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土井淑平近刊『フクシマ・沖縄・四日市 ― 差別と棄民の構造』

 

◇2013年11月28日発売
◇発行=編集工房朔/発売=星雲社
◇264ページ、定価1700円+税

 

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目次

 

序文 差別と棄民の構造

第一章 フクシマ ― 放射能汚染と原発難民

  一 高濃度汚染地帯の二百万人と放射能汚染水の大量流出
  二 ふるさとを追われた十六万人の原発難民
  三 いのちを切り売りする被曝労働の犠牲者たち
  四 放射能は右から左に移せど消えず除染は移染
  五 天文学的な尺度の廃炉と放射性廃棄物のツケ
第二章 沖縄 ― 軍事植民地と構造的差別 ―
  一 オスプレイの沖縄配備と普天間基地の辺野古移設
  二 アメリカの帝国主義的膨張と太平洋制覇の落とし子
  三 史上に類例なきアメリカのスーパー帝国主義の構造
  四 アジア最後の植民地の沖縄で起きていること
  五 琉球処分・軍事植民地・構造的差別
第三章 四日市 ― 植民地型開発と産業公害 ―
  一 日本の公害と四日市の悲劇
  二 内なる帝国主義と植民地型開発
  三 船荷信仰の反省と漁民のエコロジー
  四 無告の代弁者と市井のジャーナリスト
  五 四日市・沖縄・フクシマ
資料 四日市公害
  一 四日市コンビナート
  二 四日市コンビナートと労働市場
  三 四日市コンビナートと地域社会
  四 四日市公害
あとがき

 

序文 差別と棄民の構造


 わたしは本書で現代日本の〝差別と棄民の構造〟を典型的に示すものとして、①原発事故の犠牲となったフクシマ②アメリカの軍事基地を押し付けられた沖縄③開発と公害の典型といえる四日市、という戦後日本の政治・経済・社会・環境史にかかわる三つの重要な事例を取り上げた。
 フクシマの大惨事はわたしたちの記憶もまだ生々しいとはいえ、あの大惨事もどこかに行ったかのように、自民党の安倍政権は衆参選挙の圧勝を〝錦の御旗〟に、原発の再稼働や原発の海外輸出に突っ走っているが、その足下は手も足も出しようのない〝放射能〟の〝ダダ漏れ〟で、いったいどこから原発の再稼働や輸出の話が出てくるのか信じ難い状況である。
 実際、二〇一一年三月十一日の3・11に始まる福島第一原発の事故では、日本の法令で〝放射線の管理区域〟とすべき〝高濃度の汚染地域〟で二百万人の住民が生活し、原発の敷地と地下からダダ漏れして海に流出する放射能の汚染水は止まることを知らず、地元や近海の漁業者の問題にとどまらず、あらためて太平洋汚染の国際的な責任が問われている。
 しかも、ふるさとを追われて避難し漂流する〝故郷喪失〟の〝原発難民〟は十六万人にのぼり、ふるさとに帰りたくとも帰れない非情な運命の下に置かれている。
 政府も東電も隠し通したかった放射能汚染水のダダ漏れは、二〇二〇年夏季五輪の開催地問題で国際的な注目と関心を呼び、舌先三寸の政治家たる安倍晋三首相が国際オリンピック委員会(IOC)で、「状況はコントロールされており、東京にダメージを与えない」「汚染水の影響は原発の港湾内の〇・三平方キロの範囲内で完全にブロックされている」、と大 見得を切って東京招致が決まった。まるで、福島第一原発の港湾を〝真空パック〟で〝密閉〟したかのごとき、マジカルは発言である。
 しかし、東電の技術顧問が「今の状態はコントロールできていないと我々は考えている」と述べた通りで、日本のトップのウソ八百の国際的発言が現場から否定されている。首相のボロをとりつくろう東電社長の国会発言は、全町民が避難している浪江町議会が、「(首相の)無責任な発言に抗議する」、「避難生活の息苦しい日々を知らないのなら、現場の声を真摯に聞くべきだ」と訴えたのも当然である。フクシマの避難民の状況を考えると、まるでこの国は〝浮かれた国〟と〝捨てられた国〟の真っ二つに引き裂かれているかのようだ。
のみならず、フクシマの事故処理には、下請け・マゴ請け・ヒマゴ請けの下請け労働者群が、人海戦術により〝カミカゼ特攻隊〟ならぬ〝〟ゲンパツ特攻隊〝〟として大量に投入されているが、かれらは身をもって〝いのちを切り売り〟する〝被曝労働者〟たちだ。しかし、放射能は右から左に移しても消えないので、政府や東電による汚染された土壌の〝除染〟は〝移染〟でしかない。
 そればかりか、フクシマだけでなく原発の廃炉と放射性廃棄物のあと始末ときたら、十万年とか百万年といった人類学的にして天文学的な尺度の毒性の持続と管理の必要から、つまるところ〝あとは野となれ山となれ〟ないしは〝われ亡きあとに洪水はきたれ〟の責任放棄に行き着かざるを得ないし、それこそが口にするかどうかの表向きの態度はともかく、原発の推進者たちが胸の底に隠し持っている偽らざる深層心理に違いないのである。

 フクシマの事故処理の当面の問題は、事実上の倒産企業である東電の破綻を法的かつ行政的に処理してケジメをつけていく代わりに、原子力産業の延命という国策のため税金や金融の融資をそれこそダダ漏れのように東電にタレ流していることだ。すなわち、フクシマの大惨事の現状を象徴する汚染水のダダ漏れが、説明責任なき国費や金融のダダ漏れで上塗りされて、誰も責任を取らない無責任の体系の底なしの泥沼を現出している。原発の再稼働や輸出の悪あがきは、〝捨てられた国〟に見て見ぬふりの〝浮かれた国〟のから騒ぎである。

 フクシマの大惨事によって、本土の日本人の政治課題から寸時忘却されていたとはいえ、沖縄の米軍基地の問題がいささかも軽減したわけではないことは、あらためて断るまでもないことである。むしろ、民主党から自民党への政権移譲に伴って、再び普天間基地の辺野古移設やオスプレイの沖縄配備をはじめ、沖縄をめぐる〝アポリア〟(難問)があたかも積乱雲のように再浮上してきたと言えよう。疑いもなく、沖縄は〝嵐の前〟である。
 周知のように、沖縄は一七世紀初頭の薩摩藩の琉球征伐以来、日本の政府からいわゆる〝琉球処分〟なるものを繰り返し受けてきた。さきの太平洋戦争では本土防衛のための〝捨て石〟とされ、県民の四分の一の二十万人を超える犠牲者を出した凄惨な沖縄戦を経て、戦後はアメリカの占領下に軍事植民地として米軍基地を押し付けられ、日本国土のわずか〇・六%の土地に在日米軍の七四%の米軍基地が集中している。
 一九五一年九月に日米両政府で調印されたサンフランシスコ講和条約による対日平和条約と安保条約で、たしかに日本は形式的に独立したとはいえ、あくまで沖縄の犠牲による日本の主権回復であった。しかし、実質的には、アメリカの〝属国〟が日本であり、その日本の〝保護領〟が沖縄である。この米日関係と日沖関係の二重構造において、沖縄は日米両政府による〝植民地主義〟ないしは〝無意識の植民地主義〟のもとに置かれている。
 この間、米軍基地は沖縄の政治・経済・社会・環境をいちじるしく歪め、基地に包囲された住民の生活は極度に圧迫され、米兵による少女暴行事件などの凶悪犯罪はあとを絶たず、航空機の騒音というよりも爆音の被害に苦しめられ、九年前の沖縄国際大学や最近のキャンプ・ハンセンの山中への米軍ヘリ墜落事故に象徴されるような、折り重なる危険性と背中合わせの生活を余儀なくされている。それは文字通り〝不条理〟とか〝理不尽〟という言葉で表現するしかない現実である。
 わたしが環境運動にかかわるきっかけとなったのは、一九六〇年代後半の四日市公害であるが、当時から四日市の市民活動家たちは本土より分断され差別された沖縄に注目していた。四日市は第二次大戦後の〝石炭から石油へ〟の〝エネルギー転換〟を担った石油化学コンビナートの典型で、住民たちは工場廃液による伊勢湾の〝臭い魚〟やばい煙による〝四日市ゼンソク〟の被害に会い、ゼンソク患者らはコンビナート企業を裁判に訴えた。
 それは新潟水俣病、富山イタイイタイ病、熊本水俣病ともども、いわゆる〝四大公害裁判〟の名で知られるが、いずれも訴訟に勝利して日本の環境政策に決定的な影響を与えたことは言うまでもない。中央の大資本と国家が地方の環境を収奪し住民の犠牲のうえに、巨大な利益や権益をむさぼる構図は今日の原発にもそのまま当てはまる。その行き着いた先がフクシマの大惨事つまり福島第一原発事故に象徴される、戦後日本の最大最悪の産業公害と呼ぶべき原子力公害である。まことに〝今日は昨日の続き〟で、四日市は沖縄にもフクシマに通じているのである。それはわたしの課題ないしは関心の推移にも密接に符合していた。
 第二次大戦後の石炭から石油へのエネルギー転換に伴って、炭鉱労働者たちの〝去るも地獄、残るも地獄〟の犠牲の下で、石油化学コンビナートはいったん解体された三井や三菱を筆頭とする旧財閥が再結集する重要な契機となったが、その財閥復活の決定打となったのが国策による原発の導入である。石油化学コンビナートも原発も〝科学技術の粋〟との宣伝の裏側において、旧財閥系の巨大企業の傘下に下請け・マゴ請け・ヒマゴ請けの〝野蛮〟で〝原始的〟な下請け労働者群を抱え、とりわけ原発の場合は延べ四十五万人にものぼる膨大な被曝労働者の〝殺人労働〟の〝人海戦術〟なくしては成り立たない構造になっている。
 のみならず、四日市ではコンビナート直下の磯津地区の住民たちが、工場排液による〝臭い魚〟やばい煙による〝四日市ゼンソク〟の集中的な犠牲者となったように、フクシマの事故でも農民や漁民たちが農産物や畜産物や海産物の汚染で生業を奪われ、大熊町や双葉町をはじめ原発現地や原発周辺の大量の住民たちがふるさとを追われ、まさしく現代版〝去るも地獄、帰るも地獄〟の〝原発難民〟の非情な運命に翻弄されているのだ。

 現在、中国は〝巨大な四日市〟の様相を呈し、黄砂とともに日本に飛来するPM2・5の影響が大きな問題になっているが、中国では二〇一〇年のPM2・5による死亡者が七千人と算定され、世界保健機構(WHO)は二〇一三年一〇月、PM2・5の発ガン性を危険度がもっとも高い部類に認定したばかりである。

 わたしが本書で現代日本の〝差別と棄民の構造〟の典型として取り上げた〝フクシマ・沖縄・四日市〟は、むろんそれぞれ個別の特殊な由来と特徴を持つとはいえ、それらに共通するものとして、①国策の犠牲②中央による地方の支配と収奪③切り捨て御免の論理と倫理④植民地主義の産物、を挙げることができる。そこで、最新の資料と情報を踏まえつつ、これら三つの事例を具体的に順次検討していく。

 

正誤表
82ページ15行目 「政府資産」→「政府試算」
85ページ14行目 「拾銭政策」→「除染政策」
93ページ9行目、122ページ8行目、151ページ2行目 「井波洋一」→「伊波洋一」
111ページ表10「世界の軍事費ランキング」 出典:ストックホルム国際経済研究所→ストックホルム国際平和研究所
113ページ表12「米国債の国別保有額ランキング」 「国内総生産」→「米国債保有額」
120ページ表13 陸軍の在日米軍の兵力 3,617人→2,617人
138ページ11行目、141ページ17行目 「吉田憲正」→「吉田健正」
157ページ年表7 「1964年(昭和64)」→「1964年(昭和39)」
205ページ下段22行目 「一九五九年」→「一九六九年」
229ページ下段9行目、235ページ上段17行目、236ページ下段5行目 「牛起」→「午起」