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=近刊予告=

 

土井淑平著

『中沢新一と吉本隆明-亡きグルのためのパヴァーヌ-』

◇発売=2016年9月16日

◇出版=綜合印刷出版

 TEL0857-23-0031 FAX0857-23-0039

 E-mail info@sogoprint.com
◇発売=星雲社
 TEL03-3947-1021 FAⅩ03-3947-1617
◇192ページ、定価1500円+税

 

書店またはネット通販にてお求めいただけます。

 

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目次

 

はじめに


第一部 亡きグルのためのパヴァーヌ
     吉本隆明の後追い心中で思想的に殉死した中沢新一

 第一章 鰯の頭も信心から
      ― オウム真理教の麻原彰晃を礼賛し3・11後も原発を賛美した戦後思想家
 第二章 その内容と記述の形式
      ― チベット密教から吉本真理教につながる密教の秘伝の伝授
 第三章 その非科学的な形而上学
      ― 贈与の金メッキで金ピカに飾り立てられた消費社会の神話
 第四章 その非歴史的な史的観念論
      ― 勝てば官軍で無理が通れば道理引っ込む歴史の神話
 第五章 ナカザワダマシの新予言
      ― 笑うレーニンとマルクスの読みかえならぬ骨抜き
 第六章 「日本トンデモ本大賞」の有力候補
      ― 副島隆彦トンデモ推薦の吉本隆明トンデモ本『「反原発」異論』

 

第二部 バブルに浮かれた亡きグルの語り
     中沢新一が絶賛した吉本隆明の仕事の解体構築

 第一章 引き裂かれた都市論
      ― 自己矛盾の「大衆の原像」と「アジア的」の大ブロシキ
 第二章 市民なき都市
      ― 市民と公共性を欠いた空っぽの都市論と政治思想の貧困
 第三章 イメージの映像都市
      ― 自由と権力の対話もなく空の空なる宙返りのイメージと視線
 第四章 消費都市のバブル批評
      ― バブルの泡踊りの批評と下部構造のゼネコン都市の虚構
 第五章 巨大都市の制御不可能性
      ― 阪神大震災や東日本大震災でも止まらぬ成長信仰とハード路線
 第六章 未来都市とアフリカ的段階の珍妙な結合
      ― 「アフリカ的段階」と「南島論」の錯誤
 あとがき

 

 

 フクシマ原発事故のあと、「反原発で猿になる!」と反原発・脱原発派に罵声を浴びせたのは、吉本隆明であった。それは地下鉄サリン事件後も吉本隆明がオウム真理教の麻原彰晃を「世界有数の宗教家、思想家」と褒め上げたのと、軌を一にするトンデモ発言であった。
 その吉本隆明は論壇・文壇の一部で、「戦後最大の思想家」とか「知の巨人」と呼ばれてきたのだから、驚くほかない。こうした評言は死後まで、あたかも牛のイバリの如く続く。
 現在、吉本隆明の全集が刊行中で、国内では相も変わらず、ヨダレクリのような吉本ヨイショの評論や単行本に事欠かない。こうした日本の論壇や批評の世界のお粗末さは、およそ新興宗教のカルト現象と見られても致し方なかろう。
 そこには、「クライシス」(危機)に発する「クリティーク」(批評)という批評本来の意味における批評精神はからっきし見られず、言うなれば「鰯の頭も信心から」で吉本の言説なら何でも有難がって黙々拝聴する吉本真理教の中毒症状が露呈している。
 わたしは三〇年近く前の『反核・反原発・エコロジー ― 吉本隆明の政治思想批判 ― 』(批評社、一九八六年)で、このどこよりダメな国における吉本批判の口火を切った者であるが、二〇一一年の3・11フクシマ原発事故直後、『原子力マフィア ― 原発利権に群がる人びと ― 』(編集工房朔発行、星雲社発売、二〇一一年)と『原発と御用学者 ― 湯川秀樹から吉本隆明まで ― 』(三一書房、二〇一二年)で、吉本隆明の原発弁護論を徹底的に批判した。
 と同時に、『知の虚人・吉本隆明 ― 戦後思想の総決算 ― 』(編集工房朔発行、星雲社発売、二〇一三年)では、いわゆる「知の巨人」とは「知の虚人」にほかならず、この戦中派の「右翼」思想家が戦後一躍「新左翼」のスターとして人気を博したキイ・ワードたる、初期の「自立の思想」「大衆の原像」「共同幻想」を完膚なきまでに批判して、いわゆる吉本真理教の成立根拠の仮面を剥ぎ、この〝東海の島国〟の〝ハダカの王様〟を丸裸にした。
 今回のわたしの仕事はイラストともども、オウム真理教と原発を擁護して墓穴を掘った吉本隆明のベールをはいで、その徹底的な脱神秘化ないしは脱神話化を試みることであった。もう、それで、吉本隆明も吉本隆明批判も終わったはずであった。ところが、実に、ところがだ。ごく最近になって、人気のある評論家の中沢新一がいささかお上品に吉本隆明の第二バイオリンを弾き、トンデモ本の大家の副島隆彦が下品極まりない第三バイオリンを弾いた。中沢新一編『吉本隆明の経済学』(筑摩書房、二〇一四年)、および、副島隆彦トンデモ推薦の吉本隆明遺稿集『「反原発」異論』(論創社、二〇一五年)である。
 むろん、いずれも、言うなれば金魚のウンコやタレ流しみたいなものだから、黙殺という手もあった。しかし、それでは、日本の思想や批評の世界は、「お山の大将、俺一人、あとから来るもの、突き落せ」のガキ大将のゴンタの文化遺制を死後ものさばらせてしまう。中沢新一や副島隆彦はゴンタの家来と呼ぶしかない。つまり、鰯の頭のゴンタがカルト宗教の〝真理教〟の教祖に収まって、ブランド批評家やトンデモ批評家の〝後光〟に守られているという構図である。それゆえ、わたしの脱神秘化と脱神話化の試みは、吉本隆明だけでなく、最後まで吉本にしがみついてヨイショしたブランド批評家の中沢新一にまで及ばざるを得なかった。
 ブランド批評家でパフォーマンスを得意とする中沢新一は、ちょっぴりしゃれたロマンのお伽話とレトリックの持ち主で、穴倉の中で教祖の説教を黙々拝聴の吉本真理教のシンパのなかでは、とにかく学者の肩書きで自分の意見らしきものを公けにしているという意味では異色の存在だが、危機意識と歴史・政治思想を欠いた批評家という意味では吉本と瓜二つのロマン主義者である。
 この機会に、わたしは、第一部で中沢新一編『吉本隆明の経済学』、第二部で吉本隆明がバブルに踊った中沢新一激賞の『ハイ・イメージ論』を中心にした後期の都市論を歴史や政治の見方ともども遡上に載せ、それらを徹底的に脱神秘化し脱神話化して、脱構築というよりも解体構築することにした。
 吉本隆明は都市や都市的なものを考察する道具立てを一切欠き、つまり無知からくる無手勝流の独り善がりに終始しているのみならず、『知の虚人・吉本隆明』でも繰り返し強調したように、その歴史思想や政治思想たるやおよそ市民不在の空っぽの〝空洞〟もしくは〝がらん洞〟であって、そこでは自己愛のナルキッソスが穴倉に自閉してひたすら消費を賛美する姿を露呈している。
 わたしの解体構築はかれのお得意の「アジア的」大ブロシキや「アフリカ的段階」や「南島論」といった後期のキイ・ワードにも及んだが、それは人類学と歴史学の区別すらわきまえぬ根本的な錯誤に立脚した空論であった。
 いずれにせよ、さきの『知の虚人・吉本隆明』、および、吉本隆明を中沢新一ともども徹底的に脱神秘化し脱神話化したパロディたる本書をもって、神がかりの吉本隆明も吉本隆明のエピゴーネンの世界もともに終わった、とわたしは考えている。