していることの半分は、まだ疑問符のなかにあるんです」。
 「ヘーゲルの世界の把握の仕方、歴史の把握の仕方には、個々の実証的な場面ではどんなに狂いがあっても、それ自体で世界を限定できています。つまり地上にどういう事実が起こっても、現実になにが行われ、どういう事件が突発しても、理念が全部世界を覆えるという理念があります。事実の生起性がヘーゲルの世界把握の外側にでることはないという世界の概念があります」。
 こう語りながら、吉本隆明は「そういう安心感みたいなものもある」とする一方で、うすうす半面で「じつにくだらないことをしているんじゃないかという、じぶんへの疑念もあるのです」、と正直に告白している。ことわっておくが、いま引用した言葉はわたしが吉本隆明を誹謗中傷するためにデッチ上げたものではなく、当の吉本自身の著書『世界認識の方法』からの抜粋の引用である。
まことに貧困極まる歴史認識の吐露と呼ぶしかないが、こんな馬鹿げた認識で世界の歴史を裁断されてはたまったものでない。いかにも安直で便利なチャート式の図式とはいえ、このチャートで仕込んだ図式では受験を突破できないことくらいは、それこそ中学や高校の受験生にも理解できるのではないだろうか。ところが、この吉本隆明のチャートの図式には有難い付録のおまけがつく。
 すべての過去の出来事がヘーゲルの「歴史的必然」で片付けられるとすれば、すべての未来の出来事も吉本隆明の「自然史的必然性」で自動的に解決されることになっている。すなわち、吉本隆明があちこちで書き散らしているところから拾うと、言葉も知識も、科学も技術も、市場社会も資本主義も、要するにこの世の一切合切が「自然力」「必然力」「自然必然力」「自然史的必然性」「自然史的過程」で動くというのだ。
 これらの書き散らしの出どころはわたしの『知の虚人・吉本隆明』に挙げておいた。まことに朦朧とした無意識のリビドーのごとき〝言霊〟の〝妖怪大集合〟である。それはヘーゲルの「絶対者」の「歴史的必然」の二番煎じ三番煎じの出涸らしだが、この吉本隆明の出涸らしの煎じ薬を飲めば、人間の存在や歴史に意味がない有難き極楽往生の世界に行けそうだ。
 中沢新一編『吉本隆明の経済学』のなかでも、吉本隆明は「ぼくはマルクスの徒です。マルクスは経済史は自然史の延長なんだ、だから経済史は、人為的には動かせないんだ」「自然に変わる必然に対して、… それを促進したり、遅くしたりということは、もちろん人為的に可能ですけど、自然史全体の流れとしての経済史を動かすことはできないのです」と書いている。
 たしかに、マルクスは『資本論』(『マルクス・エンゲルス全集』第23巻第1分冊、大月書店、1965年)の「第一版序文」で、「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、… 」と書いているが、そもそも「自然史的過程」は「自然史」そのものではないし、マルクスは「経済史」が「自然史」だなどとは一度も言っていない。
 これについては、30年近く前の吉本隆明の『「反核」異論』(深夜叢書社、1982年)の批判を動機とする、わたしの『反核・反原発・エコロジー ― 』(批評社、1986年)の結び「吉本隆明の政治思想批判」でも書いた通り、ヘーゲル流の思弁的歴史哲学の形而上学的構成に対立する歴史の唯物論的解釈の表明であって、ヘーゲルのような抽象的観念ではなく経済的諸条件がいわば〝第二の自然〟ないしは〝自然法則に類するもの〟として諸個人を制約する、という意味における史的観念論への根本的批判である。
 中沢新一は『野生の科学』(講談社、2012年)の付録「自然史的過程について」で、「科学技術は自然史的過程に属するもの」だから原発は否定できないとする吉本隆明の反核批判や原発擁護の言説は、「長いスパン」ないしは「長期波動にもとづく認識」からは「一定の確かな思想的土台」をもち「思想という営みの本道をいくもの」だ、とまるでヨダレクリかオムツカバーのようにヨイショして弁護に余念がないが、ちょっと待てとわたしは言いたい。
 こっち向きにはお説ごもっともとこう言い、あっち向きにはまるで反対のことをああ言う、というのは中沢新一の典型的な〝二枚舌〟というか〝二股大根〟のやり口ではないか。それならば、とわたしは中沢新一にあえて問いたい。いったい中沢新一は、原発が「自然史的過程」の産物だから止められないと言い、原発に反対するのは「人類の進歩」「科学の発展」からの逆行だとして、「反原発で猿になる!」なる〝迷文句〟の〝辞世の句〟を残して、原発と殉死した吉本隆明の原発礼賛の言説をいったいどうとらえているのか、一度はっきりと答えてもらいたいものだ。
 中沢新一は3・11のフクシマ以後、この時流に乗り遅れてはならじとばかり、『日本の大転換』(集英社新書、2011年)なる大向こう受けをねらった本を出し、日本の文明はユーラシアの「リムランド(周辺のクニ)」に「キアスム(交差)」の構造で形成された優美な文明である、などと分かったような分からないようなレトリックで褒め上げ、太陽圏のエネルギーを生態圏に無媒介に持ち込む一神教的技術の原発からの脱却のためには、「エネルゴロジー」とかいう舌もつれする「新しい知の形態」なくてはかなうまじ、などと大げさな身振りで「ノストラダムスの新予言」もどきの「日本の進むべき道」の文明史的講釈を垂れた。

 

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                 ノストラダムスの新予言


 しかし、原発はわたしたちがかねてから「湯沸しの原理」の「破滅的スケールアップ」、あるいはまた、せいぜい「石油の缶詰め」で「石油文明のアダ花」と呼んできたものにほかならない。原発を「石油の缶詰め」と喝破したのは物理学者の槌田敦の卓見で、『石油と原子力に未来はあるか』(亜紀書房、1978年)、ないしは、その新装版『原子力に未来はなかった』(亜紀書房、2011年)を読めば納得がいくはずだ。
 1953年12月のアイゼンハワー米大統領の「平和のための原子力」のころの宣伝文句たる、「ガンとの戦いでも原子力」「原子力機関車」「原子力の温室」「原子力動物園」「原子力による森林伐採」「医師のための原子力」、といった何でも原子力の原子力万能の神話の時代ならいざ知らず、そもそも「文明史的転換」をはかるべき「原子力文明」などもとからして存在しないのである。むろん、原爆や水爆をはじめとする原子力軍事技術複合体、および、原発の建設や運転に群がる政財界の原発政治経済複合体は、たしかに存在するとしてもである。
 さきの『日本の大転換』の文明史的講釈に続いて、中沢新一は「グリーン・アクティブ」とかいう「緑の党みたいなもの」を立ち上げた。まるでヌエみたいな「緑の党」もどきの「グリーン・アクティブ」は、吉本隆明の「自然史的過程」に掉さしているのか、それともまた、逆らっているのか知らないが、これまで何をやってきたのか。
 中沢新一をはじめパフォーマンス専門のタレント学者の顔を何人かそろえ、オウムの組織の縮小再生産を思わせるにわか仕立の模擬政党のような格好をつけて、選挙の応援にかけつけたり会員にバッジを配ってみたところで、地に足がつかず実体もない幽霊のごとく浮遊するだけの、オママゴト遊びの学芸会に終わらなければ幸いである。考えても見よ、一方で吉本隆明という原発礼賛の神様を御本尊に祭り上げ、他方では「緑の党みたいなもの」の「グリーン・アクティブ」で脱原発を唱える中沢新一は、言うことと為すことが自己矛盾していて支離滅裂の一例ではないか。いったい、自らのアイデンティティはどこにあるのか。
 3・11のフクシマ原発事故のあと、テレビや新聞や雑誌に原発を擁護する御用学者がとっかえひっかえ登場し、「御用学者」や「原子力村」といった言葉が世間でも取沙汰されるようになった。わたしも『原発と御用学者』で日本における御用学者の起源と系譜を取り上げ、科学と倫理の関係をあらためて問題にしたが、科学が駄目だから哲学が復権するということにはならない。古代ギリシアの時代から「哲学」の「弁証法」は「科学」の「方法」と対立していたのだ。
 中沢新一は東浩紀との対談「原発事故のあと、哲学は可能か」(『新潮』、2014年9月号)で、「アフリカ的段階」に「ハイパー技術」をくっつけたり、「自然史的過程」に「贈与価値」を結び付ける、吉本隆明のケンタウロス的なトリッキーな奇術を持ち上げている。しかし、わたしがこのさいはっきりさせておきたいのは、はるかな昔の神話の時代ならいざ知らず、いかなる「贈与」も人間の意思による「歴史的行為」であって、それは「自然史的過程」では断じてあり得ないということだ。
 いかにも、どのような歴史の動向であれ制度の働きであれ、いったんそれが動き出したり定着したりすると、なかなか止められない勢いを持つということは事実としてある。しかし、「動向」や「趨勢」は「歴史」の「必然」ではないし、「歴史」は「自然史」や「自然史的必然性」による「自然史的過程」ではない。
 とりわけ、中沢新一のいわゆる「長いスパン」ないしは「長期波動にもとづく認識」から歴史を振り返れば、すでに過ぎ去った過去が取り戻せたりよみがえったりすることはないのだから、あたかもそれが「自然史」や「自然史的過程」であるかのように見えもするし、そう受け取っても仕方がない一面を持つというだけのことだ。たとえば、「勝てば官軍、負ければ賊軍」という諺があるが、戦いの勝った方が理屈抜きにすべて正しく、負けた方はすべて悪いということにもなりかねない。ここから、「無理が通れば道理引っ込む」なる諺も出てくるわけで、これこそ吉本隆明があちこちで言い放ち書き散らしていることである。
 これはべつのところでも書いたことが、ある意味で吉本隆明の「自然史的過程」は、丸山眞男が「歴史意識の「古層」」(ちくま文庫版『忠誠と反逆 ― 転形期日本の精神史的位相』所収、1998年)で掘り起こした「つぎつぎとなりゆくいきほい」、あるいはまた、ひと昔前の流行歌のリフレインのきい「ケセラセラ、なるようになる」にも通じる。
 中沢新一はどこかでレヴィ・ストロースと直接会ったことを文化人類学者(民族学者)の勲章でもあるかのように語っていたように記憶するが ― のみならず、中沢新一が明治大学に移るに当たってつくった「野生の科学研究所」は、レヴィ・ストロースの『野生の思考』(みすず書房、1976年)のもじりであることは明らかだが、青年時代に社会主義の活動家だったレヴィ・ストロースものちの『野生の思考』で、ジャン=ポール・サルトルの『弁証法的理性批判』(『サルトル全集』第26巻~28巻、人文書院、1962~73年)を批判して書いている。
 「民族学者は歴史を尊重するが、特権的地位を与えることはしない。民族学者にとって歴史学は相補的関係にある学問である」「民族学者が多様な社会形態を空間に展開されるものとして把握するとき、その多様性は不連続的体系の様相を呈している」「それゆえ歴史的生成を考えるとき、一万年もしくは十万年単位でコード化される先史時代にはじまり、つづいて紀元前四千年ないしは三千年から千年単位の尺度をたどり、つぎには世紀単位の歴史の形をとって、さらに筆者の好みしだいで一年単位、一日単位、場合によっては一時間単位の歴史の薄片をはさみ込んだ連続的進展と見るのは幻想である」。
 わたしがあえてレヴィ・ストロースのこの言葉を引用したのはほかでもない。吉本隆明のように「空間的にいえば世界のどこの場所にも適応出来て、歴史的な段階でいえば世界史のどの時代にも、もし段階の関連さえつければ通用出来るような一つの歴史理念」というチャートの図式によって、すべての「歴史的生成」を「自然史的過程」の連続的発展とする吉本隆明の馬鹿げた幻想の歴史観を擁護している中沢新一とは、いったいいかなる意味でレヴィ・ストロースの徒であり文化人類学者(民族学者)であるのか、という問題にあらためて注意を喚起したいためである。
 さきに中沢新一は宗教学者として失格ではないかと示唆したが、文化人類学者としてもカナエの軽重を問われているのである。すなわち、中沢新一の「長いスパン」や「長期波動」といった逃げ口上のレトリックを持ち出せば、レヴィ・ストロースのいう「歴史的生成」も「連続的発展」となり、吉本隆明の「自然史的過程」を正当化することになるのか、ということである。

 

5 ノストラダムスの新予言
   笑うレーニンとマルクスの読みかえならぬ骨抜き

 

 中沢新一のレヴィ・ストロースの読みもおかしければ、マルクスやレーニンの読みもおかしい。中沢新一編『吉本隆明の経済学』の第二部「経済の詩的構造」で、中沢新一は「(吉本隆明の)「アフリカ的段階」の「ハイパー科学技術」が生み出す世界は、国家というものの先にある未知の世界だとして、レーニンが『国家と革命』を通じて国家の先にある世界を実現しようとしたが、それは失敗に終わったと書いている。それでは、なぜレーニンは失敗したのか。
 中沢新一によれば、「この問題を深く考え抜いた吉本隆明は、ロシアの革命がアジア的段階という土台の上におこなわれたがゆえに、革命のなかから近代科学技術と結合した恐るべきアジア的専制国家を生み出さざるを得ない必然を明らかにした」「未来の革命は吉本隆明が考えていたように、超資本主義の先か、アフリカ的段階の先にしかあらわれない。超資本主義にとっても、アフリカ的段階にとっても、鍵を握るのは人間の脳=心の本質をなす詩的構造にほかならない」と。これは中沢新一版のノストラダムスの新予言である。
 ここには、いっさいの歴史的かつ現実的な問題を棚に上げて、すべてを人間の「脳=心」の本質の「詩的構造」に還元しようとする、中沢新一の幻想的な史的観念論の形而上学が集中的に表現されている。この中沢新一の史的観念論の形而上学は、いましがた批判した吉本隆明の「自然史的過程」の概念と相補的な関係にある。わたしが強調したいのは吉本隆明と中沢新一がともに、レーニンの国家論を無批判的な金科玉条の免罪符にしているということだ。
 吉本隆明も中沢新一もレーニンの国家論の致命的な矛盾と限界をまるで理解していない。中沢新一には『はじまりのレーニン』(岩波書店、1994年)という、旧ソ連崩壊直後の歴史的にも政治的にひどくズレたピンボケの著書がある。しかし、ロシア革命と旧ソ連崩壊の政治的意味を歴史的かつ批判的に考察することをまったくせず、「ただレーニンがよく笑う人であったこと、動物や子供にさわることが好きな人であったこと、音楽を聴くとよろこびを感ずる人であったこと」という予備知識だけでこの本を読めば、「彼の弁証法的唯物論も、彼の革命思想も、彼の「党」のことも、自然に理解できる」などといった、どこかのカルト教団の洗脳セミナーまがいのキャッチコピーにだまされてはならない。
 中沢新一によれば、たとえばレーニンの構想した「党」は「資本主義の全コスモス」にたいする「ラジカルなニヒリズム」を原理とし、「われわれの世界に露頭した、無底からの発芽」にして「テクネーの技を行使しようとする集団」にほかならず、それが「資本主義社会」の「底」を突き破る「異質な力」なのだそうだ。
 しかも、その「ラジカルなニヒリズム」によるレーニンの「党」なるものが、レーニンの「どはずれたばか笑い」つまり「笑いや蕩尽のなかに潜んでいるものと密接な関連をもっている」というのだから、何を考えているのか分からない。いったい、中沢新一はボルシェヴィキなるソ連共産党がやったことをどう考えているのか、とあらためて聞きたくなる。まさか、レーニンが指導したロシアのボルシャヴィキは失敗したが、オウム真理教の麻原彰晃の霊的ボルシャヴィキには可能性があった、などと言うのではないだろうなと念を押したくなる。
 とにかく、中沢新一の『はじまりのレーニン』では、レーニンの哲学や唯物論のことが抽象的かつ観念的に語られても、レーニンとロシア革命の歴史的現実は具体的に何も語られていないのである。1991年の旧ソ連崩壊という世界史的な出来事の決定的時点で、1917年のロシア革命にさかのぼってレーニンの政治思想と革命最中の政治的言動を歴史的に検証することこそ、本来ならすべてに優先して先立つ必須の課題のはずであって、それを無視して抽象的で観念的な哲学談義でレーニンとロシア革命の神秘化や神格化にふける余裕などないはずである。
 もちろん、中沢新一は政治思想家ではないし、もともと政治や政治思想を語る資格も能力もないのだから、わたしはあえてそれをとがめようとは思わない。しかし、中沢新一には抽象的で観念的なレトリックによる、非歴史的で非現実的な夢想の世界の自己満足的な整序統一しか念頭にないにもかかわらず、およそ歴史でも政治でも経済でも文化でも、それこそ何にでも通じているかのような口ぶりで、知ったかぶりにレーニンやロシア革命を語るからボロが出るのだ。
 中沢新一は『吉本隆明の経済学』の「経済の詩的構造」のなかで、吉本隆明がロシア革命の失敗の原因をロシアの「アジア的段階」に帰し、未来の革命を「アフリカ的段階」の人間の「脳=心」の「詩的構造」に求めたとして、「吉本隆明の思考は、この不動の地点において、身揺るぎすることなく続行されたのである」、と手放しで礼賛している。
 犬も歩けばスターリニスト!猿も歩けばアジア的段階!!中沢新一の思想的な底の浅さを〝東海の島国〟の〝ハダカの王様〟のように見せつけられた瞬間である。ヘーゲルもどきの歴史観から、「ヨーロッパの進歩」と「アジアの停滞」のお決まりの図式を繰り返す吉本隆明が、アジアの歴史も現実も何も知らないくせに、口を開けば「アジア的」「アジア的」を連発する無知な「アジア」論者であることは、かつて田川健三が『思想の危険について ― 吉本隆明のたどった軌跡』(インパクト出版会、1987年)で喝破した通りである。
 レーニンとともに生まれた旧ソ連が崩壊したとき、わたしは「マルクス主義の歴史的崩壊 ― 東欧大革命と天安門事件によせて ― 」(『フォーラム90s』、社会評論社、1990年)、および、「悲劇に終わった二〇世紀の実験 ― ソ連の崩壊とロシア革命の覚書 ― 」(『草の根通信』、1993年11月)という二つの小文で、ロシア革命についてのささやかな歴史的考察をとり急ぎ公けにした。中沢新一の「笑うレーニン」のような哲学論議で駄法螺を吹いているときではなかった。
 わたしは東欧革命とソ連崩壊という歴史的出来事に直面して、それを20世紀におけるマルクス主義と共産党独裁と国家社会主義の歴史的実験の最終的破産ととらえ、その遠因はレーニン率いるところのボルシェヴィキなる前衛党の職業政治家たちが、1917年のロシア革命で自然発生的に生まれた労働者兵士代表ソヴィエトの評議会権力を簒奪し破壊して、これをマルクス=レーニン主義という国家宗教を頭に頂く共産党独裁の国家社会主義の全体主義的権力に置き換えたことにある、との見解を明らかにした。
 このロシア革命についての見解はのちに、わたしの『アメリカ新大陸の略奪と近代資本主義の誕生』(編集工房朔発行、星雲社発売、2009年)の第五章「アメリカ新世界の衝撃と西欧近代思想の出現」4「社会主義・マルクス主義・アナキズム・フェミニズム」で、もう少し広い歴史のパースペクティブから再考しておいたので、多少とも興味のある読者はこれを参照してほしい。
 ソ連における「共産党の独裁」は「プロレタリアートの独裁」の名目で正当化されたが、それはレーニンが『国家と革命』(岩波文庫、1957年)で説いた「国家の死滅」という無政府主義的なテーゼと決定的な二律背反の自己矛盾をはらんでいる。この「プロレタリアートの独裁」と「国家の死滅」の背中合わせの教説はまことに奇異なる教説であって、国家がブルジョアジーからプロレタリアートの手に移るにさいして、その権力と権限を比類なく増大させ、それが極大に達したところで突如として消失するとは、まさしくパラドックス(背理)ではないか、とするハンス・ケルゼンの『社会主義と国家』(木鐸社、1976年)の批判は正鵠を射ている。
 そこでケルゼンが引用しているアナキストの言葉を借りれば、「マルクスの胸裡には、ファウストのそれの如く、国家社会主義と無政府主義という二つの魂が宿っているかの如く」である。まるでスフィンクスの謎を思わせるこのパラドックスは、ヘーゲル流の弁証法と歴史が予定の順序で予定の目標にたどり着くとする歴史哲学によってしか理解できないものだが、1990年に前後する東欧革命とソ連崩壊は、そのパラドックスを弁証法と歴史哲学のフィクションもろとも無残に打ち砕いたのである。ついでながら、わたしはヘーゲル流の「歴史哲学」を「歴史神学」と呼ぶことにしている。むろん、「国家の死滅」はマルクスやレーニンのまったくの夢物語にすぎない。
 吉本隆明はさきの『週刊新潮』で「反原発で猿になる!」と吠えたとき、「日本の言論界を長年リードしてきた「知の巨人」である。レーニンに傾倒し、… 」と紹介されている。超右翼の雑誌『撃論』のインタビュー「吉本隆明「反原発」異論」も、「レーニンの思想に傾倒し、それを歪めた、スターリンを信奉するエセ共産主義者に対して、痛烈な批判を浴びせた」との紹介文を添えている。超右翼の雑誌が資本主義を礼賛する真正の共産主義者とやらのインタビューを掲載するのも面白い現象である。
 このインタビューにおいて、吉本隆明は「僕は国家と組織の問題を考える場合、レーニンの考え方が唯一正しいと思います」として、レーニンの『国家と革命』における「国家の死滅」の大ブロシキを広げる。すなわち、レーニンは「おおよそヨーロッパにおける革命が完成したなら、すぐに日常性にまで及ぶあらゆる制約や組織を解除してしまうべきだと言っています。つまり国家が消滅し、国家が管理運営してきた事業を民衆に委ねることです」「これだけはっきりと必要なことと必要でないことを明言したのは後にも先にもレーニンだけでしょう」と。思うに、レーニンの『国家と革命』を引き合いに原発を擁護したのは、吉本隆明の晩年の快挙(?)いや怪挙(!)ではなかろうか。
 わたしはマルクスにならってこう言いたい。「よくぞ堀った、老いたるモグラよ!」と。しかし、人間の顔をもつ上半身に馬の脚をもつ下半身のケンタウロスのごとく、レーニンの国家論を原発擁護に結び付ける吉本隆明は、さすが「知の巨人」と呼ばれる並みの知識人ではなく、左右に無限大の振幅をもつ異例の知性の持ち主だ、とあらためて感心(?)というより寒心(!)したくなる。なぜなら、60年代安保・全共闘世代の新左翼の旗手から、3・11以後の超右翼の雑誌の論客まで、その知性のウィングは左右に無限に広がっているかのごとくだからだ。
 さきの超右翼の雑誌『撃論』の「吉本隆明「反原発」異論」のインタビューの冒頭には、つぎのような解説が前文として添付されている。「もはや目はおぼろげにしか見えずとも、戦後最大の思想家、吉本隆明の頭脳はいまだ健在だ。「人類の進歩の先には政府すら要らなくなる」と確信し、エセ共産主義者との戦いに命がけで臨みながら生きてきた真正の共産主義者、技術の進歩こそ人間が人間たるゆえんだと語る吉本の反・反原発論は、保守・革新両陣営にとって無視できない重みを持っている」。いやはや、まったくもって恐れ多い言葉である。かつての新左翼の論客が回り回って超右翼の論客となる。資本主義の礼賛者が真正の共産主義者とされる。まことに珍無類の両棲類である。
 わたしは旧左翼も新左翼もおしなべて、20世紀のマルクス主義とロシア革命と旧ソ連崩壊の歴史的出来事を批判的に総括できなければ、ほとんど死んだも同然との見解の持ち主だが、吉本隆明の悲劇は60年安保・全共闘世代の新左翼の一部の残党と周辺の知識人たちが、雑誌・出版メディアでひたすら吉本神話を維持する無形の吉本真理教を形成し、「戦後最大の思想家」だとか「知の巨人」などの美名で祭り上げ、一切の批評や論争を封じてきたことにある。
 そもそも、吉本隆明の仕事は日本の文芸の領域を除けば、少なくとも歴史・政治・思想の領域では、むろん相当ひねこびた島国の盆栽の個性は持つものの、国際的水準には遠く及ばない。このことはフーコーやボードリヤールやフェリックス・ガタリとの吉本隆明の対談を一読すればば一目瞭然のはずだ。それを真理教の信者たちが過大に持ち上げるから、吉本自身もすっかりその気になっておかしくなるのであって、吉本隆明のたんなる床屋政談を針小棒大にも大経済学に仕立て上げ、それをマルクスやケインズやモースやハイデッガーと並べる中沢新一編『吉本隆明の経済学』は、まさしく「鰯の頭も信心から」の見本である。
 中沢新一は『ミクロコスモス』Ⅱ(四季社、2007年)で、吉本隆明の「マルクス紀行」や「マルクス伝」(『カール・マルクス』、試行出版部、1966年、新装版『カール・マルクス』、光文社文庫、2006年所収)に寄せて、「あとにもさきにも、日本にもヨーロッパにも、これほど深いマルクス論に、私は出会ったことはない」と褒めちぎったが、馬鹿も休み休みに言えとわたしは言いたい。こういう評言は吉本真理教の信者の世界でだけ通用する密教の講釈にすぎず、少なくともことマルクスに関する限り、中沢新一の思想的水準のあまりの低さとあまりの狭さを満天下にさらけ出しただけのものだ。
 それはマルクスの私小説的な読みの一つにすぎない半世紀前の遺物である。これについては、すでにわたしが『原子力マフィア』で「これが世界のマルクス論の最高峰だと聞いたら、世界の思想史家やマルクス研究者たちは目の玉が飛び出るほど驚き、なにか自分たちが馬鹿にされたような気持になるのではあるまいか」、と批判しておいた通りである。
 それでは世界のマルクスの読みの最高の水準は何かと問われるならば、わたしはたとえばハンナ・アレントの『人間の条件』(中央公論社、1973年)から『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』(大月書店、2002年)に至る邦訳書を推薦したいと思う。ひねこびた吉本隆明の私小説的な読みと比べたら、文字通り〝月とスッポン〟ほどの違いがある。これはマルクスの読みだけでなく、市民や公共性の概念など政治思想の全般にも当てはまることである。
 わたしが『知の虚人・吉本隆明』で批判したように、もともと吉本隆明は根本的に政治思想を欠落するという空洞を抱えていたのであり、その空洞を埋めたのがナルシストに特有の穴倉のナルキッソス空間であった。そのナルキッソス空間から発せられた独り言を自他ともに、高邁な「世界思想」の「託宣」であるかのように受け売りしてきたことに、吉本真理教の教祖と信者たちの惨めにも滑稽な悲劇の始まりがあったのである。ところで、吉本隆明の政治思想が〝空洞〟を抱えているというのは、明らさまに言ってつまり〝空っぽ〟だということである。

 

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                笑うレーニンと骨抜きマルクス


  吉本隆明にはインタビューの雑文を集めた『マルクス ― 読みかえの方法』(深夜叢書社、1995年)という著書がある。「マルクスの読みかえの方法」とは大きく出たものだが、わたしなら「マルクスの骨抜きの方法」と読みかえたい。中沢新一もどこかで「『資本論』の書き換え」をするといった大ボラを吹いていたが、これまた『資本論』の形而上学的な史的観念論による骨抜き以外のものは期待できないだろう。
 わたしは20世紀のロシア革命でマルク主義が果たした役割にはまったく否定的だが、むろん「マルクス主義」と「マルクス」は区別して、いまでもマルクスの『資本論』は折に触れて参考にしている。それは『資本論』を永遠の真理の書として崇めるためではなく、あくまで歴史書としてその意義と限界を見定めながらという条件つきであって、それを形而上学的に書き換えたら世界の経済の現実や将来が分かるなどということはあり得ない。グローバル化した今日の複雑な世界の経済の現実や将来は、マルクスの『資本論』を読んだからといって分かるわけではないのだ。どこまでも、いまある世界の現実の実証的な考察や分析の助けを借りないことには、それは理解できない問題だとわたしは考えている。
 ここで、もう一度、中沢新一編『吉本隆明の経済学』をおさらいしておこう。本書の弟二部をなす中沢新一の「経済の詩的構造」によれば、人間の「脳=心」は人間の本質をなす「詩的構造」を備え、そこから「交換」も「贈与」も発生してくるが、資本の本質である「増殖」もまたこの人間の「脳=心」の「詩的構造」から理解しなければならず、資本主義は「増殖性」を本質とした人間の「脳=心」から生み出されたものである。
 吉本隆明のいう「アフリカ的段階」は「詩的構造」を土台として形成された世界で、この「詩的構造」をもった「アフリカ的段階」に「ハイパー科学技術」を結合することによって、レーニンが実現しようとした国家の先にある世界がある。未来の革命は「超資本主義」の先か「アフリカ的段階」の先にしか現われ得ないが、いずれにとっても鍵を握るのは人間の「脳=心」の「詩的構造」である。こうして中沢新一版のノストラダムスの新予言は終わる。
 要するに、中沢新一の「吉本隆明の経済学」は、人間の「脳=心」に始まり、人間の「脳=心」に終わる、まさに回り回るトートロギー(同意語反復)のごとき「詩的構造」の史的観念論の形而上学で貫かれた、わたしのいう「空想経済学」ないしは「妄想経済学」以外の何物でもない。こんな〝机上の空論〟による〝妄想の楼閣〟の上に立つ、史的観念論の形而上学たる「経済学」では、およそ世界の経済も資本主義の現実も何も読み解けないことは明らかだ。
 中沢新一にとっては、ちょっとスマートでハイカラな言葉と観念で架空の世界が一貫して完結していればいいわけで、およそ理論上であれ現実上であれ解釈も解決も言葉遊びの幻想的なことがらである。たとえば、「資本主義の未来像」とか「未来の革命」、といった大ブロシキにおいておやである。およそ、科学なるものは自然科学と人文科学の別を問わず、いかなる仮説も観察と実験による検証と試行錯誤のふるいにかけられるのであって、初めからアルファにしてオメガの真理など存在しない。どんなにご立派な講釈を加えようとも、密教の伝授は科学の方法に反するのだ。

 すでに、わたしが『原発と御用学者』などで再三批判したように、吉本隆明は「科学」と「技術」を根本的に混同している。たとえば、原発は「科学」そのものではなく、「科学」を応用ないしは悪用した「技術」の一つにすぎず、それは原爆の副作用として生み落とされたものだ。原爆は戦争における巨大な殺傷力の獲得のために、最初にマンハッタン計画で歴史的かつ人為的に開発されたものであって、およそ自然史や自然史的過程とは何の関係もない。

 原発も同様に自然史や自然史的過程の産物ではなく、これまた歴史的かつ人為的過程の産物以外の何物でもない。わたしたちにとって重要な最近の例を挙げれば、3.11以後の原発の再稼動にしたところで、安倍政権の登場という人為的な出来事を追い風に、自民党と経産省と財界の政官財複合体の面々が強力に進めようとしている事柄にほかならず、吉本隆明の言うような「自然史」や「自然史的過程」、あるいはまた、中沢新一のいわゆる「脳=心」の「詩的構造」などとは何の関係もない。むろん、安倍晋三や政官財のお歴々も、お粗末とはいえ「脳=心」は持っているが。

 ここまで書いていよいよ擱筆という段階になって、新年早々に吉本隆明の遺稿集『「反原発」異論』(論創社、2015年)を手にした。自ら誰はばかることなく吉本主義者を名乗り、小林よしのりを自分の師であると絶賛し、日本トンデモ本大賞を二度も受賞している文筆家の副島隆彦が、「悲劇の革命家 吉本隆明の最後の闘い」とのオビと序文を寄せている。いやはや、滑稽にも中沢新一が吉本隆明を「世界有数」の「経済学者」に数えたかと思ったら、こんどは副島隆彦が吉本隆明を日本の「最高の頭脳」で「悲劇の革命家」に祭り上げるという始末だ。
 そのなかで、副島隆彦は3・11後の新聞インタビューにおける吉本隆明の「科学技術に退歩はない」発言を取り上げ、「この吉本隆明の発言は正しい。かつ優れている。日本一かつ世界一優れている」、ともろ手を上げて万歳三唱している。三度目の日本トンデモ本大賞の受賞も間近かである。吉本隆明の反原発批判については再三批判してきたので、わたしも正直なところウンザリするが、安倍政権の原発再稼働が近づくこの時期だけに、本ホームページでも本稿に引き続き吉本隆明の遺稿集『「反原発」異論』の要点を批判しておかねばなるまい。


                                                                                                (2015年1月8日)