人形峠ウラン残土住民工作

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人形峠のウラン残土で住民工作の機密ファイル

『週刊朝日』(3月15日)の特集記事に寄せて

 

 

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1 動燃が作成した住民工作の機密ファイル

 

 このたび発売された『週刊朝日』(2013年3月15日号)に、「機密ファイルが暴く「原子力ムラ」の闇」(今西憲之+本誌取材班)という、驚くべき内容のスクープ特集記事が掲載されている。
 この特集記事は1988年に放置が発覚した人形峠周辺のウラン残土の地元のうち、唯一ウラン残土の撤去を要求して立ち上がった鳥取県東郷町(現・湯梨浜町)方面(かたも)地区の住民運動をつぶすため、旧動燃(現・日本原子力研究開発機構)が、20世帯の住民1人1人の身元・血縁・家族・思想・素行を調べ上げた極秘文書である。
 『週刊朝日』が暴露した動燃の機密ファイルは、方面地区の20世帯の住民の工作のための資料として、①名前②生年月日③職業④PNC(動燃の略称)に対する理解⑤人脈・本人に対する工作⑥家族関係⑦地権の有無⑧備考 ― をA3用紙6枚に綴った詳細な調査リストである。
 そのうち、方面地区のウラン残土撤去運動の中心人物たる榎本益美さんの⑤「人脈・本人に対する工作」では、「共同通信記者」や「市民グループ」との関係を切って「孤立」させることが「効果的」である、とドギツイ表現で工作の対象と手段を書き記しているが、その「共同通信記者」とはのちに小出裕章さんと共著で『人形峠ウラン鉱害裁判』(批評社、2001年)を出したわたしのことである。
 また、方面地区の有力者でもある農協関係の幹部の⑦「備考」では、「共同通信鳥取支局土井記者による農産物への影響を半ば信用させられている」として、⑤「人脈・本人に対する工作」において、「農協関係の幹部、県果連○○会長(県議)・県農協中央会長等に依頼」と書き留めている。
 この資料を作成したⅩ氏は『週刊朝日』の記者の取材に対して、「共同通信記者だった土井さんは、榎本さんと一緒に活動している。本も、とんでもない一方的な内容ですよ。不安をあおり、風評被害を大きくしている」、とあらぬコメントを口にしている。
 わたしはちょっと待てと言いたい。さきの共著『人形峠ウラン鉱害裁判』はウラン残土の汚染をめぐって、小出裕章さんの測定による科学的なデータに基づいて、ウラン残土の危険性を具体的に指摘したもので、「とんでもない」のは動燃やⅩ氏の方ではないか。
 動燃の機密ファイルについては、この『週刊朝日』の特集記事をぜひとも参照してほしいが、ここではもっぱら方面地区のウラン残土撤去運動の経過をたどり、当時の動燃と国・県・町の四位一体による、激しい〝住民工作〟というよりも〝住民弾圧〟の要点をふり返っておこう。

 

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2 方面地区のウラン残土撤去運動の経過

 

 人形峠で原子力開発の入口の核廃棄物であるウラン残土の放置が発覚したのは1988年8月で、のちに明らかとなった人形峠周辺のウラン残土の総量は45万立法メートル、200リットル入りドラム缶に換算して225万本分である。
 人形峠をはさんでウラン残土を放置された岡山・鳥取両県の12地区のうち、唯一、鳥取県側の東郷町の方面(かたも)地区がウラン残土の撤去を要求して立ち上がった。1990年8月に方面自治会と動燃のあいだでウラン残土の撤去協定書が結ばれたが、方面地区にある1万6000立方メートルのウラン残土のうち、ウラン鉱帯部分と称する3000立方メートルを撤去するという内容である。
 ところが、動燃は搬入を予定していた人形峠事業所の立地県である岡山県の反対をこれさいわいに、ああでもないこうでもないとコンニャク問答を繰り返して、ウラン残土の撤去協定書の履行をズルズルと引き延ばし先送りしていった。
 1950年代末から1960年代初めの方面地区のウラン採掘作業に従事し、地元のウラン残土撤去運動の先頭に立っていた榎本益美さんは堪忍袋の緒を切らし、1999年12月、支援者とともにウラン残土1袋撤去の実力行使に出た。
 この実力行使はマスコミでも大々的に取り上げられ、これを決定的な転回点として2000年11月、方面自治会が鳥取県の片山善博知事の支援を受けてウラン残土の撤去訴訟を起こし、これに続いて同12月にはウラン残土堆積場の地権者でもある榎本益美さんが、わたしたち市民グループの支援でウラン残土の撤去訴訟を独自に提訴して追い討ちをかけた。
 方面自治会の訴訟は2004年10月、最高裁の決定で勝訴が確定した。榎本益美さんの訴訟は2006年7月、部分敗訴に終わったとはいえ、自治会訴訟を側面から後押しする効果を発揮した。
 しかし、動燃(このときは核燃料サイクル開発機構に衣替え)は最高裁決定で3000立方メートルの撤去命令を受けながら、またしても隣接の麻畑堆積場へのたらい回しで逃げようとしたが、片山知事が自然公園条例を盾に取って麻畑搬入を許さかった。
 このため、(核燃料サイクル開発機構改め)日本原子力研究開発機構もついに観念して、2006年11月に3000立方メートルを撤去(後述するように、その一部290立方メートルはアメリカに〝鉱害輸出〟)、人形峠県境の鳥取県有地でレンガに加工して、福島第一原発事故の3カ月後の2011年6月、加工レンガの搬出を完了した。
 こうして、方面地区のウラン残土撤去運動は、何と18年もの歳月にわたる紆余曲折の苦闘のすえ、曲がりなりにも要求を貫徹してウラン残土の一部撤去が実現したが、この間に動燃はウソにウソを重ねて、ウラン残土撤去協定書の先送りと骨抜きを画策してきたのである。

 

3 ウソにウソを重ねた動燃=核燃=原子力機構

 

 まったくの無責任体質の動燃=核燃=原子力機構(日本原子力研究開発機構)は、2004年10月に最高裁から3000立方メートル撤去命令が出た方面地区のウラン残土の自己処理もできず、その一部290立方メートルをアメリカの先住民の土地にある製錬所に〝鉱害輸出〟する有様であった。これは放射性廃棄物処理の自己責任を放棄し、他国に尻拭いを頼む込む破廉恥な行為以外の何物でもない。
 アメリカのウラン鉱山の大半はインディアンと呼ばれてきた先住民の土地や聖地にある。そのアメリカの先住民であるホピ族やナヴァホ族は1991年1月、「国際ウランフォーラム・倉吉」に参加し、わたしたちの案内で方面地区のウラン残土堆積場を視察して、「われわれの所も放ったらかされた状況は同じだ」と話していた。
 ウラン残土の撤去を要求して立ち上がった約20世帯の方面地区の住民に対して、動燃だけでなく国・県・町は、四位一体で大弾圧を加えてきたが、そのやり口はあたかもアメリカに入植した白人が、先住民をだまし懐柔し買収し弾圧したやり方とそっくりであった。
 それは西欧はじめ先進諸国が植民地支配のために、現地住民をだまし懐柔し買収し弾圧したやり方に共通するとともに、今日の日本の原発現地で電力会社が国・県・市町村と四位一体で行なってきた住民工作・分断・懐柔・住民弾圧にも通じるものである。
 動燃は1995年12月の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故のあと、「ウソつき動燃」「動燃はどうなってんねん」と世間からごうごうの非難を受け、ついに「核燃」(核燃料サイクル開発機構)へと名称の変更を余儀なくされたが、方面地区のウラン残土撤去問題でもウソにウソを重ね、ウラン残土撤去協定書の先送りと骨抜きを図った。
 ウラン残土問題での動燃のウソの始まりは、1989年3月に動燃が方面自治会の事実上の代理交渉を進めていた対策会議に「全量撤去」を約束しながら、1週間でこれを翻したことに始まる。この「全量撤去」の約束は県議会の一室で、しかもマスコミ取材陣の立ち合いのもとで行なわれたもので、1週間後に約束を反古にしたため、「動燃は、ウソ八百の会社で、信用ならん」となったのである。
 1990年8月に動燃がウラン残土撤去協定書を方面自治会と締結しながら、岡山県の反対にかこつけてこれを棚上げし、ズルズルと引き延ばし先送りしてきたことは、さきに述べた通りである。
 のみならず、動燃のあとを継いだ核燃も無責任体質が変わらず、自治会訴訟の一審で負けて高裁で審理中に、3000立法メートルの撤去という鳥取地裁の判決の骨抜きを図って、290立法メートル撤去の和解案で一審判決をなし崩そうとしたことも、この国策法人の無責任体質を物語って余りある。
 そればかりではない。広島高裁松江支部でも負けた核燃が最高裁に上告したが、2004年10月に最高裁が上告を棄却し3000立法メートルの撤去が確定したあとも、ジタバタと醜いアヒルの水かきは続いた。すなわち、核燃は方面堆積場からわずか300mしか離れていない麻畑堆積場に、右から左への〝たらい回し〟というか〝横流し〟でもって、ウラン残土の撤去命令を誤魔化してかわそうとしたのである。
 さすがに、この見え透いたトリックの誤魔化しも効かず、方面地区から撤去せざるを得なくなるや、こんどは3000立方メートルのうち貯鉱場跡の290立方メートルを6億6000万円もの国民の税金を使って、アメリカのユタ州の先住民の土地にある製錬所に〝鉱害輸出〟したのである。
 動燃=核燃=原子力機構のウソにはまだ続きがある。原子力機構は2006年5月、文部科学省・鳥取県・三朝町との4者合意で、三朝町にある鳥取県有地でレンガ加工することになったが、そのさい加工レンガは原子力機構の各事業所の敷地内の舗道や花壇などで使うと記者発表しておきながら、核のゴミの〝スソ切り〟と〝バラまき〟で加工レンガを一般販売にも供したのだから、何をかいわんやだ。

 

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4 動燃・国・県・町の四位一体の住民弾圧

 

 このたび『週刊朝日』が暴露した動燃の機密ファイルは、いまざっと見てきた方面地区のウラン残土撤去にからむ動燃のウソにつぐウソ、ひいてはまた、これから取り上げる国・県・町との四位一体の〝住民工作〟ないしは〝住民弾圧〟の出発点に位置づけられるものである。
 その前に断っておかねばならないのは、鳥取県と東郷町のウラン残土行政が1988年8月の放置発覚以後の西尾邑次知事時代と1999年4月以降の片山善博知事時代では、それこそ180度違うということである。
 すなわち、科学技術庁(現・文部科学省)や動燃と一体で方面地区の住民を弾圧したのは西尾邑次知事であり、これとまったくあべこべに、方面自治会のウラン残土撤去訴訟を強力に支援して撤去の実現に尽力したのは片山善博知事(現・慶応大学大学院教授)であったのである。これからあらましを述べる住民弾圧はもっぱら西尾邑次知事時代のものである。
 1988年8月にウラン残土の放置が発覚し、方面地区の自治会が「ウラン残土の全面撤去」の要求を東郷町に申し入れた同年12月以降、動燃の住民工作が活発化する。動燃人形峠事業所の担当者が方面区長らを三朝温泉の温泉旅館で酒食接待したのも、その典型的な一例である。ちなみに、その動燃の担当者こそ、『週刊朝日』が暴露した動燃の機密ファイルの作成者、つまりⅩ氏である。
 岡山県の長野士郎知事は「鳥取県で危ないと言われているものは受け入れられない」として、動燃が1990年8月に方面自治会に撤去を約束したウラン残土の人形峠事業所への搬入を拒否したが、一方の鳥取県の西尾邑次知事は方面地区のウラン残土を撤去させることなど念頭になく、〝科技庁代理店〟ないしは〝動燃広報部〟として終始し、お上をカサに方面地区の住民弾圧に狂奔した。
 すなわち、方面地区のウラン残土の行方が迷走していた最中、西尾邑次知事は1997年9月2日に突如、ウラン残土の「東郷町内保管」(その内実は「方面現地据え置き」)を東郷町と町議会に申入れたのである。それは中央からの天下りでない〝ジゲ(地元)の知事〟が、天下り以上に中央に隷従する〝オオカミの本性〟をムキ出しにした瞬間であった。
 ところが、その前日の9月1日夜、西尾知事の命を受けて河本義永副知事はじめ県担当幹部は、東郷町の山本康生町長と町議会幹部らを鳥取県の保養施設「久松閣」に招いて密談・談合し、上記の翌2日のシナリオを練り上げていたことが情報開示請求で明るみに出た。
 その密談・談合のなかで、河本副知事は方面地区の自治会役員を直接呼び出して工作することを画策し、「極秘は通るか」「マスコミは排除」「じゃまをすれば公務執行妨害だ」、などと自治体幹部にあるまじき治安警察的発想で、町長や町議会の幹部に圧力をかけていたのである。
 この1997年9月2日の鳥取県の「東郷町内保管」の申入れには、マスコミもすっかりだまされて一杯食わされていたのだが、県の差し金で東郷町長ら町幹部は方面地区の主だった住民1人1人を飲食店に呼び出し、「東郷町内保管」つまり「方面現地据え置き」を飲むよう脅しをかけた。榎本益美さんに対しては、「東郷町の功労者になってくれ」とおだてて圧力をかけたが、榎本さんがこれを断固拒否したことは言うまでもない。
 この「東郷町内保管」つまり「方面現地据え置き」に固執する鳥取県当局は、1998年2月に東郷町議会特別委員会を動かして、東郷町の住民アンケート調査を抜き打ちに実施させた。
 しかし、アンケートとは名ばかり、行政と議会の問答無用の現地保管の強要で、アンケート用紙の前文で「地区外撤去はまったく不可能」「方面現地に保管する以外に方法はない」と決めつけ、そのうえで「現地保管」に「賛成」か「反対」か一問即決方式で回答させる仕掛けになっていた。
 その回答の集約の結果は、「現地保管」に「賛成」が「反対」を若干上回ったが、住民側に立つ対策会議が間を置かず対抗アンケートを実施したところ、住民の7割が「地区外撤去」求めるる回答を寄せた。県当局に強要された町議会のアンケートの回収と集約には、ねつ造の疑惑もあった。
 このため、この間の県幹部との密談・談合とアンケートのねつ造疑惑を背景に、わたしも作成に協力して対策会議が東郷町議全員に公開質問状を出し、最終的には方面自治会が総会で「地区外撤去」を決議して落着した。
 住民工作に関連して言うと、2002年12月から2003年7月にかけて、自治会訴訟の高裁段階での和解協議の最中、文部科学省の谷広太課長補佐(当時)が方面地区に乗り込み、1戸1戸回って撤去対象の3000立方メートルのうち290立方メートルのみの撤去という〝骨抜き和解案〟の〝住民工作〟に歩いたことも忘れてはならない。
 この〝骨抜き和解案〟で方面自治会総会の議決は半々に割れたが、自治会規約の3分の2に達しなかったため、〝骨抜き和解案〟は否決されて3000立方メートル撤去の高裁判決につながった。このときの谷広太の〝住民工作〟にも、今回発掘された動燃マル秘資料が生かされたであろうことは、疑う余地はない。
 『週刊朝日』の「機密ファイルが暴く「原子力ムラ」の闇」が明るみに出した事実は、いま駆け足でたどった方面地区のウラン残土撤去運動の経過に照らして、住民のプライバシーと人権を侵害する内容を含み黙視できないだけでなく、原子力産業・国家・行政の犯罪の〝氷山の一角〟を象徴するものである。

 

(参考文献)
  ・榎本益美『人形峠ウラン公害ドキュメント』(北斗出版、1995年)=絶版=
  ・土井淑平・小出裕章共著『人形峠ウラン鉱害裁判』(批評社、2001年)
  ・小出裕章・土井淑平共著『原発のないふるさとを』(批評社、2012年)の「原発のな
   いふるさとの核廃棄物」
  ・土井淑平『放射性廃棄物のアポリア ― フクシマ・人形峠・チェルノブイリ』(農文協、
   2012年)の第二章「あとは野となれ山となれ ― フクシマと人形峠と核廃棄物を結
   んで」

                                                                                              (2013年3月14日記)

   (編注)本稿はウラン残土市民会議のHPと同時掲載です

        … ◇ウラン残土市民会議  http://uranzando.jpn.org/uranzando/